第2話 微笑みの才能と、威圧の才能

 『アラステア王太子殿下』を模するわたしが纏うのは、肩パットのしっかり入った襟の高い騎士服に、豪奢な分厚いマント、身長を何センチも高く見せるシークレットブーツ。ブーツはマントが翻る合間にチラリと見える程度で、よくよく観察しなければ、それに気付けない逸品だ。こうすれば、喉仏が無いことも、男にしては若干華奢な体格であることも周囲の人間には分からない。何よりわたしは幼少から鍛えに鍛えてきたから、一般的なご令嬢よりも――いや、一般的な貴族令息よりもしっかりとした筋肉質な体格をしている。



 ベンジャミンとわたしが慣れた足取りでやって来たのは、一人の騎士が守る王太子専用の小さな隠し扉の前。城にはこんな隠し通路がいくつも存在するらしい。こんな通路を用意しなければならないほど闇深い王族には、本当は関わりたくない。けど、王国の「盾」であり「鎧」である家門の矜持として、仕事とあれば我が儘は言っていられない。


 そのひっそりとした扉の前で軽く咳ばらいをすれば、微かに開けたその隙間からするりと一人の男が姿を現した。扉の向こうにちらりと見えるのは分厚いカーテン。豊穣の間の陰につくられた隠し通路の出入り口だ。


「ははっ!どこの美男子かと思えば、我が従姉妹殿じゃないか!」


 溜息が出そうなくらいの美形が、満面の笑顔で左右の肩に両手を置いてくる。

 同じ顔なのに、何をいけしゃあしゃあと言うんだ……と、馴れ馴れしく肩に置かれたままの両手を、同じく両手でパシリと外側へ叩き落とす。不満げに綺麗な笑顔が一瞬曇ったけど気にしない。


「早く入れ替わりますよ。今日は何が紛れ込んでいるのでしょう?」


 お仕事モードで冷たくあしらうわたしに、アラステアが軽くため息をつく。そんな些細な姿までもが絵になってしまう美青年。この男の全ては計算尽くしで、誰もが惹かれてしまうであろう「ふんわりとした笑みを浮かべた憂い顔」だって恣意的なものだとわたしは知っている。


 王太子である彼の、どんな感情にも柔らかな微笑みを乗せられる才能――それは、どんな表情や言葉にも殺気を込めて威圧出来るわたしとは相反するものだ。


 それが有るからこそアラステアは、国政を執る高位貴族や国内外の有力者との交渉を有利に進めることが出来る優れた君主になれる。そう、アラステア派の者達は信じている。


「そんなつれない反応をされると俺の心が張り裂けてしまうかもしれないぞ?」


 しゅんっと子犬が耳を伏せたような切なさを乗せた笑み。

 可愛いものセンサーが誤作動を起こしそうになるが騙されてはだめだ。何度も取っ組み合いの喧嘩をしてきたわたしには分かる。この男の表情の一つ一つは、政略に有利に人心に訴え掛けて動かすための計算され尽くされたものなのだ。


「俺は騙されんぞ?お前の目論見など手に取るように分かっているからな」


 わざとアラステアの声を真似て、人を寄せ付けない殺気交じりの固い気配を纏って言って見せれば、本人は心底呆れた溜息を吐く。


「俺の前でそれは不要だと言ったはずだが?そんなことではいつまで経っても嫁には行けんな」

「中途半端な男が寄って来るよりは良いですね。結ばれるなら、庇護欲をそそる愛らしい方か、頼りになる強い方を希望したいですからね。婚約者にはわたしには無いものを求めたいものです」

「ならば俺のところへ来ると良い」

「今でも充分来てるはずですが?全く、わたしの辺境ライフを邪魔しないでほしいものです」


 トントンと言葉のキャッチボールをしていたはずなのに、不意にアラステアが口ごもる。わたしたちの会話では、そんなことがしばしば起きる。頭の回転の速い人のはずなのに何故?と疑問に感じはするけど。深くは追求しないわ。嫌な予感がするし、戦いで鍛えられたわたしの直感って、結構侮れないのよね。



