第16話 おそるべき提案

証拠の残らない毒薬、作ってやろうか?


リリアーナは愕然として身動きが取れなくなった。ビクトールの表情から何かを読み取ろうと穴のあくほど凝視したが、彼は恐ろしいほどに感情の抜けた顔をしていた。


「は? 一体何言い出すの? あなたどうしちゃったのよ?」


「どうするもこうするも、最初に頼んで来たのはあんただろう? まさか忘れたの、青の魔女さん?」


「忘れるわけないけど……でもずっと断っていたじゃない。どうして急に考えを変えたのよ?」


「これでも色々考えたんだよ。魔術師なら誰でも一度は憧れると言ってただろう? 確かにそれは一理ある」


リリアーナはビクトールの言葉が全く信じられなかった。彼という人間を深く知るようになって、絶対に引き受けないだろうと簡単に予想できた。何か裏があるはずだ。


「本当のことを言って。何だか気味が悪い」


本当のことなど言えるわけがない。リリアーナのルークに対する思いの深さを知ったからだとか、それに対抗しうる唯一の手段だからとか——。


「あんなに望んでいたのに、熱が冷めたのなら構わない。それならいいんだ」


「冷めたって言うより……」


リリアーナは言葉に詰まった。正直なところ、最近そのことについて深く考えていなかった。だからいきなりどうすると聞かれても適当な答えが見つからない。でも、一つだけ言えることがあった。


「いくら証拠が残らないと言っても……あなたを危険に晒したくない。最初は勢いのいいことを言ったけど、あなたには守るべき家族がいると知ってしまったから。トトとジュジュからあなたを取り上げるようなことがあってはいけない」


思ってもみなかった答えにビクトールは目を丸くした。


「だから心配しないで、あなたのことは巻き込まないから。私一人では何もできないかもしれないけど、自分のせいで誰かが不幸になるのは嫌なの」


それを聞いたビクトールは、泣き笑いのような表情をした。相手の懐にもっと飛び込みたいという欲望と、自分を気遣ってくれる人間がいた事実と。その狭間でどうしていいか分からなくなり、下を向いて髪をくしゃっとした。


「ねえ、明日も来ていい?」


なぜそんなことを聞くのだろう。そんなの分かり切ったことなのに。


「いいよ、また明日」


こうして二人は翌日また会う約束をして別れたのだった。


**********


「ねえ、カイル? 3年の主席って平民の特待生らしいけど、どんな人? 同級生なのよね?」


多くの生徒でごった返す昼食時、フローラはカイルに話しかけた。どうして突然ビクトールのことを自分に尋ねるのか? カイルは一瞬ぎょっとしたが、そこは持ち前のポーカーフェイスで対応した。


「うーん、大したことない奴だよ? 親しい友達もいないしいつもぼっち。陰キャラで誰も近づこうとしない」


「平民から立て続けに魔法学校に入る生徒が出てくるなんて珍しいみたいね。私たちみたいな存在をもっとアピールした方が、魔法は貴族の特権だという民衆の不満も和らぐと思うんだけどどうかな?」


カイルはうーん、と曖昧な返事をしておいた。立て続けと言ってもたった2人では例外中の例外であることには変わりがない。そうは言っても、フローラを眩しそうに見つめるルークの前では率直な意見は言えなかった。


「どうだろう? さっきも言ったように目立つことが好きな奴じゃないから、そっとしといた方がいいんじゃない? 下手に話しかけたらフローラが嫌な思いをするかもよ?」


カイルはやんわりとけん制したつもりだった。ここでは警戒心を露わにすることはできない。しかし、フローラが何らかの行動に出る可能性は十分に考えられた。


「うーん、そうかあ。いいアイデアだと思ったんだけどなあ」


口をとがらせて言うフローラは、自分がどう振舞えばかわいく見えるか分かってやっているのだろう。そんな彼女を、カイルはやれやれという思いで眺めた。とりあえず、今のところはまだ無事だが、念を入れて忠告しておいた方がいいだろう。


昼食が終わり、教室へ向かおうとしたカイルは、偶然廊下でリリアーナを見かけた。早速彼女に忠告しようと思い近づいた。


「リリアーナ、久しぶり」


二人が会うのはルークに杖を向けられた時以来である。リリアーナは彼を目にすると一瞬はっとして歩みを止めた。とりあえず、先日のお礼を言っておいたほうがよさそうだと判断した。


