転生なんていらない!

けものさん

プロローグ『プロローグなんていらない?』

 浮かれていた、浮ついていた、浮かされていた、浮いていた。


『浮くといっても色々あるなぁ』なんてくだらない事を考える意識を、地熱と夏真っ盛りの太陽の熱がジリジリと溶かしていくようだった。

買ってしばらく経っていたアイスクリームはもう溶けていて、甘ったるい匂いに思えた。

『多分これ、私には甘すぎたな。じゃあいいや、良かった』

 新作だからと買ってみたアイスクリームはこの匂いからしてきっと私の口には合わない。もしかするとすっぱい葡萄というヤツかもしれない。得られない物は良くない物だっていう話の喩えだ。味は良いのかも知れないけれど、溶けたアイスは地面に落ちてでも舐め取れという教養は持ち合わせていない。


 それに、指もどうやら動かない。


 私の頭を湿らせている血液らしき臭いは、何だかぼんやりとした物に感じてしまって、よく分からなかった。もしかするとこの臭いが混ざっているせいでアイスの匂いが悪くなっているのではなかろうか。

『私の血液め……』

 つまりは、やっぱりアイスが食べたかったんじゃないかと、笑えていたなら笑っていたかもしれない。なにせ、もうどうやら笑う事も出来ないみたいだった。

 

 浮いた瞬間まではハッキリ覚えているけれど、落ちてからは何だか本当にフワフワとしていた。頭への強烈な衝撃、もしかすると良い意味か悪い意味か、打ち所が良かったのかもしれない。その御蔭か痛みは不思議と感じなかった。


 だからこそ、動揺を自覚しながらも変な事を考える猶予があった。

ぼんやりと『浮いていたなぁ』と思っていた。

空を飛んでいたと言っても良いだろう。ジャンプの比では無い。

凄かったなぁと思い出しながら、鬱陶しい暑さが薄れて行く。

私の眼の前で叫んでいる知らないおじさんに『ごめんなさい』と言いたかったが、口も開かない。ただどうせなら青空を目に焼き付けたかった。



――だってこれから私、梨木洋ナシキヨウの魂は浮くのだから。


 高校二年生、始まったばかりの夏休みに私は浮かれていた。

暑すぎるからアイスクリームを買いに家を出て、ついでに本屋にでも、あぁ服屋にも寄ろうかだなんて、熱に浮かされていたとしか言いようがない。

私は一番最初にアイスクリームを買っているのに、それを食べようともせずに次の事を考えていた。


 コンビニで買ったのだから保冷剤が入っているわけもなく、袋をぶらつかせながら買ったばかりのサンダルでムワッとしたコンクリートの上を歩く。靴屋は行かなくて良いなと思っている間にも溶けていくアイスクリーム。


――アイスクリーム、アイスクリーム、やっぱり食べたかったな。


 汗を拭きながら熱暑を歩いていた。元々どうにかなっていたのでなければ、頭がどうにかなる程の暑さだった。

熱中症対策にお気に入りの帽子も欠かさない。白地にさりげないゲームロゴが入った帽子。一度も染めた事の無い黒髪に白が映えて凄く気に入っていた。ただ、帽子は頭しか守らない、長めの黒髪は薄緑且つ薄いレースの半袖シャツの背中を焦がすように熱していく。


 私はハッキリ言っても、ハッキリ言われても、決して目を見張る程の美人では無いが、まだ未来ならあるはずだ、高校二年生で諦めてたまるか。

「金をかけたら女はいくらでも変われます」と、今や御年七十歳を越えている私の大好きな女性歌手が昔ラジオで言っていたらしい。彼女は元々美人ではあるけれど、成る程と思い努力は欠かさないようにしてきた。私は、決して私が嫌いじゃなかった。


