第20話 王太子の憂うつ

広大な王宮の中の、更に奥まった一角にルークの部屋はあった。学生の立場とは言え、王太子と言う身分にあり、学校以外でも学ばなければいけないことは多い。ルークはこの日も、夜遅くなってやっと自室に戻れた。「王子様って案外やることは地味なんですね」とフローラが目を丸くして言っていたのを思い出す。無邪気で正直な彼女らしいなとおかしくなり一人クスクスと笑った。


それに引き換え、あの元婚約者と来たら。ルークは先日フローラから聞いた話を思い出して忌々しさが蘇った。


(気付かなかった、知らぬ間に薬を盛られていたなんて! 確かに俺にそんなことをする奴なんてあいつしか考えられない!)


フローラから話を聞いたルークは、すぐにリリアーナを捕らえようと思った。しかし、フローラに「リリアーナ様が犯人という証拠はまだないからもう少し様子を見ましょう。幸い薬は一過性のもので体への影響はないみたい」と止められた。フローラの深謀遠慮さには感心する。きっと将来立派な聖女となるだろう。


それにしても、あれだけこっぴどく振ってやったのに、リリアーナがまだ諦めていなかったとは驚いた。毒薬でなかったのなら一体何が目的だったのだろう。フローラは、大体の見当がついている様子だったが、「まだはっきりしないから」と詳しいことは教えてくれなかった。いずれにしても、王太子相手にこっそり薬を盛ること自体重罪だ。最終的にはきっちり懲らしめてやる。


ルークは革張りのソファに腰を下ろし、こめかみをぐりぐりしながら昔を思い出した。今ではリリアーナのことなんて考えたくもないが、最初からそうだったわけではない。


初めて出会ったのはいつだっただろう。確か7歳の時、庭園の迷路で会ったのが最初だろうか。彼女は兄にいじめられて迷路の中で迷いこみ、途方に暮れて泣いていた。外に出してやったらとても感謝されて、淑女の礼で自己紹介された。あの時の彼女は、少年のルークの目にも可愛らしく映った。


彼女との婚約は親に仕組まれた政略的な物だったが、当時は特に不満はなかった。今思えば、従順な子供時代に将来のことを決めてしまえば反発がないだろうという大人の策略にはまったとも言える。婚約や結婚とはどういうものなのか、本当の意味では知る由もなかったのだから仕方のないことだ。


ルークは帝王学を基礎から学び、リリアーナも定期的に王宮に出向いて、王太子妃として必要な勉強をしていた。大人の計らいで彼女としばしば会うことはあったが、半ば義務的な社交以上のものはなかった。


リリアーナは魔力が少ないのをコンプレックスに思っていて、何とか魔法が上達するように頑張っていたが、結果はなかなか出なかった。そんなこと別に気にしなくていいのに、魔法が苦手なら別の人間に任せればいいじゃないか。ルークはそう思っていたが、リリアーナの方は「それでは殿下を守れませんから」と大真面目に答えていた。それを聞いた時は悪い気がしなかった。


しかし、周りの者たちは、彼女の魔力が少ないのを問題視していたらしく、「あの娘は公爵家のくせに碌に魔法も使えない」という陰口を耳にすることが多くなってきた。最初の内は別に気にしていなかったが、余りに同じことを聞くと、「そんなものなのかな」と彼も思うようになった。


リリアーナは魔法に対するコンプレックスを解消するため、今度は別の能力を伸ばすことにしたようだ。魔術以外の学問を頑張るようになり、かなり優秀な成績を修めるようになった。しかし、貴族の世界はやはり魔法が物を言う。彼女の父が魔法学校に娘を入れると決めた時、彼女の命運は決まったようなものだった。それからは、他の分野でどれだけいい結果を出しても認められることは決してなく、だんだんと居場所を失っていった。


この時、彼女に優しい言葉の一つでもかけていれば結果は違ったのかもしれない。ちょうどその頃、彼女は母親を失って失意の底にあった。しかし、この頃はルークも思春期の真っ只中にあって、女の子に優しくするのが妙に恥ずかしくなる年頃だった。彼女も気の強い性格をしていたので、同情されるのは嫌なのかなと自分に都合のいい解釈をしていた。それがただの強がりであったとは、未熟な彼には想像できなかったのだ。


魔法以外の勉強はやればやるほど伸びるので、彼女はそのうち自分の領分外のことにも口を出すようになった。変に聡いから黙って見過ごすことができないのだろう。そんなものは男に任せておけばいいものを。


ルークはだんだんリリアーナを目障りに感じるようになった。妻となる女性ならもっと自分を立てるべきではないのか。何様のつもりで対等に張り合おうとしているのか。魔法も碌に使えないくせに。


たまに、「王太子殿下の婚約者殿は先見の明がある。女に生まれたのがもったいないくらいだ」という声を聞くと、自分を否定されたみたいで腹が立った。現に実の家族からも疎んじられているらしい。きっと生意気で高慢ちきなのを家族も知っているからだろう。それでも、そんなものはおいおい教育していけばよくなるだろうと思っていた。


しかし、フローラに出会ってからすべてが変わった。フローラは、リリアーナにはない愛嬌とたおやかさがあった。面倒見がよく、表情豊かによく笑い、女性としての愛らしさが詰まっている。それに比べたら、リリアーナは氷の女王だった。

上に立つ者として、常に模範を強いられているルークは、フローラのきめ細かい愛情と甲斐甲斐しさに癒された。フローラの魅力に溺れれば溺れるほど、リリアーナが憎らしく思えるようになった。それがだんだん態度に現れるようになっても、リリアーナは傷ついた様子を見せず、逆に「あなたには負けませんわよ」とでも言いたげに不敵な笑みを浮かべるだけだった。


しかも、陰でフローラを虐めていると人づてに聞いてから、何て性悪な女なのだろうとますます嫌悪感が募った。いかにもリリアーナのやりそうなことだ。憐れなフローラは、目に涙をためるだけで表立ってリリアーナを非難することはしなかったから、ますます信ぴょう性が増した。


一度だけ、リリアーナがフローラにカエルに変えられたと訴えたことがあったが、ちっとも信じられなかった。フローラがそんなことやるはずがないし、リリアーナに対しては、嘘をつくならもう少しましな物にしろと言い放った。


それ以来、リリアーナとの関係はこれ以上ないくらいに悪化した。しかし、ここまでひどくなっても、リリアーナは婚約者の座を譲ろうとしなかった。それがますます憎らしく思えて来て、彼女にそんなに王太子妃の座が欲しいかと詰め寄ったことがある。その時、彼女は「私がどうこうできる問題ではありませんから。私たちが結婚しなければ周りが許しません」と言っていた。あれはどういう意味だったのだろう?


王太子の業務と学業の両立は難しい。何とかこなせているが、身体への負担は大きく、この日も頭痛がしていた。明日になればまた愛しいフローラに会える。それを楽しみにして今日の所は休もう。彼女の優しい笑顔を思い浮かべながら、ルークはベッドに身を横たえた。


しかしその日は来なかった。ルークは翌朝になっても目を覚ますことはなかった。心臓は動いており、呼吸はしているので死んだわけではない。ただ眠った状態から起きないのだ。


このニュースは、その日のうちに貴族社会の中をくまなく駆け巡った。元より狭い社会だ。情報を秘匿しておくのは最初から難しいと言えた。公式には何のアナウンスもなかったが、じわじわと一般の国民にも広がり始め、結局1週間後に王室自ら発表する羽目になった。王太子が眠りから覚めないというニュースは、国を揺るがす大事件として大きな驚きを持って国民に受け止められた。

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