第7話 招かれざる客

ビクトールの元には、様々な事情を抱えた学生がやって来る。合法的には手に入らない魔法薬を調合してもらうのが目的だ。中には危険な匂いのする依頼もあったが、ビクトールは何も言わず引き受けていた。自分さえ巻き込まれなければ倫理や道徳はどうでもいい。大事なのはお金だ。


カイル・ギャレットもそんな客の一人だった。ギャレット侯爵家は、先祖代々諜報活動を生業としている。以前は別の闇ルートで非合法の魔法薬の調達を行っていたが、一学生のビクトールの作る薬の方が出来がいいことを知って、息子のカイル経由で度々依頼をするようになった、いわば「お得意様」だ。この日も、用事があってカイルはやって来た。そこへちょうどリリアーナと鉢合わせしてしまったというわけだ。


(どこまで聞かれた? 場合によっては忘却の術をかけなければ)


ビクトールは内心警戒しながら、表向きは慇懃な態度でカイルに接した。


「今日は何の依頼ですか、ギャレット様」


「堅苦しくするなといつも言ってるだろ。俺とお前の仲じゃないか」


緊張した面持ちのビクトールとは対照的に、カイルは鷹揚な態度で接した。あかがね色の髪にとび色の目をした華やかな顔立ちで、人好きのする性格も伴っているとなれば女子生徒の人気も高い。おおよそこんな陰気な場所には似つかわしくない人物だった。


「お互いの関係を明確にしたいんです。ここは学校とは言え、報酬と引き換えに魔法薬を調合する契約の場ですから」


ビクトールが客にへりくだる店員のような態度を取るのには理由があった。相手のプライドを傷つけたくないというよりも、心理的に彼らと距離を取っておきたいと思っているからだ。とはいえ、いくら言葉遣いを変えても、その目を見れば相手を警戒しているのは隠しきれなかったが。


「本題に入る前にさ、ここに誰かいただろ。どうせ隣に隠れてるんだろ?」


ビクトールはさっと懐から杖を出してカイルに向けた。それを見たカイルはひるむどころかアハハと笑い出した。


「杖を向けるとは物騒だな。忘却の術でもかける気か? 慇懃な態度が見せかけなのは知ってたけど、お前本当に分かりやすいな!」


カイル自身、危険な現場に遭遇することが珍しくないのだろう。これくらいのことでは何ら臆することはないようだ。ビクトールは構えの姿勢を解かぬまま、カイルに尋ねた。


「どこまで聞いた? 正直に答えろ」


「そう言われて正直に言う奴がいると思う? まあ、本来の用件の方が大事だからどうでもいいけど——」


「別に隠すことなんてないわ。こんなところで会うとは思わなかった。久しぶりね、カイル」


驚くことに、リリアーナの方からドアを開けて出て来た。これには、流石のカイルも目を丸くした。


「これはこれは、リリアーナだったのか。どうして君のようなお嬢さんがこんな所にいるんだい?」


「しらばっくれないで。聞き耳を立てていたんでしょう? どこまで知っているの?」


それを聞いたカイルは人懐っこい笑みを浮かべながら両手を上げた。


「二人してそんな怖い顔して脅さないでくれよ。大丈夫だよ、誰にも言わないから」


「そんなの信用できるわけないじゃない。あなたはルークの取り巻きの一人なんだから」


リリアーナはカイルを睨みつけながら言った。先日の食堂でのひと騒動もルークたちと一緒に見ていたに違いない。


「それはまあ、否定はしないけど。でも、こっちも好きで取り巻きやってるわけじゃないよ。父の指示でルークを監視しているの。本当だよ?」


それでもなお、リリアーナは警戒を解かず、鋭い目つきでカイルを睨みつけた。


「信用してよ、こっちも秘密を打ち明けたんだから。君のことに関しても俺自身はかなり同情してる。君が婚約者だった頃は、お昼も一緒じゃなかったし、人前でベタベタすることなんてなかったよな? でもあのフローラが来てから俺たちも足並み乱されて苦労してるんだよ。君はちゃんとルークの手綱を掴んでおいてくれた。それが今じゃこのザマだ」


「それが何だと言うの? あなたが私を脅す格好のネタを手にしたことには変わりないわ」


「そんなに言うなら、俺も仲間に入れてよ。もちろんルークを殺める真似はしないよ? でもこっちも一つ調べたいことがあるんだ。ルークが心変わりしたのは、誰かに操られているせいと考えたことはないか?」


