side:澪 その4
『次は特集です。完全自律型AI〈エンプレス〉による大規模サイバーテロを受け、宮城県逢桜町が封鎖されてから丸一年が経ちました』
「早いなあ。もうそんなに経ったのか」
お父さんはネットニュースの動画を見ながら玉子焼きに
動画の中では、女性キャスターがパネルを指差しながらこの一年の経緯を振り返り始めた。いい機会だから、食事をしつつ耳を傾けてみよう。
『逢桜町では日没が近づくと、磁気嵐とともに人間が怪物と化す現象が発生。町民へ無差別に襲いかかる殺傷事件が多発し、犠牲者は今も増え続けています。事件後、犯人とされる自称・完全自律型AI〈エンプレス〉は消息を絶ち、国際的な有志のハッカー集団がその痕跡をたどっていますが……』
【限りなく無理ゲーに近いっスね(日本人メンバー
『NAO氏によれば、大規模かつ周到なIPアドレスの偽装に加え、入り組んだ調査経路に仕込まれた無数のバグとマルウェア、コンピュータウイルス、さらにはプロですら覚えのない未知の通信暗号化手法が使われていたことが発覚するなど、数々の障害が調査の妨げになっています』
画面が切り替わり、スーツを着た男の人が視界に入った。ついこの間、逃げるように辞めた日本国首相から代打を任された〝くじ引きおじさん〟だ。
国を揺るがす大事件を受けて誰も責任を負いたがらない中、史上最年少の四十代で担ぎ上げられた総理大臣は苦虫を
『政府はこれまで、防衛上の機密を理由として国内外から寄せられる疑問や不安の声にほとんど応じてきませんでしたが、情報開示の必要性や公にする範囲を見直したとして、先日、官邸で
去年は「中学校生活最後の」が接頭語になっただけですべてが輝きを増し、何気ない日常こそが強く印象に残る年のはずだった。
体育祭、文化祭、修学旅行に高校受験。イベント尽くしで話題に事欠かない、濃厚で充実した一年になるはずだったのに、どうして印象的なエピソードが何一つ浮かばないほどの薄味になってしまったのだろう。
『〈特定災害〉対策に係る特別措置法――〈特定災害〉特措法に基づき、発災当時宮城県逢桜町におられた国民の皆さん、および国内外から逢桜町へお越しになった観光客の皆さんに対し、封鎖開始までに七日間の猶予を設定。町外への退避、または親類縁者の方と最後の別れをしていただきました』
構想自体は以前からあったものの、解釈に幅があるとして熱い議論を巻き起こした「サイバーテロ対策特措法」という仮名の法案。それがすべての元凶だった。
事件のあった日、衆議院ではちょうど参議院からこの法案を突っ返された件について話し合いが行われていた。一部の議員は再議決による成立を狙ったけど、もう一回再検討すべきだって意見が大多数。法案はボツになりかけたらしい。
ところが、議決を取ろうとした瞬間〈エンプレス〉が議事堂内のモニターをジャックし、犯行声明を中継したからさあ大変。しかも内閣府の職員と自衛官、多数の一般人が巻き込まれ、首相も国会もそっちのけで戦争を始めてしまったのだ。
『このまま放っておくと、わが国はAIの奴隷になってしまう。それでいいんですか、皆さん? この法案はまさしくこういうサイバーテロへ対処するためのものではありませんか』
『それでも私は反対だ。こんなブラックボックス認められるか!』
『現場では今、国民とインバウンドを護るために最前線で命を張っている方々がいます。長期的には警察や自衛隊が投入されるでしょう。ですが、情報が少ない今は未知の敵と接触した彼らもまた、貴重な人材と考えるべきです』
『議長! 小野瀬議員の妄言を止めてください!』
『総理。今、我々に求められているのは何でしょうか? 政府によるバックアップ。素人にも扱える防災グッズ。そして、法を超えた
『ふざけるな! 一般人に超法規的措置を適用しろというのか!』
『りょーちんだけじゃない。あの女子中学生はもちろん、逢桜町内にいる老若男女全員を特別扱いとすべきです。疑念がある点は後日改正する、と附則をつければよろしいではありませんか!』
ウソみたいな話だけど、当時与党のヒラ国会議員にすぎなかった現首相の即興演説を聞いて議員たちが団結。かくして日本史上最もガバガバな法律が誕生、即日施行となって、あの日逢桜町にいた全員の人生を狂わせたのだ。
自由を、喜びを、楽しみをも奪われた小さな田舎町に残されたのは、底の見えない絶望だけ。とりわけ、東北の冬のように厳しい受験や就職活動を乗り越えた先にあるのが「三月二十七日以降に取得した住民票の写しを提出してください」という壁だった先輩たちの苦しみは、とても推し量りようがない。
【これが現代の部落差別、これが終わりなき風評被害。逢桜の人間というだけで、私たちに明日はないのか】
町内在住のある男子高校生は指示に従い、その結果として進学予定だった東京のある大学から入学を断るという内容の通知を受けた。心配する人たちの前では気丈に振る舞っていたそうだけど、町外との行き来ができなくなる猶予期間の最終日に、JR仙台駅のホームから貨物列車が迫る線路に飛び込んだそうだ。
さっき思い出したのは、その先輩がノートに
『皆さんに、残念なお知らせがあります。昨日、担任の――先生が亡くなりました』
朝、ざわつく教室へ入ると、教壇に花瓶が置かれている。学年主任の先生が来て、担任が亡くなったことを知らされる。橋の上から川に飛び込んだか、突然の事故か、病気か、それとも――。
心がざわつく。静かな池に小石を投げ入れた時のように。さざ波が立ち、水は揺らぎ、二度とあの顔を見ることはないのだという事実を突きつけられる。
でも、誰を
(またか)
自分が死ぬのは相変わらず怖い。死は悲しく、悔しくてつらいことだ。けれど、あたしはそれを理由に泣くことをやめた。嘆き悲しんでも、現実は変わらないから。
いつ来るとも知れない、理不尽な「終わり」。立ち向かい方を知らないあたしたちは、ただ涙をぬぐい、顔を上げて、その日が来るまで尊い犠牲を踏み越えていくしかない。
(あたしは、生きたい。生き残りたい)
(でも――どうやって?)
(いつまでこんな生活を続ければいい?)
被害者を「命があるだけ良かった」と励ます人がいるが、言われた側にしてみればこれ以上に腹立たしく、モヤモヤする言葉はない。私たちの苦しみは助かって終わるのではなく、助かってからが始まりなのだ――。
いつか聞いた、けれど実感のなかったこの言葉の意味が、今は身に
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