ヴィアレット家物語

Yuna=Atari=Vialette

プロローグ

 これは人形の双子の物語。

 ひとりの少女が見た夢の続き。

 人に愛される存在の人形が、人を愛する存在へと成った不思議なお話。


***


 夢を見たの。

 お伽話のような不思議な夢を。

 

 私の部屋に知らない少女がひとりいました。

 その素敵なお客様は少し不思議な存在でした。

 顔は百合の花よりも白くて艶やかで、瞳は左右で赤と青に分かれていて夏の夜空に浮かぶ星のように美しく輝いていました。腰まで伸ばされた髪はよく手入れがしてあって、色は松の葉の深い緑がかったよう。特に目を惹いたのは、左の頬には紫色の星と月のタトゥーがあったことでした。

 だけど、もっともっと不思議に感じたのは、彼女の手を見た時。

 桃色の可愛らしい洋服から伸びた彼女の手首や腕には、球体同士がつなぎ合わされた奇妙なくぼみが空いていました。

 彼女は球体関節人形の身体を持っていたのでした。


 私は彼女を庭に誘いました。

 その日は麗らかな春の優しい陽気に包まれていて、ライラックやスミレといった紫の花が淡く咲き誇っていました。お気に入りの帽子を彼女にかぶせて、そっと庭の真ん中にある小さな丸屋根へと手を引いて。彼女の手はとても小さくて、少しひんやりと冷たかったことを覚えています。

(この丸屋根には帳が付いてるの。降ろしてしまえば、誰にも見られないわ) 

 私は確か彼女にこう言いました。彼女は静かに頷くと口を動かして何かを言っていました。夢とは不思議なもので、彼女は何か言っていたと思うのですが声が聞こえませんでした。ですが、彼女の伝えたいことが私には理解できていました。


(もし生まれ変わるなら貴女になりたいわ)

 私は今しがた通った道に咲くスミレの茎にも等しい細く痩せた腕で、彼女を抱きしめました。

 彼女は何も答えず、ただ私の腕の中でじっと話を聴き、時に小さく頷いてくれました。散々に私はとりとめの無い話をした後、最後にこう言いました。

(私は貴女のようになれるかしら)

(…)

 彼女は私の紫色の瞳を見つめて、小さく頷き何かを言いました。

(嬉しいわ)


 目を覚ました時、私は自室のベッドの上にいました。

 周りには、私の行く末を悲しみ悲嘆に暮れる愛する人々が取り巻いていました。

 私の生まれた家は、世界有数の大財閥ヴィアレットでした。幼少の頃から、私にとってこの家は全てであり、世界そのものでした。美味しい物を食べ、綺麗で清潔な服を着て、古めかしくも美しい調度品に囲まれ、優しい人々にかしづかれて生きてきました。

 ですが私の全てはここだけでした。

 私は外の世界を何も知らず、あまつさえ脆弱と称していいほどに病に冒されやすい体質でした。ほんの小さなパーティでさえ出席するたびに熱を出し、太陽の外に出ればめまいを起こして昏倒するような身体でした。

(これでも社交の場では紫の薔薇と呼ばれたのよ)

「うふふ…」

 私は熱に侵された幼児のように、夢を思い出してつい吹き出してしまいました。今では一夜の花ですらないこの身には随分と過ぎたあだ名と言うのに、彼女にはつい見栄を張ってしまった自分が可笑しかったのでした。

「結那…。笑ってるの?」

 かすんだ光の向こうで、私の愛するお母様が問いかけました。

「お母様…。私は生まれ変わったら、お人形さんになりたいわ」

 水を肺に流し込まれてしまったような、おぞましい息苦しさに堪えながら、それでも私は夢の話を途切れ途切れに伝えました。

「双子の…太陽のように…紅くて、夜空のように蒼い瞳を持った…可愛らしいお人形になりたいの」

「お人形に…?」

 お母様は熱にうなされる私の手を取って尋ねました。

「…ずっとずっと生きていたいの。可愛らしくて、みんなを愛する…そんなお人形になって…ずっと生きていたいの…」

 後ろで心配そうに見守ってくれている執事やメイド達がそれぞれ目頭や口を抑えて

「…そう。分かったわ」

 お母様はたったそれだけを言うとあとはぎゅっと私の手を握って俯いてしまいました。

「うれしい…」

 私は朦朧とする意識のなか、息も絶え絶えになりながらそうひとことだけ言いました。段々と目の前が暗くなっていきました。

「お嬢様!?」

「お嬢様!!!」

 真っ暗闇のなかに私を呼ぶ声だけが響き渡りました。ですが、私はもうその声に反応することはできませんでした。

 そして次第次第に、その必死な声は小さくなり、静寂と闇が私を包み込み、私の命はそこで尽きたことを悟りました。


 瞼を閉じた暗闇の向こうに大きな光が見えました。

 燦々と輝く太陽の明るく暖かい光が私を柔らかく包み込むようでした。

「…ゆなちゃん…ゆずるくん…」

 耳を澄ませば、ほんの少し手を伸ばすほどの先から声が聞こえてきました。

 ゆっくりと目を開けると、私はソファに座っていることに気付きました。

「おや、お目覚めかな」

 俯いた視界の端に誰かが立って、こちらを見ているようでした。

 私はゆっくりと顔を上げると、そこには不思議な衣装に身を包んだ妙齢の少女が優しい顔つきで私たちを見下ろしていました。

「ママ…」

 私は自然と目の前の少女をそう呼んでいました。

「よく寝ていたね。おはよう。私の可愛い子どもたち」

 少女はにっこりと微笑むと、その小さな手を伸ばして、私と私の隣に座る少年の頭を撫でてくれました。

「お兄様…」

「おはようゆな…」

 私の片割れは、いえ、私の愛するお兄様は私の髪を優しく撫でながらそう言いました。

「…えぇ、おはようお兄様」

 私は再び彼の方に身を寄せて、またうとうとと目を閉じました。


 夢を見たの。

 素敵なお人形の少女と出会う夢を。

 あの子になりたいと願ったの。


 あぁ 私たちはまだ夢のなかにいるのね。

 なんて素敵な夢。

 私たちはこの美しい世界を自由に闊歩できるのね。


 歩きましょう。

 この素晴らしく美しい世界を。

 私の愛する人たちとともに。


 ***


 少女の魂を分けた双子の人形の愛し愛される日々のはじまり。

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