第45話 最初で最後の親子の会話
馬車に揺られて王都の我が家に帰って来た頃は、既に夜になっていた。荘厳な白亜の邸宅はどこから見ても豪華で威厳があったが、全く温かみを感じないと小さい頃から思っていた。改めて見ると、昔の偉人や古代の神々を祀っておく廟のようにも見える。人が住む場所にはどうしても見えなかった。
「湯あみをしたら父に会いに行くように」
ジョシュは手短に用件だけ言うと、さっさと自分の部屋に戻ってしまった。一人残されたリリアーナは、使用人に促されるがままに自分の部屋へ向かう。こういう時、親なら取る物も取らず、真っ先に自分に会いに来るのではと思ったが、それももうどうでもよくなっていた。
お湯に浸かり全身を洗ってから着替えをする。髪型が変わってしまったので、前と比べると服が似合わなくなってしまった。それに平民の服に比べると装飾が過多で動きづらい。この動きづらさは家に縛り付けておくための枷でもあったのかと今になって思う。それでもこれからもっと強固な魔法の枷を取らなければいけないリリアーナにとっては些細なことだった。
「お父様、ただ今帰りました。ご心配をおかけしました」
リリアーナは父の執務室に行くと、機械的にお辞儀をして抑揚のない声で言った。魂が抜けた感じが筒抜けだったが、今更取り繕う気力もない。
「ああ、お帰り。長旅で疲れただろう」
父もまた機械的に答えた。このやり取りに何の意味があるのだろう。どうしてもそんな疑念が湧いてしまう。しかしもう時間がないのだ。言葉遊びをしている暇はない。リリアーナは気力を振り絞って口を開いた。
「お父様はお母様が亡くなった本当の理由をご存じだったんですね」
しばらく父は無言のまま動かなかった。まるでリリアーナの声が届いてないかのように寸分も反応しない。リリアーナが不安に思い始めた頃やっと答えが返って来た。
「ああ、もちろんだ」
やっと父が意味のあることを言ってくれた。リリアーナはすかさず質問を挟んだ。
「それが私とどんな関係があるんですか?」
「平民の友人から事情は聞いたんだろう。多分それで合ってると思う」
「私はお父様から直接聞きたいのです。その場にいた人物から詳しく教えてもらわないと」
いつもならここではぐらかされてしまうが、ビクトールが必死で頑張ってくれているのに、当事者の一人である父にのらりくらり逃げられるのは許せない。リリアーナは何が何でも父に話をさせようと食らいついた。
「私が一番の当事者なのに、何も知らないなんて変じゃないですか! もう蚊帳の外に置かれるのは嫌なんです。教えてくれるまでここから動きません!」
父は、かんしゃくを起こした子供を見るような目でリリアーナを見たが拒絶はせず、しばらく逡巡した後に重々しく口を開いた。
「サンドラは優秀な魔法使いだった。当代随一の才能を持っていて、しかも誰よりも美しかった。オズワルド家に嫁ぐ者として十二分な資質を持っていた。幸い子種にも恵まれたが、唯一の汚点がお前だ」
父がこのような言い方をしても今更驚かなかった。自分に対する冷めた感情は十分すぎるほど痛感している。
「サンドラはお前の行く末を心配した。ルーク殿下に捨てられやしないか。魔力が少ないせいでお前の地位を脅かす者が出てこないか。思いつめた彼女は、自分の身と引き換えに守護魔法をお前にかけた」
「……何です、その守護魔法と言うのは?」
ビクトールから話は聞いていたが、詳しいことはまだ知らなかった。具体的な内容や発動条件について知る必要がある。
「この世の理を越えた願いすら叶える魔法だよ。時を戻したり、死んだ者を生き返らせることは不可能だが、それ以外の願いは大体叶う。だが発動条件として強い魔力が必要となる。今のお前は発動に足りる魔力を持っていない。だからその魔法は発動しないままだ」
リリアーナは呆気に取られて父を見た。命と引き換えに発動しない魔法をかける者なんているのか?
