02. 事の発端

「みんなに相談があります」


 アズーリア帝国首都カエルレウム。

 珍しく寮から帰ってきたロジーヌ・ペリエがアンセルミ男爵家の町屋敷の小食堂に家族を集め、開口一番こう切り出したのは、1654年の新学期が始まったばかり――国立高等学校創立150周年祭での婚約破棄騒動の約1年前のことであった。

 室内にはアンセルミ男爵家の女4人男2人のきょうだい達の内、当主である長男ジュリアン以外の5人がそろっており、それにロジーヌの母親カミラ・ペリエを加えて6人の人間が顔を突き合わせていた。

 招集をかけたロジーヌは他のきょうだい達と母親が違うとはいえ一応血のつながった末娘であり、今年で16歳になる。母親譲りの金髪と父親譲りの琥珀こはく色の瞳が特徴的な、可憐かれんな少女だ。国立高等学校経営学科に4年生として通いながら結婚相手を探している最中である。


「急に帰って来たと思ったら……一体どうしたの?」


 彼女のただならぬ雰囲気に、カミラが心配そうに尋ね、他の面々も黙って彼女に続きを促す。

 ロジーヌは色々と思案した表情でうつむいた後、意を決したように顔を上げた。


「皇子殿下に、目をつけられたようなのです」


 やっと絞り出されたその言葉を、皆上手く理解出来ず顔を見合わせた。

 長女のテレーザが首を傾げながら口を開く。彼女は既にコーネット男爵家に嫁いでいて普段はそちらの屋敷に住んでおり、急遽きゅうきょ戻ってきたところだった。


、とは?」

「……その、交際を、迫られました」


 それが何を意味しているのか、分からない者はこの場に居ない。


 この国――アズーリア帝国は、中央大陸南西部を占める広大な本土と、新大陸と南方大陸に豊かな植民地を持ち、それに見合う強大な国力と軍事力を持つ大国である。

 その頂点に立つ皇帝には2人の妃が居り、皇子が3人と皇女が2人居る。正室との間に皇子2人と皇女2人、側室との間に皇子1人だ。

 その中でも正室の第4子である第3皇子ジルドが、国立高等学校経営学科に4年生として在籍しているのはこの場の誰もが知っていることであった。

 その皇子から、平民の身で交際を求められるというのは本来であれば身に余る程に光栄なことであるだろう。

 ……彼に、同じ学校の教養学科に3年生として在籍する、ミュレーズ公爵令嬢エミリアという婚約者が居なければ。

 ロジーヌが結婚相手を探しているのは確かだが、男爵家の庶子の身で皇子妃(この場合は恐らく臣籍降下して伯爵夫人か)になどなりたくはないし、ミュレーズ公爵家と敵対すればアンセルミ男爵家など消し飛んでしまいかねない。


「ロジーヌ、あなたはどう応えたの?」

「それが、その……」


 口籠りながらも出てきた話に、一同は大きな溜息ためいきを吐くこととなった。

 端的に言えば、ジルドはロジーヌに申し込んだ交際を受け入れられたと思っているのではないかと。

 唐突に雲の上の人に呼び出され、その上恋心を伝えられ、交際を申し込まれたという、出来事に狼狽ろうばいしたロジーヌは唖然あぜんとし、無言を貫いてしまったのだ。格下の者が格上の者に対して許しも得ずに直答することは出来ないという作法が適用されない学校内ではあったが、その無言を皇子は肯定として受け取ってしまったのだろう。

 何か言わなければならないが何を言ったら良いのか分からない内に、皇子は勝手に納得して去って行ってしまったのだそうだ。

 ロジーヌはあまりの緊張から近くの化粧室に駆け込み、食べたばかりの昼食を戻してしまい、そして必死で頭を整理しながらこの町屋敷に逃げ帰ってきたわけである。昼休みのことだったので当然午後の授業があったのだが、それらは全て放り出してきてしまった。