 さて、戯れ言は置いておいて、今回は隣国の暗殺者が紛れ込んだらしい。小さな割に肥沃なこの国は、国内の権力争いも勿論だけれど、周辺国からも虎視眈々と狙われている。


 だから、うっかりダンスの手をとったら暗殺者で、毒針で刺されるとか、挨拶に近付いた者が暗器を突き出して来るなんてことは珍しいことでもなんでもない。


 当然アラステアもそんな事は想定し、毒に体を慣らしたり、鍛えたりはしている。じゃあわたしは……と言うと、単なる影武者ではなく撹乱&炙り出し役だ。


「いつもダンスの時に代わるだなんて。わたしじゃあご令嬢の秋波は届かないし、伴侶探しに支障があっても知りませんよ?」

「問題無いな。お前の方が不快な色目を撥ね付けるのが上手いだろう?笑顔の殺気で」

「同じ令嬢として、全く興味がないだけですから、変な言い方をしないでもらえません?いい加減、婚約者を定めたら問題無いんでしょうに。王太子ともなれば、寄って来るご令嬢だけでも美しい方が選り取りみどりでしょう」


 言いながら、何故かチクリと胸が痛んで拗ねたように唇を尖らせてしまった。なんだコレ?


「お前なぁ……」


 首をかしげていると、心底あきれたアラステアの声が聞こえて、むっと顔を上げる。反射的に文句を言おうと口を開きかけたところで、ガッとおとがいを掴まれた。


「俺の前に立たせる気はないが、背中を預けられるほど信頼できる者はお前しかいない。そんな者が既に居るのに、この口は何をやれと言う?」


 切な気な笑みとは対照的に、ギリギリと力のこもる顎を捕らえる手が痛い。遠慮の欠片もない馬鹿力に、わたしの何かがぶつりと切れた。


 ごっ


 鈍い音と共にアラステアが後ろに吹っ飛ぶ。わたしは立ち位置を変えることなく、握り拳を綺麗に上方へ振り切った格好で静止した。


「おい……俺を誰だか分かっているんだろうな……」


 すぐに起き上がって来たのは、さすが鍛えているアラステアだ。普通の令息なら、握り拳で顎先へ突き上げての渾身の打撃を与えた場合、こんなに早くは起き上がって来られない。しかも、ちょっと怒りが滲んではいるけれど、微笑は湛えている。


「良かったですね、わたしの理性がまだ残っていて」

「王太子のこの俺に、攻撃を加えておいて『理性』だと!?」

「はい。そうで無ければ、今頃は令嬢らしく平手をお見舞いして、広間へと響く大きな音を立てていたことでしょうからね」

「それは気遣い痛み入る―――なんて言うとでも思ったか!?」

「思いなさいよね!?何よさっきの!顎に痕が残ったらどうする気!?」

「その前に愛らしく『お止めください』と懇願すれば良いだろう!」

「は!?同じ格好の男に懇願されたいなんてどんな歪んだ性癖よ?そんな酔狂のために、ここへ呼んでるワケ!?」

「その格好をする依頼でないとお前はここへ来んだろう!」


 潜めた声でギャンギャン言い合っていると、ベンジャミンが「はいはーい。仲が良いのは分かってるし、時間も押してるのでここまでとしましょう」と間の抜けた声を出して割り込んできた。


「っ!確かに、わたしとしたことが盾の役割を忘れるところだったわ」

「良いか、前に立たなくていいんだ。お前がそつなくフリだけしてくれていれば、その間に俺が疑わしい奴を何とかするから。黙って俺を頼っておけ」


 影武者をやらせておいて随分と偉そうな言い分だ。じっとりとすがめた視線を送ったわたしは、そのままするりと隠し扉を潜って広間の影へと滑り出た。

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