21. 枢密院にて

 皇宮の中でも北側に位置する離宮。

 「白の離宮」と呼ばれるこの建物は、かつては外交交渉の場としてもよく使われていた離宮でもあるが、外務省が設置された現在は専ら枢密院の会合や皇室主催の社交等で使用されている。

 8月11日の夕方から始まったこの会議は、名目上は枢密院の緊急会議だった。

 議題は無論、ジルド第3皇子が国立高等学校創立150周年祭の夜会で突如宣言した、エミリア・ミュレーズとの婚約破棄並びにロジーヌ・ペリエに対する求婚について、である。

 出席者は枢密院の通常構成員である皇族――皇帝エドアルドと正妃カメーリア、側妃アントニエッタ、皇太子マンフレド、第2皇子ティベリオ、第1皇女デジデリア、そして第3皇子ジルド。第2皇女フラミニアは国内とはいえ遠方に嫁いでいる為、欠席――と、宰相パトロニ侯爵、侍従長。それに加えて今回の議題の重要参考人であるミュレーズ公爵フェルナンドとその娘エミリア、そしてアンセルミ男爵家からジュリアンとヴィオレッタ。その他宮内省と宰相府の担当者も居るが、基本的には上記の面々が会議の中心となった。


「当家としてはっきりさせておきたいのは、ジルド第3皇子殿下と我が娘エミリアの婚約の解消です。円満解消で合意したはずでしたが、殿下が婚約破棄を宣言されてしまいました。しかも、


 誰もが不機嫌と不安を隠そうともしない会議室内で、最初に水を向けられたフェルナンドがそう切り出すと、皇帝は苦々し気にうつむく。

 ジルドの婚約破棄宣言について、最も問題視されたのは彼が「婚約破棄が」と発言したことである。

 皇室とミュレーズ家は婚約の円満解消で合意しており、それを貴族院議会に提出する前であった。

 この為、ジルドの発言を文字通りに受け取れば、彼はことになる。これは明確な皇室典範違反であり、次の貴族院議会で皇室に対して批判が行われる可能性が高い。

 唯一幸いなのは、その後に彼がロジーヌ・ペリエに求婚し、更にヴィオレッタ・アンセルミを侮辱したことによる大逆事件が起こりかけたことで、少なくとも会場では婚約破棄宣言のことが一瞬忘れられ、その間に関係者が退場することが出来たことである。

 といっても、一時凌いちじしのぎに過ぎないので幸いというべきでもないかもしれないが。


「ジルドの発言を取り消すことは出来ないが、婚約解消の内容自体に変更はない。貴族院では朕が自ら説明するものとする」


 皇帝の返答に、フェルナンドは「妥当でしょうな」と短く応じた。声色も表情も不敬といわれれば不敬であったが、誰もそれを指摘しない。彼自身それが分かり切っていたからこその態度だった。


「そもそも、何故ジルドは婚約破棄なんてことを?」


 第1皇女がジルドとエミリアを交互に見遣りながら尋ねるが、ジルドは居心地悪げに目を逸らし、エミリアは無反応だった。そもそも彼女は室内に入ってから一言も発さず誰とも目を合わせず、黙り込んでいる。

 正妃と皇太子の視線もジルドに集まった。

 皇室とミュレーズ家の婚約解消の件は、8月9日、つまりそれがになった日に彼にも伝えられている。

 直接伝えたのは正妃と皇太子であり、彼らはジルドはそれに納得したのだと認識していたのだが、翌日の夜会でそれが間違いであったと思い知らされた形だったのだ。

 第1皇女に至っては普段は国外領土であるメリディエ自治州で暮らしており、今回創立150周年祭に出席する為に帰国したばかりであったところにこの騒動に出くわした為、ジルドとエミリアの関係がここまで悪化していること自体が寝耳に水であった。

