王座についてから百年足らず。更に己を鍛え抜いた(無論、愛する魔族たちを守るためである)ゼオギアは、人間界の強国をたったひとりで下し、名実共に魔界の覇者となった。


 最強無比、質実剛健にして寡黙、慈悲深い名君として、多くの魔族たちが魔王を慕っている。

 それというのも――


「おぬしが歯の浮くような台詞を誰彼構わず口走ることのないよう、わらわが目を光らせて正解じゃ。とはいえ、もう少し自重してくれねば追いつかぬぞ」

「す、すまない……」


 お目付け役の王妃にたしなめられ、魔王はいかつい肩を縮こまらせる。その姿は、部下を前にしている時の毅然とした立ち振る舞いとはかけ離れていた。


「今日も、“遠見とおみの水晶玉”で部下の危機を知るや否や、一目散に人間界へ降りていきよって……」

「そ、その、今回は本格的に危ういと、いてもたってもいられず……」

「斥候を助けに行く王がどこにおるのじゃ。勇者一行も、さぞ戸惑ったじゃろうが……おぬし、ずいぶんとそれらしい台詞を吐くので驚いたぞ。本当に人間たち相手には冷静に喋れるのう」


 離れた対象を観察できる魔道具“遠見の水晶玉”で、勇者一行と魔王の対峙を見ていたリリスは、その堂々たる振る舞いを思い返し、感心するやら呆れるやらという口振りだ。


「うむ、人間のことは何とも思わぬからな。勇者たちも、よい面構えだとは思ったが、それ以上は特に」

「その冷静さを少しは部下に対しても持ってほしいものじゃが……先程も、あのように高度な治癒魔法をみだりに使いおって。ギギラが恐縮するのも当然じゃ」

「面目ない……」


 リリスに諭されて、ゼオギアはすっかり項垂れてしまった。

 王妃というのは、あくまで表向きの名目。先代魔王――つまり師のような存在であるリリスに、現魔王は頭が上がらない節がある。


「そんな調子で、この先どうする? 人間どもとの戦争が本格化すれば、傷つき、戦いに倒れる兵士たちはごまんと出てくるぞ。おぬし、平常心でいられるのか?」

「そう! そこなのだ……!」


 ゼオギアは顔の片側を手で覆い、眉間の皺を深々と刻んで、苦悩の表情をありありと浮かべた。


「人間界を占領し、住み良い領地と潤沢な資源を手に入れ、豊かで幸せな生活を皆に送らせてやりたいのは事実……しかし! できれば誰にも傷ついてほしくはないのだ……!」

「それは無理な相談というものじゃろう。これは戦じゃ。いずれ犠牲者も出よう」


 リリスに淡々と現実を突きつけられて、魔王は沈痛な面持ちで頷く。


「わ、わかっている……一人につき、百五十年ほど喪に服しても……?」

「良いわけなかろう!」


 己の細く短い腕が隣の玉座まで届くなら、リリスは魔王の額でも叩いてやりたいところだった。


「くっ……俺が一人で人間界を征服できれば、誰も傷つかずに済むのだがッ!」

「……まったく、またそんな無茶を言いおって」


 悔しげに拳を握りしめるゼオギアに、リリスはほとほと呆れたとかぶりを振る。

 ……正直、まったく不可能とも言い切れないのが恐ろしいと内心思っていたが。伝えると実行に移しかねないので、口にはしないでおく。


「そもそも、前にも言ったじゃろう? おぬしがあまり前線に出ると、部下の立つ瀬がない。忘れたのか? おぬしが単身で、ゲートを抑えんとする強国を崩壊させた時のことじゃ」

「もちろん覚えている……魔王の俺が自ら出たのは、自分たちが不甲斐ないせいではないかと、皆ひどく恐縮してしまっていたな……」

「じゃろう? 甘やかすことが部下の為になるとは限らんのじゃ。そもそも魔族には、戦いに愉悦や存在意義を見出す者も多い。それを取り上げるのは酷というもの」

「うむ……」


 神妙に唸る魔王に畳み掛けるように、王妃にして先達でもあるリリスは、よいか、と言い聞かせる。


「くれぐれも、部下におぬしの溺愛っぷりを露呈することのないよう気をつけるのじゃ。皆、魔王ゼオギアを慕いながらも、畏れておる。あまりにもおぬしからの押しが強いと、恐縮して離れていくかもしれんぞ」

「そ、そんな……!」


 脅しにも等しい忠告に、ゼオギアは両手で顔を覆ってしまった。


「可愛い部下たちに避けられるようなことがあっては……お、俺は魔王など続けられない!!」

「馬鹿者、軟弱なことを言うな! わらわから王座を譲り受けておいて……魔王の重荷は、全て自分が引き受けると言ったではないか!」

「も、もちろん、リリスに言ったことに嘘はない! しかし、もし皆に疎まれてしまったらと想像するだけで……うぅっ」

「ええい、しっかりせんか! おぬしがそんな調子では、わらわは向こう三百年は引退できんではないか……!」


 まだまだ目を離せそうにない若き魔王を前に、リリスは頭を抱える。

 そんな彼女の心労をわかっているのかいないのか――ゼオギアは顔を上げると、むしろ嬉しそうに頬を緩めた。


「そうなのか? ならばよかった……俺はリリスに、ずっと隣にいてほしいからな」

「…………」


 あまりにも真っ直ぐな言葉に、リリスはすっかり呆気に取られる。

 そして、自身の表情を見られぬよう、ふいと顔を背けた。


「……おぬしを魔王に指名したこと、早まったかのう」

「な、なぜだ……!?」

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