第12話 氷の食卓と常春のお茶会
「おい、さっきの男は何者だ? 見たところ貴族ぽくないが、どうして魔法学校の制服を着てるんだ?」
帰りの馬車の中で、次兄のナイジェルがリリアーナに尋ねた。リリアーナはずっと馬車の窓から景色を眺めて、ナイジェルと顔を合わせないようにしていたが、仕方なく彼の方に顔を向けた。
「平民だけど優秀なので特待生として入ったの。どんな貴族よりも優秀なのよ」
リリアーナは、兄の先ほどの振る舞いに対して非難するニュアンスを込めたつもりだったが、ナイジェルはフンと鼻を鳴らしただけだった。
「婚約解消したからって、平民と仲良くするとはやりたい放題だな。そこまで自由にしていいと言った覚えはないが」
「同じ学校に通っていれば、平民も貴族も関係ないでしょ? それに、貴族は平民と口を聞いてはいけない決まりでもあるの?」
鼻をつんと上に向けて言うリリアーナの生意気そうな顔を、ナイジェルはうっとおしそうに睨みつけた。全くこの妹は、王太子の婚約者も十分に務まらないくせに鼻っ柱だけは高いのがムカつく。
「お前、婚約破棄があって意気消沈するかと思ったら、逆に生き生きしてるじゃないか。今日なんか厨房に大量のサンドイッチを作らせたらしいが、隠れてコソコソと何やってるんだ?」
「お友達と一緒に食べたのよ。別に隠れてなんかないわ。それとも何? 私がルークに振られてしょんぼりしている方がよかった?」
「……家に帰ってからもその威勢の良さが残ってるといいけどな」
リリアーナはそれを聞いてさっと青ざめた。まさか、父が帰って来ているのか。リリアーナの父、オズワルド公爵は公務で家を空けることが多い。婚約破棄があってからも特に娘を気にかける様子もなく、いつも通り淡々と仕事をこなす父に、やっぱりかと失望すると同時にどこかほっとする気持ちもあった。父と顔を合わせるのは昔から苦手だ。それなら兄に憎まれ口を叩く方がまだマシだ。
大口を叩いた以上、ナイジェルに尋ねるのも気が引けてそれ以上は尋ねなかったが、兄はそんな彼女を冷ややかに見つめていた。
帰宅して家に入ると執務室の灯りが付いているのを見て、自分の予想が当たったことを察した。
(やっぱり思った通りだ……じゃ夕食も一緒になるのね)
せっかく先ほどまでうきうきしていた気持ちがこれで完全に萎えてしまった。食欲が一気に失せたのは、先ほどサンドイッチを食べたからだけではない。
着替えてからリリアーナは食堂室に向かった。既に父と長兄のジョシュは席に着いており、何やら仕事の話をしている。どこか遠くの外国の話をしているなと思いながらリリアーナは椅子に座った。
「久しぶり、リリアーナ。会うのは婚約破棄の時以来だが調子はどうだい? ナイジェルによるとそんなに落ち込んでいないと聞いたが」
「何もないと言ったら嘘になります。ルールを破った側にペナルティがなかったので、勘違いする輩が現れ迷惑しました」
リリアーナは硬い表情で、婚約破棄について父が抗議しなかったことをやんわりと当てこすった。
「そうか。オズワルド家の威信を守るため、そこは君が体を張って止める場面だな。社交の技術はそういう場面で役立つ」
父は、リリアーナの思惑を見透かしているのか、軽く受けて流すだけだった。
(いつもこうだ……のらりくらり交わすだけで正面から向き合おうとしない)
リリアーナが父を苦手にしている理由は正にこのせいだった。父が彼女と話す時、彼女を素通りしてその先にある別の存在を見ているのではと思うことが何度もあった。そんな時はいつも、自分が透明人間になったような気がする。こちらからどんなにぶつかって行っても暖簾に腕押し。兄たちの場合はそうではないのに、なぜ自分だけ? やはり魔力が少ない落ちこぼれのせいだろうか。