 なので、ジルドの行動の真意は彼自身にしか分からない。

 だがしかし、肝心のジルドも困惑した様子で、家族の顔を見回すばかりだ。


「……まさかとは思うが、ジルド。まさか、お前は一昨日聞いた『』という話を、『』と勘違いしたのか?」


 恐る恐る、といった様子でそれを口にした皇太子に対し、ジルドは目を瞬かせた。

 であった。

 場に大人数の溜息ためいきが響く。


「ジルド、我々皇族の婚姻関係は、成立にも変更にも貴族院の承認が必要だと知らなかったのか?」

「知ってるよ」


 当然だと言わんばかりの口調で返すジルドに、皇太子は目尻をみ始めた。


「じゃあ、あれか。もう貴族院も承認したと思っていたのか、『婚約破棄』を」

「違ったのかい?」


 きょとんとして尋ね返すジルド。

 またその場に溜息が響いた。


「ジルドが何を勘違いしていたのかは分かった。その点も貴族院で朕自ら話すことにしよう」


 皇帝はそう言うと、次にアンセルミ家の2人を見る。

 全員の視線が自分達に集まったところで、ヴィオレッタは立ち上がった。


「当家と致しましては、ジルド第3皇子殿下との婚姻は、これを辞退させていただきたく存じます」


 淡々と告げられた言葉に、皇帝と正妃、そしてティベリオが溜息を吐き、フェルナンドは眉を少し上げた以外は無反応だった。尚、本来のアンセルミ家当主であるジュリアンは緊張のあまり硬直したままであり、全員から無視されている。


「な、何だと!」


 当然ながら、最も大きな反応を見せたのはジルドである。

 ヴィオレッタにつかみかからんばかりの勢いで席から立ち上がったが、正妃が彼の手を掴んで引き止めた。彼女の苦笑には並々ならぬ苛立ちが隠されていることを、その場の全員が承知している。


うそを言うな!」

「嘘ではありません。アンセルミ家としましては大変な栄誉であります故、お受けしたいのは山々だったのですが、というものもありますので」


 ロジーヌは夜会から連れ出された後、女子寮の自室で介抱され、すぐに目を覚ました。

 それからヴィオレッタや友人らから事情を説明された彼女は、ジルドからの求婚が夢幻の類ではないことを確認し、この求婚を受けるかどうかの意思確認に対して、はっきりと拒絶の意を示したのだ。


「そ、そんな筈は……!」

「はっきりと申し上げると不敬になります故、ご容赦ください」


 皇太子が噴き出した。第1皇女も咳払せきばらいで誤魔化したが、肩が震えており、彼女も噴き出したのは明らかであった。正妃が2人をにらみ付けると、すぐに居住まいを正す。

 正妃に肩を掴まれたジルドも、渋々といった様子で腰を下ろす。

 意味は分かるが、納得はしていないという様子がありありと見て取れ、恨めし気にヴィオレッタを睨んでいたが、彼女は全く無視した。

 咳払いで笑いを飲み込みながら、皇太子が尋ねる。


「その、ロジーヌ嬢本人が、ジルドとの婚姻を拒否したということでいいんだな?」

「はい。詳しい内容はここでは申し上げられませんが、その事実は確かです」


 要するに、、ということであった。

 しかも、この場で口に出せば不敬を疑われるような内容の言葉で、らしい。

 改めて確認されると流石に惨めだったのか、ジルドは俯いてしまった。


「事情は分かった。ジルド、お前には悪いが、皇室としてもロジーヌ嬢との婚姻は認められん。大方、貴族院でも否決されるだろうしな」


 皇族の婚姻が貴族院に否決された事例は、実は少なくない。

 直近ではティベリオが居る。

 彼は空軍士官学校時代に首都の某劇場の歌姫と浮名を流し、結婚を申し込んだことがあった。歌姫側もそれを望み、皇室が貴族院で決議にかけたが否決され、2人の関係は破局した。

 現在も彼は度々その劇場に足を運んでいるが(もしくは運んでいるが故に)、30歳手前となっても未だに結婚していない。


「そ、そんな……ですが、ロジーヌは……!」

「そのロジーヌ嬢が拒絶したのだろうが。それ以上は見苦しいぞ、ジルド」


 皇帝にそう言い込められれば、ジルドは黙り込むしかなかった。

 しかしその視線はヴィオレッタに突き刺さる。まるで彼女の言い分を信じていない様子であった。

 それを見て、皇帝はまた溜息を吐く。


「アンセルミ嬢。この際、その話の内容を不敬には問わん。ロジーヌ嬢が何を言ったのか教えてくれ」

「……畏まりました。経緯の説明からさせていただきます」


 皇帝に指示されたヴィオレッタは一瞬目をつむり、息を吸って、吐くと、口を開いた。


 8月10日の夜、女子寮の自室で目を覚ましたロジーヌに対して、ヴィオレッタは夜会の会場で起きたことを説明した。フラヴィらも会場を抜け出して訪ねてきており、夜会から持ち出してきた果実水を交えながらのことだったので、ロジーヌも段々と落ち着いてきた様子だった。それでもジルドに求婚されたことやヴィオレッタが大逆事件を起こしかけたことはかなり衝撃を受けたようで、小さく震えていたが。