「……取り敢えず、事情は分かったわ。ロジーヌ、よく帰ってきてくれたわね。すぐに私達に相談してくれた、その判断は正しいわ」

「あ、ありがとう、テレーザ姉様……」


 シュンと肩をすくめるロジーヌを労いながら、テレーザは頭を抱えた。

 帝国貴族の慣習として、当主不在の際の家内での序列は血統と年齢と性別で決められる。

 当主であるジュリアンが不在である今、この場での序列一位は現当主の一番上の姉であるテレーザだ。

 彼女は目頭をみながら丸々10秒考え、息を吐いた。


かく仕向けましょう。ロジーヌは明日からもいつも通り学校へ行って。ただ、絶対に一人にならないこと。確か仲良い子が居たわよね? ほら、あのインサナ商会の子」

「ああ、うん、ベルナデッタ・インサナ」

「そうその子。じゃあその子にも一応事情を話して、極力一緒に居てもらって。こっちからは一応皇室とミュレーズ家の方に接触を図ってみるから……ああ、ロジーヌ。今夜はこっちで泊まりなさい。後は――」



        *        *        *



「みんなに相談があります」


 ジルド皇子からの交際申し込み事件から1か月と2週間程。

 アンセルミ男爵家の町屋敷では再び小食堂に男爵家の面々が集まっていた。今回はテレーザが呼び掛け、段取りもきちんとした招集だったので当主である長男ジュリアンとその妻テオドラも居る。


 この1か月間、アンセルミ男爵家は非常に忙しかった。

 長女テレーザはコーネット男爵夫人として家政をこなさねばならず、子煩悩なことから息子達の面倒も見ていたので時々様子を見ては必要なことを言い付けることしか出来なかった。長男ジュリアンは当主として作物の収穫の最盛期を迎えた領地から離れることが中々出来ず、三女クラリッサもそれを扱う商会に嫁いでいる関係で忙しく、やはりあまり力になれなかった。

 次男ヴィットリオは郵便飛行士としての仕事が忙しく、結局皇室とミュレーズ公爵家との折衝は、軍人とはいえ予備役将校で暇な時間が多い次女ヴィオレッタが主に行うこととなった。

 先代当主の愛人カミラは元々貴族出身ではないこともあって、そもそもこういうことに関してはである。


 取り敢えず、ミュレーズ公爵家との面談はかなった。といっても、派閥も身分も違う公爵家に男爵家として直接面談することは難しかった為、ロジーヌをエミリアが学友として茶会に招くという形で実施された。

 それがこの日だった。茶会から戻ってきたらすぐにそのことを報告すると事前に決まっていたので、各々の予定を合わせて集まっていたのである。


「ええと、エミリア・ミュレーズ様とのお茶会ですが、その……」


 エミリア・ミュレーズは、ロジーヌとジルドのことを把握していた。

 というのも、この1か月半、ジルドは毎日のようにロジーヌに付きまとっていたのだ。

 当然ながらそれは生徒達の間でうわさになり、エミリアの取り巻きの耳にも入り、学科も学年も違うエミリア本人にも伝わってきていた。というより、彼女の目に入る場所でもジルドはそのように振舞っていたので、噂になるまでもなかった。

 して、エミリアは今日のお茶会でロジーヌを皮肉や嫌味抜きで労ってくれたとのことだった。

 第3皇子とミュレーズ公爵令嬢の婚姻は、言うまでもなく政略結婚である。ミュレーズ公爵家はエミリア以外の子宝に恵まれず、同世代で家格と利害の適う貴族令息も中々見つからなかった為、養子を取ることも検討されていたところに、皇室が年の近い第3皇子を婿にどうかと勧めてきた次第だ。

 しかし幼少期から既に子供らしからぬ物静かさと理路整然とした合理主義を持ち合わせていたエミリアは、ジルド本人からは随分と嫌われていたようだ。

 勿論もちろん夫婦関係が円満であることに越したことはないので、彼女は彼に歩み寄る努力はしたのだという。だがそれらはいずれも上手くいかず、今も2人の間には愛情が芽生えてこず、それどころか同級生の平民の少女に交際を迫ってしまったわけだ。

 その平民の少女ロジーヌにしてみれば堪ったものではない。

 元々容姿に優れていて成績も悪くない彼女は男子生徒達から人気があり、それを自覚していたからこそアンセルミ男爵家の為に出来るだけ好条件の結婚相手を求めて自分の値打ちをげようとしていたところだったのだ。

