第39話 紳士たちの社交場

「ここにお集まりの紳士淑女の皆さま、浮世の憂さを一時でも忘れたいあなたのために、今宵もうたかたの夢に酔いしれ、美女たちが彩る理想郷をお届けいたします。『邯鄲の夢』が送るドラマチックレビューの始まりです!」


昼間の柔和さとはうってかわって、派手に着飾ったディーンがギラギラ光るステージで高らかに宣言すると、音楽と同時に踊り子たちがステージに現れ、歌と踊りで観客たちを魅了した。観客たちは椅子に座りながら食事をとり、彼女たちのショーを嗜むというのがこの店のしきたりらしい。何もかも初めてのリリアーナは、カーテンの隙間からその様子を見てただ驚くばかりだった。


(すごい、すごいわ。こんな世界があるなんて。世の中は私の知らないことでいっぱいね)


郊外の町にこんな店があるなら、当然王都にも同じようなものがあるのだろう。今までこういう店の存在すら知らなかったリリアーナにとって、何もかも初めての景色だった。


父や兄は知ってるのだろうか? カイルは学生だが何となく行ったことがあるような気がする。ビクトールは存在は知っていても縁がない場所に違いない。調度品の豪華さや客層から判断すると、ある程度お金がないと入れない場所のようだ。ここはそれなりに高級な店らしい。


踊り子たちのパフォーマンスにも目を奪われた。リリアーナからすれば殆ど裸に近い衣装だが、女性らしいしなやかな曲線美が強調されており蠱惑的に写った。アクセサリーをしゃらしゃらと揺らし情熱的に踊るダンスは激しく観客の劣情を煽る。リリアーナがこれまで生きて来た世界では、下品ではしたないと切り捨てられる類のものではあったが、なぜか彼女たちの踊りから目が離せなかった。


観客を見ると、それなりにきちんとした身なりの男性が多い。普段は真面目な仕事をしつつ、夜はこういう場所で息抜きをしてるのね。私たち女は家の中でおとなしくしてろと言うくせに。男の人ばかり楽しんでずるいわ。いつの間にかそんなことを考えていた。


「見物するのはいいけど身を乗り出すなよ。外から見えてしまうからね」


いつの間にか背後からディーンに声をかけられ、リリアーナは飛び上がった。人の気配も気づかないくらいに引き込まれていたようだ。


「皆さんすごいですね……店長も昼の様子からは想像できませんでした」


「本当はやるつもりなかったんだけどね、人手不足だから仕方なく。でも数こなすうちにだんだんノってきちゃって」


ディーンは赤いルージュを引いた口元をほころばせながら愉快そうに言った。間近で見ると濃い化粧をしているのが分かる。異様に長いつけまつ毛にラメ入りのアイシャドウ、チークは舞台越しでやっと映えるくらいに濃かった。


「ディーンさんも素敵でした。女性らしいセクシーさと男性らしい雄々しさが混在してて、こんな美しさもあるなんて今まで知りませんでした」


リリアーナは自分が少年に変装していることも忘れ、うっとりしながら感想を述べた。それくらい初めて見た光景は衝撃的だった。


「ふうん、そう来たか。珍しいね。でも嬉しいよ、ありがとう」


ディーンは少し意外そうな顔をしたが、素直にリリアーナの称賛を受け取った。


「ついでと言っちゃなんだけど、踊り子たちの準備の手伝いもしてくれる? 早着替えとか? 最初はバタバタすると思うけど、君飲みこみ早いみたいだから頼っちゃおうかな」


「はい! 分かりました!」


平民に使われる自分を見たら父や兄は何と言うだろう。オズワルド家の恥さらしとか汚らわしいなどと嘲るのだろうか。しかし、リリアーナは意外にも今の境遇が嫌ではなかった。孤児院で失敗の連続ながらも手伝いをしている時も、誰かの役に立てることが嬉しく思えた。貴族の世界から見れば、今の自分は平民に身をやつしたと言えるのだろうが、彼女本人は、新たな世界を冒険してワクワクする気持ちの方が大きかった。


