残酷な現実

『俺には〝道〟がえるんです』


 いつのことだったか、りょーちんはインタビューでそんな名言を残したという。

 いわく、自分の目には最適なドリブルの経路やボールの軌道が道のように見えている。今も昔も自分はずっと、その「道」をなぞっているだけだ――と。

 数あるりょーちん語録の中でも、このセリフは特に難解とされている。物理的・感覚的に人と違う世界が見えるのはギフテッドの特性だし(水原もそうだよな)、普段から独特なセンスの例え話をするからだ。本当の意味は本人以外わからない。

 とにかく、そんな超感覚の存在をしれっと口にする天才は、ボールに見立てた黒板消しめがけて左脚を振り抜き――


「まずは一発、けるなよ!」


 狙い澄ましたオーバーヘッドを〈モートレス〉にぶち込んだ。すでに額を割っている指が、黒板消しの直撃によってさらに深々と打ち込まれる。


「ギャアアアアアア!」

『決まったァ――ッ! 華麗な宙返り!』

杭打くいうちバイシクルシュートですね。頭上から鋭く切れ込む一撃で、巨大な怪物を仕留めました』


 ぐちゃっ、と何かが潰れる音がオレの耳にも届いた。卵状の〈モートレス〉は枠ごと窓を突き破り、ベランダから転落。絶叫しながら暗がりに落ちていく。


【×避けるなよ! ○逃がさねえよ!】

【カッコよすぎて変な声出た】

【りょーちん(アルティメットサッカー選手のすがた)】

【解説ぶっ飛んでて草】


 コメント欄が一気に盛り上がり、投げ銭が飛び交う。乱れ飛ぶ文字は激流となって、オレの視界を埋め尽くす。大事な試合で先制したかのようなお祭り騒ぎだ。

 りょーちんは敵の末路を見届ける間もなく、机の天板に右手をついた。そこを軸に、空中で身体をひねって時計回りに素早くターン。跳ね返って三面ムカデのほうに飛んでいった疑似ボールを追いかけ、もう一度駆ける。


「みじゅゲら……みぃ、じュ、げ、ダあァあああ!」

【うわああああああ】

【なんて言ってる? 見つけた?】

【そういやまだワームおったやん】


 目を見開いた三つの頭が上空から急降下しつつ、血を吐きながらそう叫んだ。見つけた、か。うん、オレにも確かにそう聞こえる。

 ああなってもまだ意味通じる言葉しゃべれるんだな。感心する反面、かわいそうだとも思ってしまう。だって、まだ人間としての意識が残ってるってことだろ?

 相手と面識がないこともあってか、声を聞いてもりょーちんは止まらない。そりゃまあ、災害相手に情けをかける必要なんか――


「ぁ――いみ、らカ……」


 三人の顔がすぐ近くに迫った瞬間、オレは聞いてしまった。自分の名前を呼ぶ舌足らずな声を。

 黒板消しが落ちてくる。〝天上の青セレストブルー〟がそれをとらえる。窓を壁ごとぶち破って、がりょーちんに迫る。


【イケメン対阿修羅ムカデとかすげー絵面えづら

『残すはもう一体、どう出るりょーちん!』

 

 どうする? どうしよう。止めるな、止めるべき、止めなきゃ――!


オルヴォワールまたな!」

『ゴ——ル! 二連発、見事決めました佐々木選手!』


 りょーちんの右足から放たれたボレーシュートを受け、敵は教室の外に弾き出された。長い体が空中でバランスを崩して大きくのけ反り、ムチのようにしなって頭から落ちてくる。


アデューあばよじゃないのか……】

『ここは逃げるが勝ちですからね。文脈的には間違いありませんよ』

「やったか?」

『ああ。お前の狙いどおり、デカブツは気絶した』


 りょーちんは息ひとつ乱さず床に着地し、オレたちのほうに駆け寄った。そこにテッシーの『伏せろ!』という声が飛び、川岸もさっと身を縮める。

 最推しが近くにあった机を抱えて盾にした瞬間、強い揺れと細かい瓦礫がれきがオレたちに襲いかかった。


『あーっと、〈モートレス〉が校舎に激突! どうやら気絶したようです!』

【ダウンしたぞ 部位破壊はよ】

【それなんてモンスターハント?】

『この大きさで脳震盪しんとうを起こせば、自然回復には時間を要します。りょーちん、生徒さん、今が避難の大チャンスですよ!』


 ゲームの世界でも、モンスターは気絶させるとしばらく経ってから目を覚ます。このわずかなインターバルをどう使うかが生死のカギを握るんだ。

 相手に「あきらめる」の選択肢がないようだから、減災……撃退はあり得ない。どこか広いところに誘い込んでするべきだろう。


「よし、避難しよう。ちょっと手荒なのは我慢してくれよな」

「へ? なに? 何する気ですか先生!」

「りょーちん、でいいぞ川岸。そっちのが呼びやすいだろ?」

『うまく話を逸らしたなこやつ』

「心配するなって、俺は海育ちかつ都会っ子だ。サーフィンといえば富士川海岸、パルクールとスケボーも覚えがある」


 理屈ではわかってる。でも――アイツら、知り合いなんだ。今朝も一緒にバカ言って笑った。あんな姿になっても、まだオレの顔をおぼえてる。

 それを、りょーちんが鎮圧する? 最推しが……人を、アイツらを殺すのか?


「嫌、だ……やめて、もうやめてください!」

『こら、暴れるな! 倫理的に受けつけないのは分かるが、もう手の施しようがないんだ!』


 りょーちんは川岸とオレを両腕に抱え、まだピクピクいってる舌の切れ端に片足を乗せた。元の持ち主はテラスの柵に寄りかかったまま、起き上がってこない。

 オレは錯乱していた。それを知ってか知らずか、拘束から抜け出そうともがくほど、りょーちんは腰に回した腕をがっちり締め上げてくる。


「オレ、聞いたんです。アイツらが言葉を話し、オレの名前を呼ぶ声を」

【呼んでねーよ しっかりしろ】

【どうした男子 ご乱心か?】

【友達だったんじゃね ご愁傷様】

「お願いします。なんとかなりませんか? オレには無理でも、あなたなら救えるかもしれない。最初から切り捨てるなんて、りょーちんらしくない!」

「小林くん……」

「お願いします。みんなを助けてやってください!」


 この時のことを、オレは一生忘れないだろう。りょーちんは深く静かに息をつくと、床に転がる舌先を窓のほうに向け、無言で地面を蹴り出した。

 血の色に塗られたフローリングを滑走路代わりに、肉片はツルツル滑っていく。囲いの壊れたテラスの手前、二階との境目に頭を突っ込んだ〈モートレス〉の首元で、憧れの人は足を止めた。


「言いたいことはそれだけか?」


 人間として大事なものを失った、低く冷たい声。愕然がくぜんとするオレには目もくれず、声の主は全体重を前にかける。

 小刻みに震える真っ赤な舌は、川岸の悲鳴とともにウォータースライダーさながらのスピードではらわた製の坂を滑り落ちた。

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