カイルの突拍子もない話に、リリアーナもビクトールも一瞬虚を突かれた。


「突然なに言い出すんだ?」


「フローラが、ルークを何らかの術にかけてたらしこんで自分のものにしたんじゃないかということだよ。だってルークの変貌は唐突だったからね。もっと冷静沈着な奴かと思いきや、今じゃ見る影もない。あれではみんな変だと思うよ。もちろん真実の愛とやらという可能性もあるが、一度きちんと調べてみる価値はあると思う」


カイルはこう言ったが、ルークを間近で見ていたリリアーナは、彼の心境の変化は本物だと信じるに足りる根拠があった。礼儀としてリリアーナには紳士的に振舞っていたが、燃えるような熱情は彼から一度も感じることはなかった。常にリリアーナの一方通行だった。今になってそのことを認めるのは辛いが、真実なのだから仕方ない。


「もしかして、それも彼を監視している理由の一つなの? フローラが不穏分子でないか見張るために?」


「さすがリリアーナ。物分かりがいいね。つまり、俺にとっても興味あるんだ。君だってそうだろう? ルークの真意を知りたくない? もしフローラがクロだったらルークとは婚約解消になる。君のところに戻ってくるかもしれない」


例えフローラと別れても、今更自分のところにルークが戻って来るとは思えなかった。そうだとしても確かめてみる価値はあるのかもしれない。しばらく考え込んだのち、リリアーナは顔を上げた。


「……分かったわ。ビクトール、術をかけられた状態を見破る薬を作ってちょうだい。報酬は私が払うわ」


「なっ……何を言い出すんだ!?」


ビクトールは信じられないと言うように声を上げた。


「報酬なら俺と折半しようよ。元はと言えば俺が言い出したことだ」


「フローラの企みを暴いたとしても、ルークは私に戻って来ないかもしれない。それでもいいから真実を明らかにしたい。もしクロだったら、あの女の尻尾を捕まえてやるわ」


「ははは、威勢がいいね。それでこそリリアーナだ。気に入ったよ」


カイルは機嫌よく笑ったが、ビクトールの方は不安が拭えなかった。何だか嫌な予感がする。もちろん証拠の残らない毒薬よりは危険が少ないが、リリアーナの心情を考えると、彼女が無理をしている気がしてならなかった。それにどうやって王太子に薬を盛るのか、それを考えていたらカイルがビクトールの思考を読んだかのように同じことを言い出した。


「薬ができたら俺が盛ってやるよ。俺ならいつも近くにいるし、一番怪しまれないだろ? バレるようなヘマはしないから大丈夫。こういうのは得意なんだ」


まるで前にもやったことがあるような言い方だったが、敢えてそこは深く突っ込まないでおいた。確かに要領のいいカイルなら如才なくやってのけそうである。


「じゃあ、私はこれで失礼するわ。カイル、あなた本来の用事があったんでしょ? 聞かれたくないことでしょうからいなくなるわね」


リリアーナが部屋を出て行くのを見送りながら、カイルは心から感心したような声で話した。


「ははは、すごいね。気の強い女とは聞いていたが噂以上だ。あの女の尻尾を捕まえてやる、だってさ。でも本当に惚れただけならどうするんだろうな? 自分がますます惨めになるだけなのに?」


「……そうなることを見越してでも、真実を明らかにしたいんだろう」


ビクトールはもう、カイルに対する慇懃な態度を取り払っていた。


「へえ、彼女のことよく知ってんじゃん。付き合いは長いの?」


「仕事以外のことで絡んでくるのやめてくれないか? あんたに関係ないだろ?」


「そういう反抗的な目もいいね。まあ普段もへりくだっているというより、慇懃無礼という感じだったけど」


上機嫌さを隠そうとしないところが癪に障り、ビクトールは声を荒げた。


「リリアーナの依頼については、俺は聞くつもりはないからな。彼女を脅したって無駄だぞ」


「へえ、正義の騎士気取りか。スラム街出身の特待生が、王族ともつながりのある公爵令嬢をねえ」


カイルはそう言うとビクトールの胸ぐらを掴んで、ぐっと顔を近づけた。


「思い上がるなよ。お前は俺やあの公爵令嬢とは住む世界が違うんだ。あの女だってそう思ってお前を利用しているだけだ。勘違いしたら痛い目を見るぞ。では約束の期日までに術表しの薬をよろしく。本来の用件はまた後日にするよ」


そう言い残してカイルは部屋を出て行った。一人残されたビクトールはしばらくそのまま立っていたが、やがて力尽きたように椅子に腰かけた。そして「そんなの分かってるよ……」と小さく呟いたのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る