 それがよりにもよって皇子に見初められてしまったことで、他の令息達がこぞって手を引いてしまったのである。皇子は恋敵として強力過ぎる、というのはロジーヌにも理解出来ることだが、それ以前に彼には公爵令嬢という婚約者が存在することを皆は知らないのだろうか、という点においてはあきれるしかなかった。


「取り敢えずミュレーズ家の心証は悪くなさそうね。ヴィー、皇室は?」


 テレーザが水を向けると、ヴィオレッタは肩を竦めた。「ヴィー」とは家族内でのヴィオレッタの愛称である。


「一応手紙は送れたけど、ソルダノの奥方はどうもみたい」


 一同はまた溜息を吐いた。

 今回の件は皇室も絡んでいる為、当然皇室へも連絡を取ろうとした。

 しかしアンセルミ家にはソルダノ伯爵家という寄親が存在し、寄親の頭の上を飛び越して皇室や他所の高位貴族に直接連絡するというのは褒められた行為ではない為、一応お伺いを立てざるを得なかったのだ。

 それだけなら問題ない。ソルダノ家とミュレーズ家は仲が良いわけではないが、かといって仲が悪いというわけでもない。派閥が違えば専門も違い、当人らの世代も違うので接点がまるでない。逆に言えば何の問題もなかった。

 どちらかといえば、ソルダノ家と折り合いが悪いのはアンセルミ家の方である。

 ソルダノ伯爵夫人は前アンセルミ男爵の夫イラリオ――テレーザ達の父親のと、ロジーヌの出生についてアンセルミ家を徹底的に扱き下ろして当時社交界に出始めたばかりだったヴィオレッタを社交界から事実上追放し、その件で他の高位貴族から顰蹙ひんしゅくを買って逆に孤立したことがある。

 昨年になって現当主ジュリアンに対してソルダノ伯爵が正式に謝罪し、一応和解したということにはなっているのだが、アンセルミ家が夜会への出席を自粛し始めて13年近くも経ってからのことであった為、未だにソルダノ家は他の高位貴族や寄子の下位貴族からやや白い目で見られている節がある。

 そして(逆恨みも甚だしいことではあるが)夫人はその件を根に持っており、アンセルミ家の面々は彼女と出会う度に何かしらの嫌味を言われるので、本音としては寄親であるはずのソルダノ家のことが苦手であった。

 ソルダノ伯爵本人は気を遣って顔を合わせる機会を減らしてくれており、皇室とのやり取りも夫人に知られないようにしているが、彼女の周りにはよくさえずすずめが居るらしく、今回のロジーヌの件もいつの間にか夫人につかまれていた。

 それだけならばアンセルミ家が特に気にする必要はないのだが、ヴィオレッタの手紙に対する伯爵からの返答の手紙が握り潰されていたことが判明してからは、そうも言っていられなくなった。手紙への返信がないので不審に思ったヴィオレッタが伯爵に再度手紙を送り、それも無視されたので遂に直接電話をかけて判明したのだが、その間に1か月という月日が流れてしまったのだ。

 最終的に皇室への手紙を送ること自体は出来たが、今後もソルダノ伯爵夫人から何かしら妨害を受ける可能性は否定出来ず、また今のところソルダノ伯爵に電話で直接お伺いを立てたので把握されていないであろうミュレーズ公爵家との連絡も、知れれば何らかの形で妨害される可能性がある。


「奥方様は一体何を考えておられるんだ……」


 ジュリアンが腕組みして天井を仰ぐ。手紙を用意したのはヴィオレッタだが、その手紙にしたためる名前は彼の名だ。貴族間のやり取りで代筆はそう珍しいことでもなく、ジュリアンの場合はきょうだい達(特にヴィオレッタとヴィットリオ)が代筆することが多いのは先方も承知している。

 ソルダノ伯爵夫人は貴族にしては感情的な面が強いので謀略に向く類の人物ではないことはソルダノ伯爵も含めての共通認識ではあるが、それだけに「ただ単に気にわない」などといった理由だけでこうした行動に出ることが多いのが周囲の人間からしてみれば実に厄介だ。

 集まった面々は、多難そうな前途を適当に愚痴った後、今後も方針としては「ジルド皇子から逃れる」ということで一致し、深夜に解散した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る