第11話 ささやかな団らん

「こんにちは、ごきげんいかがが? 仕事なんか切り上げて早くあなたのお家へ行きましょうよ」


大きなバスケットを持ってやって来たリリアーナを見て、ビクトールはため息をついた。いつもの研究室の新しい日常。リリアーナは前と同じように足しげく通うようになった。お昼も食堂で食べるのをやめ、家から簡単につまめるものを持ってここに来る始末だ。


たまに仕事の依頼をしに誰かやって来る時は、隣の部屋に隠れて身を隠し、ビクトールが防音の魔法をかけて会話が漏れないようにする。この日は、トトとジュジュにサンドイッチを届ける約束をしていた。


「なんかとはなんだ。仕事が終わらないことには家には行けないぞ」


「トトとジュジュがお腹を空かせて待ってるわよ。早く行ってあげないと可哀そうよ」


「金をとる以上納期は守らなくてはならない。商売は信用が大事なんだ」


リリアーナは、ブーブー文句を言いながらスプリングが壊れたぼろぼろのソファに座った。いつの間にかこのソファが彼女の特等席になっている。ビクトールは手を動かしたまま、調合器具の隙間からこっそり彼女を垣間見た。カイルに結婚を申し込まれたらしいが、特に変わった様子は見られない。本当のところどう思っているのだろう? 外からは何も分からなかった。


「ねえ、まだあ? ちゃちゃっと終わらせてよ」


催促されると気が散るのに、そんなのお構いなしだ。ビクトールは何か言い返そうとしたが、時間の無駄なので無視した。やがて仕事が終わり、リリアーナと一緒に家へと向かった。いつものように父は不在で、トトとジュジュは行儀よく兄の帰りを待っていた。


「お兄ちゃんお帰り。あ、リリアーナも一緒だ!」


リリアーナがバスケットに入ったサンドイッチを見せると、トトとジュジュは目をキラキラと輝かせた。ハムとチーズ、ほぐした肉にレタスとトマト、マッシュポテトとコンビーフと種類も豊富で、何よりたくさん具が詰まっていた。こんなに手の込んだサンドイッチを食べるのは初めてだ。ビクトールは二人に手を洗うように言い、めいめいの皿にサンドイッチを盛りつけた。


「とてもおいしい! こんな具沢山のサンドイッチ食べるの初めて!」


「ねえ、もう一個食べてもいい?」


二人とも口々においしいと繰り返しながらサンドイッチを頬張った。こんなに喜んでくれるなんてとリリアーナは嬉しく思った。家のコックに指示した時は怪訝な顔をされたが持ってきてよかった。


「もちろん。お腹いっぱいになるまで食べてね」


リリアーナがトトとジュジュを見つめる視線はとても優しくて柔らかい。ビクトールはみんなにお茶を振舞いながら、そんな彼女を眺めていた。


「ビクトールの分もあるから召し上がって、たくさん持って来たから大丈夫よ」


「リリアーナも一緒に食べようよ! みんなで食べたほうがおいしいよ!」


「こんなにあるから私たちだけじゃ食べきれないよ。一緒がいい!」


子供たちに言われ、リリアーナは少し気まずそうな素振りを見せた。自分が食べたら彼らの分が減ってしまうと遠慮しているようだ。だが、ビクトールの方を見ると、彼もぎごちなく微笑んだので、二人ともおずおずと手に取って口に運んだ。


「ね、おいしいでしょう!」


ジュジュに笑顔で言われて、リリアーナも笑顔で返した。


「ええ、みんなで食べるとおいしいわ! 自分の家よりずっといい! 何を食べるかじゃなくて誰と食べるかなのね!」


彼らのやり取りを見て、それは自分も同じだということにビクトールも気づいた。父と母からは与えられなかった家族の団らんをこんな形で追体験しているのが不思議な気がする。つい数か月前までは、貧しい我が家で将来この国の王妃になるはずだった人物と食卓を囲むなんて想像もできなかった。


腹いっぱい食べた後は魔法の花や動物を出して弟たちを楽しませた。今度はビクトールもシャボン玉や魚を出してやったらトトに「お兄ちゃんもできるんだ!」と驚かれ、それを聞いたリリアーナは涙が出るほど笑った。


ひと段落してからビクトールは食器を洗っていた。すると隣にリリアーナがやって来て手伝うと言い出した。


「公爵令嬢が皿洗いなんてしたことないだろう? 一体どんな風の吹き回しだ?」


「これからは色んなことを体験しておくべきだと思うの。何が役立つか分からないでしょう?」


「没落でもしない限り大丈夫だよ。嫁ぎ先だって裕福だろうし」


「そんなの分からないわよ……結婚しないかもしれないし」


いきなり何を言い出すんだと思ったが深く追及はせず、そこまで言うのならとビクトールはスポンジを渡した。魔法を利用すれば皿洗いも大分楽になるのだが、父が魔法を嫌うため家では使わないようにしていた。父が不在でも、どこに魔法の痕跡が残っているか分からないため、家の防御魔法以外は完全封印していた。