「別にいいよ、大したことしてないし。あれから大丈夫だった? そうだ、一応報告なんだけど、フローラがビクトールに会いたいと言ってた」


リリアーナはぎょっとした反応を見せた。


「自分と同じ平民出身の優秀な魔法使いとお近づきになりたいとか何とか。あいつのことだから何か企んでいるかもしれない。気を付けて」


リリアーナの顔はみるみるうちに青ざめた。あのフローラは一筋縄ではいかない。彼女の毒牙がビクトールにも迫っているとしたら由々しきことだ。


「ビクトールのことになると分かりやすく反応するね。俺より彼の方がいい?」


カイルに冷やかされて、リリアーナはいつもの調子を取り戻した。


「何を言ってるの? あなただってこれっぽっちも私に興味はないくせに?」


「どうしてそう思う?」


「前にビクトールが教えてくれたの、惚れ薬がどのように作用するのかを。人は誰かを好きになった時、心拍数が上がって、身体が熱くなって、瞳孔が開くんですって。その身体変化を惚れ薬の力で起こすことによって、好きになったと錯覚させる。種明かしを聞いたら拍子抜けしちゃった。もっとすごいことが起きているのかと思った」


リリアーナはそこで一旦言葉を切り、カイルに微笑みかけた。


「私に結婚の申し込みをした時、あなたにはそんな変化が一切なかったわ。至って冷静沈着だった。こう見えてよく観察してたのよ。本当の目的は私じゃなくて……ビクトールの方でしょ」


カイルは、見事言い当てられた心の動揺を隠すようにははっと笑って見せた。


「すごいね、名探偵さながらの推理だ。どうして分かったの?」


「私よりビクトールに執着しているのが丸わかりだったもの。あいにくだけど私は餌にはなれないわ。お役に立てなくてごめんなさい」


やっぱりリリアーナは他の女とは違う。家の中では冷遇されていると言うが、魔力が少ないくらいでそんな仕打ちをするなんて目が節穴ではないのか。ビクトールだけでなく彼女も手に入れたい。カイルは俄然やる気が出て来た。


「やっぱり君は魅力的な女性だ。こないだも嘘じゃなかったけど今も本気だよ。もっと自分を評価してくれる家に入りたいとは思わない? 父も君のことを気に入ると思う」


「本当に愛の欠片もないプロポーズね。まるで仕事の話みたい。でもその方があなたらしくていいかも。私より先に父の公爵を説得してね。あと、ご忠告ありがとう、フローラには気を付けます。それではまた」


始業のベルが鳴りそうだったので、リリアーナは早足でその場を立ち去った。恋人まではいかなくても戦友にはなれそうだなと考えながら、カイルはその後ろ姿を見送った。


一方、教室へ戻ろうとしていたリリアーナだったが、突然心の中に嵐が巻き起こったような気持ちに陥った。リリアーナから何も出てこないので、今度はビクトールを攻めようという魂胆なのだろうか。そもそも直接薬を盛ったカイルは無傷なのが許せなかった。


(よく考えたら発端はあいつじゃない! なのに、いい人ぶって忠告してくるなんて本当にずるい奴!)


今頃になって腹が立って来た。彼がいるうちに一言言っておけばよかったと後悔したがもう遅い。それにしても、フローラはなぜリリアーナの居場所を次々に狙うのか。ビクトールの研究室は、支えを失ったリリアーナがたどり着いたシェルターのような場所なのだ。ここまで奪われたら、彼女には居場所がなかった。


(一度断ってしまったけど、やはり毒薬を作ってもらったほうがいいかしら? あれだけしつこいと完全に消さなければどこまでも追いかけてくるわ)


一瞬そう考えたが、慌ててかぶりを振って否定した。ビクトールがトトとジュジュに向ける優しい眼差しを思い出したら、そんな恐ろしいことは頼めない。自分の復讐に彼を巻き込むことだけはできなかった。かといってどうすればいいかも分からず、リリアーナはモヤモヤした気持ちを持て余したまま、身体を引きずるようにして教室へと戻った。

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