第3話 モグリの魔法薬師

ショックの余りしばらく人前に姿を現さないだろうという周囲の予想を大きく裏切り、リリアーナは、舞踏会の翌日には魔法学校に姿を見せていた。いつもと変わりない様子で大股で闊歩する彼女は、多くの生徒から驚きと奇異の目で迎えられた。


彼女はある場所を目指していた。それは、廃墟一歩手前の旧校舎。新校舎に建て替える際、旧校舎はあらかた取り壊されたが、敷地の隅に一部だけ残された。かつては部室に利用されていたが、現在はそれも移転して表向きは立ち入り禁止となっている。


しかし実際は、授業をサボる生徒の居場所になっていたり、治安の悪い活動の拠点として稀に利用されることがあった。お行儀のいい貴族が通う自由な校風の学校において、ギリギリ黙認されたダークサイドの場所として機能していた。


無秩序にツタが絡まる黒ずんだ壁にも何ら臆することなく、ずんずんと廃校舎に足を踏み入れる。中はじめっとしてカビの臭いが鼻を突いたが、そんなことはこれからしようとしていることに比べたらどうでもよかった。廊下は薄暗く、窓から差す放課後の光が埃に反射してキラキラと見える。その中をまるで行き慣れている場所であるかのように迷わず進んで行った。


ギシギシときしむ階段を上ると、2階のある部屋の前に着いた。ドアが固く閉ざされており、ぱっと見何もない部屋に見える。しかしここが目的の場所だ。


一度深呼吸をしてから大きな音を立ててドアをノックした。返事がない。もう一回ノックする。やはり無反応だ。イラっとした彼女は、懐から杖を取り出して呪文を唱えて施錠を壊した。鈍い音を立てて扉が開いたところを、我が物顔で中に入って行った。


「落ちこぼれと言われる公爵令嬢といえども、開錠の呪文くらいはできるのか」


部屋の中は薬草の匂いで充満していた。四方の壁はびっしりと棚になっており所狭しと薬瓶が並んでいる。その中央には魔法薬の調合器具が置かれた机があり、傍らには一人の男子生徒が座っていた。


「私が来ると知っていながら結構なご挨拶ね。ここで不法行為が行われていることを告発してやってもいいのよ?」


リリアーナは、不敵な笑みを浮かべて彼を見下ろした。彼は制服のローブを着てはいるが、リリアーナのものと比べると裾がほつれ色褪せもしていた。一目でお下がりと見て取れる。肩に届きそうな黒髪はよく整えておらず、顔が半分隠れる形になっている。生気のない顔色のくせに漆黒の目だけがぎょろっとこちらを向いていた。リリアーナが普段付き合う人種とは明らかに異なっている。


「あんたが来るのは廊下に設置した監視用の魔道具で分かった。頼みがあって来たんだろう? しかもいいところのお嬢様がこんな場所に足を踏み入れるなんて、よほど切羽詰まっていると見える。誰にここの場所を聞いた?」


誰が見てもリリアーナの方が身分が上なのに、彼は何ら気後れした様子はなく、黒髪の隙間から覗く目で彼女を真正面から見据えた。むしろ、貴族に対する敵意すら伺える。リリアーナは、彼の言葉などお構いなしに自分の言いたいことだけを言った。


「あなたの魔法薬づくりの腕を見込んで、公爵令嬢がこんな汚い場所まで来てあげたのよ。私のことは知ってるわね?」


「王太子にこっぴどく振られた公爵令嬢サマとしては、平民の質問に答える義務はないってことか。自己紹介もしなくていいよ。あんたは今や時の人だからな。悪い意味で」


毒をたっぷり含んだ嫌味を言われても、リリアーナは眉一つ動かさない。こういう類の手合いにはすっかり慣れている様子だ。


「ありがとう、私のことを知ってくれて。自己紹介する手間が省けてよかったわ。早速用件を言うわね。ルーク王太子とあの泥棒猫を殺してやりたいの。証拠が一切残らない薬を作ってちょうだい」


これには彼も言葉を失って目を大きく見開いた。先日の婚約破棄事件はあっという間に下々の民まで広まり、国民の間で知らぬ者はいなかった。公衆の面前で婚約破棄をされて恥をかかされたから復讐してやりたいというのはまだ分かる。しかし、殺すという物騒な言葉が、由緒正しい家の令嬢の口から出てくるとは思わなかった。


「は? 殺す? あんた正気か?」


「まるっきり正気よ。だから現実にできそうな人を選んだの。モグリの魔法薬師さん」


モグリ。彼はうっと言葉に詰まった。


「ビクトール・シュナイダー。貴族しか魔力を持たないと言われるこの国で、最下層の平民から高い魔力を持つ者が現れたと報じられた時は、一時期話題になったわね? あなたは特待生として奨学金を得て、この魔法学校に入学した。そこで頭角を現し、成績はトップクラス。家柄はよくても落ちこぼれの私とは対照的ね」