店は夜更け過ぎに終わった。日が変わるまで働いていたことになるが、目に写る全てのものが目新しく煌びやかだったため、高揚した気持ちがずっと続いていて、眠気は感じられなかった。


「はい、これ今日のお給料。本当はまとめて月末に渡すんだけど、何かと入用みたいだから。部屋はここの離れに仮眠室としてたまに利用しているところがあるからそれを使って」


カツラを取ったばかりでまだ化粧を落としてないディーンが、紙幣の入った封筒を渡してきた。


「待ってください。食事と部屋以外にお給料までいただけるんですか?」


「それくらい普通だよ? 今日は疲れただろうから明日はゆっくりでいいからお休み」


「……ということは、採用?」


ディーンは答える代わりにニコッと笑った。それを見てリリアーナは疲れが吹っ飛ぶくらいに喜びを表した。


「ありがとうございます! 僕一生懸命働きます!」


仮眠室として使われている部屋はきれいに整理されていて、これなら安心して眠れそうだと思った。明日必ずジュディスにお礼を言わなければ。あとは、自分のことを心配している人たちに、どうにかして連絡を取れる手段はないだろうかと考えるうちに、気づくと意識を失っていた。こうして新しい生活が始まった。


**********


「なかなかいい子そうじゃないの。どう見ても訳ありだけど」


「ジュディスを助けてくれたのは本当みたいだね。一人で3人の大男をやっつけたなんてにわかに信じられないな。魔法でも使ったのかな?」


「さっきジュディスを問い詰めたらあっさり白状したわよ。魔法が使えて、碌に仕事をしたことがなさそうな滑らかな白い手。どこかの貴族で決まりよ」


「おまけに男装までしている。絶対ただ者じゃないな。今になって心配になって来た。引き取るべきじゃなかったかな?」


店じまいをして、従業員たちが帰った後の店内で、トップスターのライラと支配人のディーンが雑談をしていた。ライラもディーンも舞台化粧を落とし普段着に戻っている。先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返った店内でお茶をすすりながら互いの労をねぎらうのが習慣になっていた。


「もう引き取ってしまったんだから手遅れよ。何が起きても知らないわよ」


ライラはポットからお茶を補給しながら言った。仕事で酒は飲むが、本当はそれほど飲める性質ではないのだ。仕事のストレスを酒で帳消しにすることはしたくなかった。


「でも悪い子じゃなさそうじゃないか。仕事ぶりは問題ないし、雑用も嫌がるかと思ったら進んでやるし」


「おまけにこんな仕事でも偏見はないようね。あなたのこともキラキラ目を輝かせて見ていたわよ」


確かに。ディーンは、好奇心の塊をそのままぶつけてきたようなリリアーナの熱い視線を思い出した。お世辞であのような態度が取れるものではないことは、誰にでも分かる。


「ここに付き添われて来るご婦人の中には、ゴミを見るような目で見る人もいるからな。あれ何気に堪えるんだよなあ。その点、あの貴族のお嬢様は新しいものにも抵抗ないみたい。変わった子だよ」


「でも厄介ごとに巻き込まれるのはごめんよ。そうなりそうだったらさっさとどこかへやってね。貴族なんて碌なもんじゃないんだから」


「分からないよ? 貴族は貴族でも王都に住む高位貴族だったりして?」


「冗談はやめてよ! そんなやんごとなきお方に雑用なんてさせたら私たちの首が飛ぶじゃない!」


ライラはアハハと声を出して笑い、ディーンにもたれかかった。ディーンとは子供の時からの腐れ縁だ。お互い何事も知り尽くしている仲だった。ディーンはライラをぎゅっと抱きしめながら、彼女の口に一口大のチョコを入れてやった。


「でも面白くなってきたな。どう転ぶか分からない手駒が向こうの方からやって来たんだから。生かすも殺すも僕次第だ。どう料理してやろうかな?」

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