「どうしてそんな意味のないことを……」
「殿下が心変わりなんかしなければ問題は起きなかった。でもサンドラは駄目だった場合の保険もかけといた。それが今の状態だよ」
何かを察したリリアーナは父を睨みつけた。
「つまり、ルーク殿下が眠りから覚めない呪いにかかっているのはお母様の仕業だと。お父様は知っていたんですね。だから私がいくら王室に抗議してくれと訴えても動かなかった。呪いが発動することを知っていたから」
「そうだ。いくら不出来な娘でも、邪険に扱われたらいくら王太子といえども許せるものではない。だからそれを解く鍵がお前にあると知っても、お前を王室に差し出すことはしなかった。王室の再三の要請にも無視を貫いた」
初めて父親が父親らしいことを言った。リリアーナはそのことに気付いて、雷に打たれたような衝撃を受けた。なぜ今になって父親面をするのだ。今までどれだけ訴えても振り向いてもらえなかったのに。彼女は拳をぎゅっと握りしめて高ぶる感情を抑えようと努めた。
「私もサンドラを愛していたんだよ。でも彼女はお前を選んだ。お前がしっかりしていれば彼女は死ぬことはなかったのに。それを考えたらどうしてもお前が許せなかった。親として失格なのは分かってる。結局お前には親らしいことをしてやれなかったな。サンドラに似ているお前を愛してやれなかった」
リリアーナは信じられない光景を目にしていた。父が背を丸めて随分小さく見える。いつだって父はそびえ立つ壁のように絶対的な存在だったのに。こんなに自信を喪失した父を今まで見たことがなかった。
それでも、やっと長年の疑問が解消されてすっきりした気持ちもあった。父が自分と向き合う時、自分を素通りしてどこか遠くを見ているような印象を受けたのは気のせいではなかったのだ。あれはリリアーナを通してアレクサンドラを見ていたのだ。アレクサンドラへの愛が強すぎて、彼女を奪った娘が許せなかったのだろう。自分がここまで疎んじられた理由は一つだけではなかった。
「ジョシュも同じことを言っていました。上二人の子供は優秀で親の期待を裏切っていないのに、どうして出来の悪い末っ子ばかり贔屓するのだろう。お前が母親を奪ったんだとさっき馬車の中で言われました。お父様はずるいです。どうして今頃弱いところを見せるのですか。思い切り怒りをぶつけようと思ったのに、これじゃできないじゃないですか」
「いいんだよ。お前が怒りを覚えるのも当然だ。魔力が少ないのは本人に責任はない。それなのに責めを追わされるのは理不尽だ、親とも思わないと思い切り憎んでもらって構わない。実際その通りだからね」
「もしかしたらじっくり話し合うのはこれが最後になるかもしれない。だからこんな話をしたんですか?」
オズワルド公爵は感情を動かされたようにリリアーナを見つめた。
「ああ。当然その可能性も考えている。正直言って王太子の呪いなどどうでもいい。だがそれではお前は王室から目を付けられたままで、本当の意味で自由の身にはなれないと主張したのはあの平民だ。お前を自由にするには命を危険に晒さなくてはならない。親としては、危険を冒すくらいなら今のままでいい。でもお前はあの平民を信じるんだろう? 親より彼に着いて行くんだろう?」
リリアーナは一回深呼吸をしてから、決意を秘めた表情で静かに父に告げた。
「当然です。私はビクトールを信じてます。私もビクトールも無事に戻ってきます」
「そう言うと思った。親らしいことをやってあげられなかった私ができる唯一のことだ。お前の好きにしていい。例え破滅に向かう道だとしても、お前はそれを望むのだろうから」
リリアーナは何と言っていいのか分からず言葉に窮した。一瞬納得しかけたが、よく考えたら、父がビクトールの話を受け入れるなんておかしい。
「本当にいいんですか? お父様がビクトールの言うことを聞くとは思えません。どうして許してくださったんですか?」
「正解にたどり着けたのが彼だけだったからだよ。本当は彼を許す気はなかった。大口叩いてお前を奪っておきながらみすみす危険に晒したのだからね。でも、結局サンドラの真意に気付けたのは彼だけだ。私と彼女だけの秘密を解き明かしただけでなく、その解決法も提示して見せた。これだけの人物ならお前が全幅の信頼を置くと思ったのだ」
オズワルド公爵は、リリアーナに背中を向けたまま答えた。彼女は、そんな父の背中をいつまでも見つめていたが、やがてはっきりした声で「そうですか。信じてくれてありがとうございます。私なら大丈夫です」と言って部屋を出て行った。
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