「リリアーナと言えば、最近帰りが遅くて、どうやら平民の男子学生と会っているようなんです。ルーク殿下と婚約解消した直後に他の男、しかも平民と会ってるなんて。お父様からも言ってやってください」
すかさずナイジェルが父に報告した。またナイジェルのええかっこしいが始まったとリリアーナは思った。親の前ではいい顔をして、妹の一挙手一投足を親に報告するのは昔からの癖だった。
「変な言い方しないでよ。勉強を教わってるだけと言ったでしょう。主席なのよ」
「ほう、平民が魔法学校に入るのも珍しいのにおまけに主席なのか? フローラ嬢以外にもそんなのがいるのか。珍しいな」
「そうじゃなくて。主席だかなんだか知りませんが、公爵令嬢が交流すべき人物ではありません」
ナイジェルは父に食い下がったが、父は表情一つ変えなかった。
「まあ、勉強を教わっているのならいいじゃないか。学校内では身分の差を設けないというのが建前だから。今のうちに階層の違う人間と交流しておくのもいい社会勉強になる。どうせ卒業したらそんな機会もないだろうからな」
確かに。ビクトールと会うのが許されるのも、学生時代のモラトリアムに過ぎないのだ。リリアーナは、そのことに気が付いて胃の底がずんと重くなった。そこへ、長兄のジョシュが口を挟んだ。
「ですが、リリアーナに変な噂が立つのも心配です。今後の縁談に差し支えがあったら……」
「ああ、そのことなんですけど」
リリアーナはおずおずと口を開いた。
「あんなことがあった直後で、しばらくは縁談の話は聞きたくないの。少し考える時間をくれませんか?」
「何を言い出すんだ、リリアーナ?」
父はおやという顔をした。
「遠い未来のことは分からないけど、男性に嫁ぐだけの人生以外の可能性も考えたいんです。自分のやりたいことを見つけたいと言うか——」
「お前は公爵家の令嬢だぞ?! 血の継承が高位貴族の務めであることは知ってるだろう?」
ジョシュが声を荒げた。
「私の人生よ? 血の継承だけを考えて生きるなんてまるで家畜にでもなった気分だわ! 自分で人生を切り開ける力があれば、自由に生きる道もあるんじゃないの?」
それを聞いた二人の兄はせせら笑った。魔力の少ないお前に何ができるんだと言いたいのだろう。兄たちの考えていることが手に取るように分かって、リリアーナは唇をかんだ。そこへ父が静かに口を開いた。
「そうだね。勝手に人生を決められ、やりたいことも自由にできない。それは私も兄さんたちも同じだ。この家に生まれた以上、豊かな生活を送る代わりに義務付けられた宿命だ。皆それを受け止めて粛々と生きている。やりたいことだけやっている人間なんていないんだよ。いつからお前はそんな駄々っ子になったんだい? いいかげん大人になりなさい」
それを聞いたリリアーナは言葉に詰まった。穏やかに静かに、でも確実に頭を押さえられる。決して強い調子ではないが、真綿で首を絞められるような息苦しさが父の言葉にはあった。この人とは一生分かり合えそうにない。リリアーナは諦めたように立ち上がり「お先に失礼します」と言って食堂室を出た。
礼儀なんて知るもんか。これしか自分にできる対抗策はない。階段を上りながらそう考えていると、ふと壁にかけられた肖像画が目に留まった。リリアーナの母、アレクサンドラだ。青い目とブロンドの髪は母から受け継いだ。父と兄はブラウンの髪に黒い目だから、母の特徴を継いだのはリリアーナだけだった。
「それなのに魔力は全く受け継がなかったなんて皮肉ね。今の状況、お母様なら何て言うかしら?」
リリアーナは、誰もいない階段の踊り場でぽつりと呟くと、大きなため息をついて自分の部屋へと戻った。
**********
王宮の中でも「常春の庭園」と呼ばれる場所がある。そこは、季節に関係なく一年中色とりどりの花が咲き誇る天国のような場所だった。この国の魔法の叡智を駆使して、バラバラの季節に咲く花が同時に開花するという奇跡のような現象が実現できている。ここに招かれるのは、貴族の中でも身に余る光栄とされていた。