「割らないように気をつけろよ。怪我したら危ないから」


ビクトールはハラハラしながら傍らでリリアーナの手つきを監視していた。初めてのせいか、元々不器用なのか、危なっかしくて目が離せない。これなら自分がやった方がマシだ。


「……ねえ、卒業したらあなたはどうしたい? どうなるか、じゃなくてどうしたいか聞きたいの」


ふと作業の手を止め、リリアーナはビクトールの目を覗き込むように顔を向けた。


「どうしてそんなことを聞くんだ? あんたには関係ないじゃないか?」


「やっぱり魔法技術省がいいの? でもそんなの無理だって言ってたわよね? それなら何かの伝手で魔法薬師として働けるならどうする? その伝手を頼ってみたい?」


「……話が見えてこない……余りにも荒唐無稽すぎて……」


「あなたを評価する人間は結構いるんだから、荒唐無稽な話じゃないわよ。もしどこかの高位貴族があなたを欲しがっているとしたらどうする? その貴族に忠誠を誓う代わりに生活は保証される。もし望むなら私が協力して……」


リリアーナは手をもじもじさせながら、視線を下にさまよわせた。彼女の言っている意味が分からないビクトールは正直に答えた。


「俺が貴族を嫌っているのはあんたも知ってるだろう? 今やっている仕事も法外な報酬が得られるが、一生続けるには危険がつきまとう。魔法の仕事に就くことは、貴族社会の中で生きていくという意味だが、俺にそれが務まるとは思えないよ。あの聖女候補みたいにうまく渡っていける気がしない」


そう言うとビクトールは苦笑した。じっと耳を傾けていたリリアーナはしばらくうつむいて何やら考えていたが、やがて顔を上げて皿洗いに戻った。ビクトールは、今のは何だったんだと思いつつ、何となく先を聞くのも憚られ、黙ってゆすいだ皿を拭く作業をしていた。


トトとジュジュに別れを告げ、家を出た頃は既に日が傾きかけていた。ここからスラム街を抜けてオズワルド家の馬車を待たせているところまで歩くことになる。もちろんビクトールも一緒だ。また襲われるようなことがあったらまずい。魔法学校の制服を着ていればそれだけで貴族と分かるし、そうでなくてもリリアーナの外見を見て裕福な家の出と思わない者はいない。傍から見れば貴金属をぶら下げて歩いているのと同じだった。


「これから家に来るときは必ず俺と一緒だ。そうでないと危ない」


「え? またあなたの家に来ていいってこと? トトとジュジュに会えるなら喜んで行くわ!」


ビクトールは、迂闊なことを口走ったと後悔したがもう遅かった。父親には絶対会わせたくなかったが、今の時間であれば当分心配ないだろう。一晩中帰ってこない日もあるくらいだ。むしろその方が安心だった。


スラム街を出て少し歩くと、オズワルド家の紋章がある馬車が見えて来た。普通御者がいるだけなのだが、今日は傍に一人の貴族らしき男性が立っている。リリアーナはその男性を認めると突然歩みを止めた。ビクトールも釣られて立ち止まる。何事かと思って彼女を見ると、その顔はこわばっていた。異変を感じ取って口を開こうとしたら、先に相手の方が話し始めた。


「貧民街の方からやって来たように見えたがどういうことだ? 隣にいる男は? 未婚の令嬢が婚約者でもない男と一緒に歩くとは何事だ?」


「質問攻めにしないでよ、ナイジェル兄さま」


リリアーナは気まずさを隠すように、努めて明るく言ったが効果は乏しかった。なぜこんなところに兄が来ているのか。リリアーナをずっと待ち伏せしていたのだろうか。


「ごまかさずに質問に答えろ。俺は家を任されている以上、お前の面倒も見なくてはならない」


「この人は学校の友人よ。勉強を教えてもらったの。ビクトール・シュナイダー、3年の主席なの」


彼が平民の出であることや特待生であることは黙っておいた。兄のナイジェルにとって、それらの情報はマイナス要因であるからだ。しかし、ナイジェルはビクトールを一瞥しただけで挨拶を返さなかった。一目で貴族らしくないと見て取ったのだろう。実際、貧相な身なりなのでそう思われるのは仕方なかった。


「最近帰りが遅い上に、コックに大量のサンドイッチを作らせていたから何をしているかと思えば。監視してないと何するか分からんな。さっさと帰るぞ。馬車に乗れ」


「ビクトールに挨拶してちょうだい」


リリアーナはその場から動かず断固とした口調で呼びかけた。人を見た目で判断するなんて、こんなのが兄かと思うと恥ずかしい。相手が平民だからって挨拶をしなくていいなんていうマナーは存在しないのだ。


「今日のところは許してやるが、あまり好き勝手なことはするな。目に余るようならお父様にも報告しないといけない」


ナイジェルが先に馬車に乗り込んだ後も、リリアーナはしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて諦めたように馬車へと歩き出した。そして乗り込む直前にビクトールに向かって消え入るような声で「ごめんなさい」と言った。ビクトールは、そこから一歩も動けないまま、馬車が走り出して見えなくなるまで見送るしかなかった。

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