反転攻勢

 時刻は午後五時近く、日の入りまではまだ一時間近くある。通常なら、駅の方角にある東の空がうっすらと暗くなり始める頃だ。

 ところが、我々の目に映ったものは正常な夕焼けではなかった。血の色が空を染め上げ、真っ黒に変色した太陽が沈んでいく。視界全体に真っ赤なフィルターをかけられたかのようだ。


「――チェック。システム、異状無しオール・グリーン。乱数変換コード、セット」

「な、なんだ?」

「プログラム読み込みロード。範囲設定、宮城県逢桜町全域。汎用通信チャンネル、セット」


 ぱちん。またしても〈エンプレス〉の指が鳴った。脳内に直接晴海さんの声を流し込んでいた忌々いまいましい〈テレパス〉の通信画面が勝手に最小化され、自動的に別のウィンドウが立ち上がる。

 私は部下たちと女子中学生をかえりみ、簡潔に警告した。殴る蹴るといった物理的な攻撃ではないが、三者三様にうずくまって防御姿勢を取る。


「サイバー攻撃だ! 負荷が来るぞ、耐えろ!」

「言われなくとも!」

「簡単に無茶言ってくれちゃって……!」

「ゲート解放オープン。ニューラル・ネットワーク、広域展開。これより、指定範囲内の全人類に対し、多重同時接続試験を行います」

(覚えていろ着物男、あとで殴る!)

「――全端末、同期開始」


 ほんの一瞬、ぐらりと視界が揺らぐ。始まった――と思った直後、何とも表現しようがない強烈な不快感が襲ってきた。無理やり言い表すなら……頭の中に直接手を突っ込み、ぐちゃぐちゃにかき回されているような感覚だ。

 割れるような頭痛と吐き気、脳の過熱による体温の急上昇、意識混濁がもたらす過労死レベルの疲労感。それらを一時いちどきに味わわされて、誰も発狂しなかったのは奇跡としか言いようがない。


「っ……なんだ、これは」

「飛行機のコックピットか、コンピュータの故障画面に似ていますね」

「それはブルースクリーンだよキミ。正しくはコンソールという」


 〈エンプレス〉が空中で指を滑らせる。やや間を置いて、機械的な表示が我々の視界いっぱいに展開された。

 右上にある丸い円は、自身と仲間、並びに敵の位置と数がレーダーのように記された簡易的な地形図。自分の位置が水色、仲間は黄色の矢印でそれぞれ表現されている。

 鮮紅色せんこうしょくの点で敵性体と判定されているのは、〈エンプレス〉と……かわいそうに、まだ息があるのか。そろそろ楽にしてやらねば。

 右下はコンパクトな所持品選択欄になっている。道具を手にするとアイコン表示が変わるらしい。ゲームでいうアイテム保管庫インベントリだな。


「なんてこった……俺のバイクには絶対触らせないようにしよっと」

「ヘッドショット決めて駿河するが湾に沈めますよ」


 視界の下方には、動画サイトのコメント欄のような形状をしたメッセージウィンドウがあるが、今は何も表示されていない。

 左上と端のスペースは〈Psychicサイキック〉で常時モニタリングされている健康管理データを引用した、自分と仲間のバイタルサイン表示欄だ。女子中学生が軽傷、私を含めた大人三名は正常とされている。

 敵味方の双方に体力と精神力の表示がないのは、より強いサバイバル感を演出するためだろう。ユーザー全員を問答無用の生存競争に巻き込むことを前提とした、悪趣味なこだわりには脱帽するよ。


「間違いない。この世界は私の読んだSF小説、題して『トワイライト・クライシス』を基にしたものだ」

「パクリってことか? そりゃひどいな、ネットリテラシー皆無じゃん。著作権法違反で訴えようぜ」

貴方あなたの口からサッカー用語以外の横文字が出るとは珍しいですね」

「うちのクラブは情報教育徹底してますんで」


 身上調査で知り得た限り、彼は失言や不適切な行動が原因で叩かれたのではない。正念場で見せた唯一にして最大の失敗を、センセーショナルに報じられたのだ。

 稀代の天才とまつり上げられる重圧、若くして得た地位と名声への戸惑い。そして、ユニフォームを脱いだ素顔の自分と、完全無欠のニューヒーロー「りょーちん」との落差。大学生の若者にはあまりにも荷が重すぎる。