この日は、ルーク主催のお茶会が開かれていた。もちろん新しく婚約者となったフローラも一緒だ。名前も知らないふくよかな婦人がフローラに親し気に話しかける。
「魔法使いの中でもかなり優秀でないとここの庭師にはなれないそうよ。確かに季節に関係なく花を咲かすなんてちょっと考えられないものねえ。でもフローラ様ほどの方ならそれも難しくないのかも」
「いいえ、とんでもありません。私は治癒魔法に特化しているので、専門外のことは分かりませんわ」
フローラは、新しい婚約者という役割を懸命に演じていた。ルークに取り入った当初は、平民上がりの娘が何を思い上がったことをと蔑む目で見る者も少なくなかったが、新しい婚約者と正式に発表されたら、手のひらを返すようにみな自分への味方となった。立派な服を着て偉そうにしている貴族も一皮むけばこんなものだ。フローラは、手品の種明かしを見たような拍子抜けした気持ちになった。
でも、この世界は彼女にとって好都合とも言えた。元々人の心をつかむのが得意だったフローラにとって貴族社会は息がしやすい。未知の世界に適応することは余りにも簡単で、公爵令嬢のリリアーナと自分の立場が逆転したことも誇らしかった。
「それにしても不思議ですね。貴族だけが魔力を持つと長年信じられてきたのに、こう立て続けに例外が起きるなんて。3年生にも、奨学金で入った平民の特待生がいるそうじゃないですか。一体どうなっているんでしょうねえ?」
その話を聞いて、内心有頂天になっていたフローラは我に返った。
「3年の特待生は主席だとか。平民が魔法学校に入れるだけでもすごいのに、1位だなんて。なんでもっと話題に上らないんでしょう?」
他の参加者からも声が上がった。確かに、同じ立場なのにフローラが注目されているのに比べたら雲泥の差である。
「男子生徒だから地味で目立たないのかも。フローラ様のように癒しの力を持っているわけではないし」
「でも、ネームバリューとしては価値がありませんか? 平民の特待生で、学年1位なんて前代未聞ですよ。誰かが目をつけてもおかしくない」
「聞いたところによると、かなり偏屈で貴族嫌いだそうで。学校でも友人がいなくて孤立しているそうですよ。平民は平民でも、最下層のスラム街出身だとか。これじゃ卒業しても碌なところに行けませんよ、育ちが悪い人間は嫌われる」
「そんな人物に奨学金を与えるのもどうかと思うね。将来がない者に学問を施しても意味ないじゃないか」
ビクトールについて参加者たちが好き勝手言うのを、フローラは黙って聞いていた。3年に平民の優等生がいるのは彼女も聞いたことがある。しかし、学年が違うので直接会ったことはなかった。
「噂じゃ、オズワルドの公爵令嬢が彼に近づいているそうですよ。溺れた者は藁をもつかむですかね」
突然リリアーナの話題が出て場の空気が固まった。現婚約者の前で前の婚約者の名前を出すのはさすがにまずい。発言した者もつい調子に乗って口を滑らせたことに気付き、恥ずかしそうに下を向いた。すかさず誰かが話を引き継ぎ、何事もなかったかのように別の話題へと移行させた。
(なぜリリアーナ様が平民の特待生と接点があるの? どういうこと?)
フローラは上の空で話を聞きながら、頭の中で考えを巡らせた。そして、先日の不可思議な出来事を思い出した。
(ああ……そういうことなのね。なかなかやるわね、あの人も。ただのお嬢様かと思ったら、転んでもただでは起きない人なのね。そっちがそのつもりならこっちにも考えがあるわ)
フローラはほくそ笑みたい気持ちを押し隠しながら、聖女らしい慈悲に溢れた笑みを浮かべ、参加者たちに愛想を振りまいていた。
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