第18話 腐敗

 ネズミが嫌いな人は多い。たとえ好きな人がいたとしても、それはハムスターやスナネズミのようにペットとして飼いならされたネズミや、カヤネズミやヒメネズミのような野ネズミの話だろう。

 家の中に侵入してくるハツカネズミやクマネズミ――いわゆる家ネズミが好きな人間はほぼいない。

 家ネズミの中でも、ドブネズミは最悪だ。体長は尻尾を含めれば小さくても30cm以上。大きい物なら50cmにもなる。こいつが家の中に潜んで食料をあさったり物をかじりまわったりすれば、その被害は目も当てられない様になってしまう。


 私の実家はド田舎にあり、ハツカネズミやクマネズミは多かったが、水場が好みのドブネズミに悩まされることはなかった。しかしある日、ついにドブネズミに遭遇してしまった。

 8月のはじめ、夜遅くに目が覚めた私は、トイレに行ってからベッドに戻ろうとした。その時、中庭に面した網戸の下側で、何かが動くのが見えた。目をやると、そいつと目が合ってしまった。

 一目でドブネズミだとわかった。ハツカネズミとはサイズと体格が違う。そいつが網戸を咬み破り、家の中に入ってこようとしているのだ。明かりがついて人間が目の前にいるにもかかわらず、そいつは堂々と家の中に入ってきた。

 追いかけたものの、ネズミのすばしっこさに勝てるわけもなく、すぐに見失ってしまった。放置すると惨事になるのは目に見えていたので、ネズミが動き回れないようにふすまから戸棚に至るまですべての戸を閉め切り、台所などネズミの被害にあいそうな部屋だけ入念にチェックした後に眠った。

 必ず見つけてぶっ殺してやると思いながら。


 それからしばらくたったが、家の中をドブネズミが荒らすことはなかった。その時は、家から追い払えたのだろうと思って安心したが、実際はそうではなかった。

 夏の終わりごろになると、異臭が家の中に漂うようになった。嫌な予感を抱きながらにおいの元をたどっていった先には押入れがあり、開けるとあのドブネズミの死体があった。

 どうやらあの日に押入れへ逃げ込み、その後に私があらゆる戸を閉めてしまったので、閉じ込められてそのまま死んだようだ。食べ物や水がなければネズミは1日か1日で餓死する。

 夏場に1か月近く放置されていた死体は、ウジや虫こそ湧いていなかったものの、それは無残な有様でひどい腐臭を放っていた。死体を改めて見ると、しっぽも含めたサイズは40cm以上あった。子猫ぐらいだったら餌にしてしまえるだろう。まさか、こんな形で被害を受けるとは思わなかった。


 私は死体を始末し、不要な布で残った組織を拭き取り、アルコールで拭いたうえで殺菌のために塩素系漂白剤をぶちまけて乾燥させた。臭いは消えたものの、押入れの床には腐敗したネズミの体液が染み込んでしまい、ネズミの形をした黒い染みが残ったまま取れなくなってしまった。

 害はないが、これから冬になってストーブやケースの中の毛布を取り出すたびにネズミの死体スタンプと対面するのは嫌だったので、家族と話してこの部分だけ張り替えてもらうことに決めた。業者もすぐには来れないので、その時までは使わないベニヤを敷いて隠しておくことになった。

 それから2週間ほどたって張替え業者に来てもらい、ベニヤを取ってみると、あの忌まわしいネズミスタンプが消えていた。何か間違ったのかと思ったが、どこを見てもない。時間がたって消えてしまったのだと結論付けて、業者には手数料だけ払う形で帰ってもらった。


 これで一件落着かと思ったが、別の問題が台所で起こっていた。祖母が畑でとってきたナスやピーマンを入れておいた段ボールが横腹を食い破られ、中の野菜がズダズダにされていた。やり口と歯型から見てネズミ――それもドブネズミだということは間違いないと思われた。かじられただけでなく、おまけのように黒い汚れをあちこちにつけまくっている。

 先月の奴と言い、最近になってドブネズミが近所で増えてきたらしい。ひとまず排水溝などが簡単に開かないようにして、ネズミトラップを買ってきて対策をすることにした。これで止まないならネズミ駆除の業者を呼ぶ必要があるだろう。

 やはりネズミは嫌だなということを家族が話している横で、私は被害にあった段ボールと野菜についていた黒い汚れのことを考えていた。

 あれは腐敗した体液の臭いを放っていた。

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