第2話 風呂は2億3000万km彼方に②

 2032年。人類はようやく火星に降り立った。

 大気は地球の0.75%の気圧しかなく、ほとんど二酸化炭素ばかり。平均でマイナス50度未満の気温。40%しかない重力。

 表土には有毒な過塩素酸塩があるために、そのままでは植物どころか菌すらも育てられない。地磁気と大気が薄いせいで、宇宙からの放射線は遠慮なく降り注ぐ。


 いくら資源があろうとも、地球に比べれば魅力的とは程遠い世界。

 しかしその程度の障害で、外の世界に進もうとする人間の本能は止められない。

 20年の間に無人探査機と人工衛星と調査員を送り込んで場所を選ぶと、無人工場を次々と投下して人類が住む下準備を行わせた。

 地球ではレールガンを利用したマスドライバーでロケットを使わずに軌道上に物資を送り届けられるようになり、軌道上で宇宙船を作って、そのまま荷物を火星や月にもっていくようになった。

 さらには核融合発電を完成させ、月からは燃料のヘリウム3を採掘しては、開発を進めるためのエネルギー源に変えた。


 そうして火星に人が降り立ってから20年もすると、火星で1年以上過ごす記録が達成された。放射線を防ぐために地磁気が強い場所を選び、地面の中にシェルターのような造りの基地を立てて生活する。

 20世紀の南極観測基地よりも不自由だったが、それでも人間は我慢した。

 1年間我慢ができるようになれば、次は長く住めるようになることを求める。地下から氷を採掘して水を確保し、大気中のメタンと二酸化炭素で燃料を作る。土と地下資源から材料を精錬し、3Dプリンターで部品や資材を作った。

 それからまたもや20年ほどの努力を経て、火星での生活は21世紀初めの南極基地程度の贅沢が許されるようになった。

 水耕栽培で新鮮なトマトが食べられるし、魚を養殖することも可能になった。

 住処は基本的に地下ばかりだが、地上で過ごしても問題がない程度の線量の場所なら窓で外の景色が見れる生活が楽しめる。見えるのはどこもかしこも赤褐色の砂と岩だけだが、少なくとも空を見上げることは可能だ。

 新たに開拓した場所の生活を豊かにしていくことは、人類が何度となく繰り返してきた工程だ。


 そして、新天地が開かれれば商売が始まる。それは火星でも変わらない。

 誠らがいるこのプラントは、12年前から火星事業に参入したNUT社が建造した。エネルギー・化学・建設の分野で事業を行っている企業で、火星では主にメタン採取と精錬、建設事業を、各国の宇宙開発局や他の民間企業から受託して行っている。

 火星のメタンは主に火山から放出されているので、採取用プラントはその近くに建設する。とはいっても火星の開拓はまだ始まったばかり。基地を建設するのに適した“人気スポット”はそこそこの規模の基地が建設されるようになっているが、資源が採取できる地域はそうした基地の多いポイント(秋子曰く「都会」)から離れている。


 結局、火星に初めて乗り込む前と同じように、無人工場を作って機械にやらせることになった。

 そして、工事現場には現場監督がいる。融通が利かないロボットの状態を把握して問題が起きた時に対処するクルーも同時に派遣されるのが標準的な手続きとなった。

 そうしてジャックや誠ら6人のチームが主要基地からはるか離れた採掘現場へと送られ、風呂どころかシャワーもない生活を送っている。交代は火星の日数で100日区切り。かつて石油採掘産業において使われていた石油リグでの生活にも近い。

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