 して、状況の説明が粗方終わり、最後にヴィオレッタが尋ねた。

 ジルドの求婚を受け入れるのか。


「即答でした。『絶対に嫌です!』と」


 ヴィオレッタの物真似に、皇太子がまた噴き出した。正妃も肩をすくめる。

 ジルドはわなわなと震え、ヴィオレッタを指差した。


「う、嘘だ! 嘘を言うな! 彼女が、ロジーヌがそんなことを言う筈がないッ!」


 ぴしゃりと、中高音域の声が響き、室内は水を打ったように静かになった。

 喚くジルドに対して、冷たく言い放ったのはエミリアだった。この日、この場に呼び出されて初めての発言であった。

 彼女は続いて一言、指名されていないのに発言したことを謝罪する。皇帝はそれを許す旨を口にし、続きを促した。


「ロジーヌさんは少々皇室の方々との交流の決まり事に疎い面があります。そしてそれを自覚しておいででした。また、男性に対する不信感を常に抱いている節もありました。つまり、第3皇子殿下にも少なからぬ不信を抱いていた一方で、皇族に対して諫言かんげんする作法が分からないが故に、何も言うことが出来なかったようです」


 承前の通り、ロジーヌはアンセルミ男爵家の庶子であり、身分としては男爵家に養育されているだけの平民である。この為、彼女はアンセルミ家の財産を相続する権利はないし、彼女自身がそれを望んでいる。

 ただ養育に対する恩義に報いる為、アンセルミ家に利益をもたらす結婚相手を探していた。

 その候補に高位貴族や皇族は最初から入っていない。高位貴族や皇族は平民と結婚することが出来ないからだ。

 なので、彼女は皇族に対して諫言する方法などというものを全く知らなかったのである。

 不敬罪は往々にして連座制で親族まで累が及ぶということは有名である為、何が不敬となるか分からない彼女にとって、皇族というのは絶対に近寄りたくない人種であった。

 その皇族が、よりにもよって交際を迫ってきてしまったのだ。

 ロジーヌは全力で逃げた。可能な限りジルドとの接触を避け、ベルナデッタを初めとする親しい友人らもそれに協力してくれた。

 エミリアと交流を持ってからは、何度かジルドに直接諫言も行った。拙い作法で、かなり遠回しで、解釈次第では意味が変わってしまうようなものではあったが、諫言した。

 それでも、約1年に渡ってその関係が続いてしまったのは、結局ジルドにそれがからだ。


「ご自身も薄々お気付きだったのではないですか、3殿?」


 もしくは、ジルドも分かっていて、ただロジーヌとの関係を続けたいが故に伝わっていないフリをしていたか。

 少なくとも、エミリアはジルドの様子をそのように観察していた。

 それは正しかったらしい。

 エミリアの言い分に、ジルドは俯いて何も言い返せない様子だった。


「……そうですか、殿下。私との婚約が、そんなにお嫌でしたか」


 そこまで言うと、エミリアは目を伏せ、また黙り込んだ。

 結局、ジルドの第一目標はエミリアとの婚約を破棄することであって、代わりの結婚相手は当初、別にロジーヌでなくても良かったのだ。

 敢えて彼女を選んだ理由はその容姿にかれた程度のことだった。付きまとっている内に本気になったようで、彼なりのの示し方として、エミリアの代わりの結婚相手として求婚したのである。

 そこに、皇室典範もミュレーズ家との利害関係も、そうまでして婚約を嫌がられたエミリアの自尊心も、代わり程度に接近されて身分違いの相手と結婚させられるロジーヌの心情も、考慮などされてはいなかった。

 無自覚の内に多くの関係者に迷惑をかけ、同時に2人の少女を不幸にしたのだと、ジルドはこの時初めて気付き、後悔を抱いたのであった。

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