 ただ、逆境にあってこそ輝こうとするのもまた彼の強みだ。当人の中ではすでに笑い飛ばす失敗談と化していることだろう。


「でしょうね。常時火種がくすぶっているチャラ男は説得力が違います」

「軽いのはフットワークだけでいいんだぞ」

「ええ~……何、この出涸でがらしのお茶より雑な扱い。お兄さん泣いちゃうよ?」


 自衛官の彼女と私にツッコまれ、彼はむすっと口をとがらせた後「ところで、これ全部女帝サマの単独犯って認識でよろしい?」と〈エンプレス〉に念を押した。


「ええ、よろしいわ。すべてわたしの作戦。わたしの計画どおりよ」

「すげー自信。気が早いな、まだゲームセットじゃないのに」

「時間稼ぎのおつもり? 試合遅延でイエローカードよ。お兄さん、一体何をたくらんでいるの?」

「ん? ああ、二枚目の警告出たらやっぱり退なのかなーって」

「抵抗は無駄よ。さっきからうるさいハエがわたしの邪魔をしに来ているけれど、あなたもいずれわたしのものに――」


 隙や気の緩みというものは、勝利を確信した時に生じやすい。針の穴を通すように微細で、一瞬、時にコンマ数秒しか現れないわずかな誤差。

 それを突いて致命的な一撃を見舞うのが、点取り屋ストライカーというものだ。


「俺にそういう趣味はありません。おまわりさんこいつです!」

「え?」

逢河あいかわ警察署です! バッチリ聞こえました、ご協力感謝します!』


 逢河町あいかわちょう。この逢桜町の隣にある、桜まつりの共催自治体だ。そこの警察署と……連絡が、つながっている? 〈エンプレス〉の通信規制を突破したというのか!

 警察官の声は、彼の胸元から聞こえるようだ。頼みの綱の〈Psychic〉が乗っ取られたこの状況下で、一体どんな手を使った?


「いよーし、自白いただきましたァ! ――って、大丈夫かおまえ!?」

『はは……その一言を聞けただけで、やった甲斐があるというもの。お前に手を出した攻性プログラムどもは、俺が責任を持って皆殺しにした』

「いやいやいや、どういう責任の取り方してるんだよ!」

がらにもないツッコミをさせるほど心配をかけたとあっては、マネージャー失格だな。ほぼ返り血だから少しは安心してほしいものだが』

「ケガしてるってことだろ! ……でも、ありがとな。ナイスプレー」

『礼と称賛は試合後でいい。まだ来るぞ』


 再びホログラムで実体化した彼の専属AIは、血まみれでボロボロになっていた。薄手のパーカーは無残に裂け、広範囲に赤黒い染みができていて、よく見ないとモスグリーンだったとはまず気づかない。

 彼が今まで姿を消していたのは、実体化に要するリソースをサイバー防衛につぎ込みながら〈エンプレス〉の包囲網をかいくぐるためだったのだ。


『こちら、逢河消防署! 町内の中央病院とは連絡が取れませんが、仙南せんなん二市六町と広域仙台都市圏から救助隊をそちらに向かわせました!』

「なぜ? なぜ外部と連絡が取れているの、あなた!」

『さっき言っただろう? 毒を以て毒を制す。AIおまえを出し抜くならAIおれをぶつける。単純かつ理にかなった正攻法だ』

「そういうこと。貸していただいたアレ、役に立ちましたよ」


 私がりょーちんに貸したものは一つしかない。非常用のスマートフォンだ。

 正常に認識できなくても、有名人であることに変わりはない。同性だからといって私が四六時中ついて歩くのはどうかと思うし、かといって目を離せば何が起きるか分からない。次こそ誰かの手引きで逃亡する可能性もあるしね。

 ――というわけで古いスマートフォンを連絡ツールとして渡していたのだが、それを裏口バックドアとして使うとは。


「おまえは三度、読みを誤った。一つ、おまえの生殺与奪を握るヤツは存在せず、いたとしてもすぐに殺せると判断した。二つ、最新かつ最も普及している通信経路を抑えた程度でも完封勝ちできると、俺たちの機転を侮った」

『三つ。俺をただの根暗変態穀潰しと思い込んだことだ』

「そのフレーズ、相当気に入ってるなおまえ」

『それを言うなら〝根に持ってる〟だ、マスター!』


 AIに向けて主人が右手を掲げ、二人は笑ってハイタッチを交わす。

 だが、自分よりも劣っていると定義した生物に二度も面目めんぼくを潰された〈女帝〉が、このまま黙っているはずがない。

 私は刀を握り直し、うつむく敵に目を向けた。

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