――けれど全部無意味かぁ。


 努力も、未来も、ビューティフルな世界も、ふとした事で溶けて無くなる。

「あ、アイス……っ!」


――ほら、やっぱり食べたかったんじゃないか。


 食べていない事を思い出し、買い食いくらいは許されるだろうと取り出そうとした瞬間、パッケージの中で溶けたアイスがツルリと滑り、私の指からスポンと浮き上がった。

大きく打ち上がったそれを、フライだぁなんて思って掴もうとした先に、道路。


「ナイスキャッチ! バッターアウッッ!」

 道路だもの、車は通っているし、突然歩道から出て来られちゃ避けられない。

アウトだったのは紛れもなく私。もしこの溶けたアイスのように上手く私がキャッチされていたとしても、その衝突の大きさから考えたらまぁ死んでいるだろうと思う。

それに、事実としてキャッチされるわけも無く私は車道に思い切り頭を叩きつけられて、おそらくは死ぬ間際にこんな事を考えている。


 現実は非情だ。けれどそれは私自身に思う事ではない。

私を浮かした、つまり跳ねてしまった車の運転手に向けて思った事だ。

声からしておじさんではあるが高齢では無いだろうと言う事は分かる。彼はこれから私のせいで、とても、とても面倒な人生になってしまうのだ。それが一番申し訳なかった。

私が死ぬのは、百万歩譲って許せたとしても、まさか知らない人を巻き込んで死ぬなんて、やっちゃったなぁと思いながら、私はこれからの家族の事を思ったり、未だにアイスクリームを惜しいと思ったり、色んな事を考えているうちに、おじさんの声も聞こえなくなった。


 アイスクリームの匂いも無い。


 暑さも感じない。


 死の瞬間には人生一回分の走馬灯を実体験かのようにゆっくりと見る、なんて事を聞いた事がある気がするけれど、確かに死ぬだろうなと思ってからそこそこの猶予がある気がした。


 誰一人の声もせず、耳に届くのはサラサラと流れる泉の音と、小鳥の鳴き声。

涼やかな風が頬を撫でて、自然そのもの香りだろうと思われる心地よい匂いが鼻に届く。

甘ったるくないその匂いを胸一杯に吸い込んで、私は幸せだったなと思った。


 とはいえ、とはいえだ。

走馬灯は何か間違えていないだろうか。


――数世代続いている都会育ちの私に、そんな経験があるものか。


 私が寝転がっているのはコンクリートで、芝の上では無い。

確かに馬は芝も走る、砂煙を上げてダートも走る。

でもその灯りは違う、別の人のだ。


「走馬灯さん、違うじゃん……」

 声が出た。


「えぇ……」

 指が動いた。


「この期に及んで夢……かぁ」

 立ち上がって頬を思い切りビンタしてみた。

流石に他人の走馬灯に居続けるのは何だか違う気がした。


「いった!」

 とはいえ痛むのは頬だけで、本来死に際で薄れていたあろう頭の痛みが無い。

頭を触っても、ドクドクと流れていただろう血の一滴も手に付かなかった。


「キミ、何してんのさ……」

 不意に頭上から声が聞こえる。

私を轢いた不幸なおじさんの声では無く、若い少年のような声。

空を見上げると、羽ばたく黒い羽根が目に映った。都会では見る事も無いが、こんな森にならいるのだろう、図鑑でしか見たことの無い鳥だ。

その鳥は、器用に私の肩へと軽く爪を立てて止まる。

「いや、えぇ? カサ、サギ?」

 困惑しながら、肩を見ると、半身しか見えなかったが白い毛が目に入り、モフリと言うやや幸せな感触が頬を喜ばせる。

実際に見るのは初めてだけれど、まさか人語を話すとは思わなかった。ただそれも夢ならば可能かもしれない。


 ただ、死んだはずの私から声が出て、身体も動いて、痛みすらある現状。

一羽のカササギが、カシャシャと笑いながら「ようこそ」なんて事を言うのは流石にやりすぎだが、これが本当に夢か走馬灯か、私の妄想なのか、今の私にはもう判断が付かなくなっていた。

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