リリアーナはここで言葉を切って、ビクトールに艶然と微笑みかけた。


「特に魔法薬の調合では、過去に類を見ない天才児だとか。でも、奨学金だけでは苦しいのでしょう? 周りは貴族ばかりで、貧しいあなたは爪弾きにあうし、この学校には居場所がない。そんな中、本来免許がないとできない危険な魔法薬の調合の仕事をこの廃校舎で請け負うことにした。学校には内緒で、学生たちから依頼を受けて高い報酬と引き換えに公には流通していない魔法薬を作る。顧客は金持ちばかりだからいい商売よね。あなたを差別する者たちも、実力だけは評価しているのかしら」


ビクトールはリリアーナを敵意のこもった目でにらみつけた。。


「俺の能力を正当に評価してくれてありがとうと言いたいところだが、まだ若いんで死刑になりたくはないんだ。殺人の依頼ならよそでやってくれ。ここで話したことは黙っておいてやるから」


しかし、リリアーナは、そんな言葉にひるむどころか身を乗り出してきてビクトールに顔を近づけた。


「証拠の残らない毒薬。魅力的よね。魔法使いなら誰でも一度は憧れるんじゃない? あなたなら作れるでしょ? 国家機密級の禁断のレシピ、きっと発明できるわよ?」


薄暗く狭い部屋の中で、リリアーナの紺碧の目だけがらんらんと輝いた。ビクトールはその青の美しさに一瞬見とれてしまった。


「……あんたの魔力じゃ、魅了の魔法は使えないはずだ。期待外れの公爵令嬢さん」


ビクトールはふっと視線を逸らしながら言った。


「そう、私魔力は少ないの。公爵令嬢とあろう者がね。だから半端者。私にあるのは家柄とお金、それと骨までしみ込んだプライドよ。あの王太子は公衆の面前でそのプライドをズタズタにしてくれた。どうやら真実の愛とやらを見つけたらしいけど、何それおいしいの? 王族としての義務も矜持もないわ。私をコケにするとどうなるか分からせてやる」


リリアーナの言葉は、まるで本に出てくる悪役令嬢そのものだった。ビクトールは、高位貴族のいざこざなんて興味なかったが、王太子の婚約者だった女性がこんな性悪女だとは思わず呆れ返っていた。


「真実の愛なんてどうでもいいが、優秀な子孫を残すためなら理にかなってるんじゃないか? フローラとかいう娘は、平民の身分でも百年に一度出るか出ないかの聖女候補と言うじゃないか。できそこないの公爵令嬢よりよほど役に立ちそうだ」


ビクトールはわざと意地悪なことを言ってリリアーナを刺激しようとしたが、彼女はどこ吹く風で無視した。


「国王だけでなく、父の公爵も相手が聖女候補ということで、娘の私を守らずだんまりなのよ。どいつもこいつも腑抜けよね。誰も味方してくれない。どうやら、王太子の短絡的な暴走は波風一つ起こらず、私だけが笑い者になる結果に終わりそうだわ。私一人がおとなしくすれば世界は平和のまま。でもそんなことさせてやらない、この世界に爪痕を残してやる。ただの復讐なんて生ぬるい、歴史に残る悪事を起こして世界を混乱に陥れたい。たまたま生まれがよかっただけで何の取り柄もない女が一発逆転をするにはこれしかないのよ」


強く誇らしげに胸を張って言う彼女が、なぜかこの時だけは痛々しく見えたのは気のせいだろうか。


「あなたは毒薬を作ってくれればいい。疑いが向けられたとしても私一人が罪を被る。あなたを矢面に立たすことはしないわ。証拠が残らなければあなたに足が付くことはないでしょうし。功名心を満たすことはできないけど、魔法薬作りなら世界一と言う自負心は満たされる。今までどんな高名な学者でも成しえなかった偉業を、平民出身の特待生が実現させるのよ。腕はあるけど極貧のあなたが、私というパトロンを得れば高価な原料も簡単に手に入る。鬼に金棒じゃない?」


リリアーナの言葉は甘い毒薬のように耳に入って来た。それに抗うかのようにビクトールは嫌悪と侮蔑のこもった目で彼女をにらみつけながら答えた。


「俺にも欠片ばかりの保身と良心は残っているんだ。危ない橋を渡ってまでプライドを満たす愚かな真似はしたくない。あんたはまるで魔女だな、甘言で人を操って己の暗い願望を満たそうとする。どうせ悪事がバレたら俺を矢面に立たせて、知らぬ存ぜぬを貫き通すんだろう? 帰れ。帰らなければ魔法を使ってでも強引にあんたを飛ばす」


椅子から立ち上がり、懐から杖を出して構えの姿勢に入ったビクトールを見て、リリアーナはせせら笑った。


「私も一度きりのお願いで受けてくれるとは思わないわ。だから明日から毎日通うことにします、あなたが承諾するまで。遥か東洋の国には『三顧の礼』という言葉があるらしいけど、私は3回と言わず何回でも来て差し上げましょう。今日はこの辺でお暇いたします。ではごきげんよう」


リリアーナは舞踏会会場でするような優雅な礼をしてから、自ら部屋を出て行った。階段を降りる音を聞きながら、ビクトールは杖をしまってへたり込むように椅子に戻った。彼女がここにいたのはほんの短時間なのに、どっと疲れが襲った。しかもこれから毎日会いに来るというのだ。


(なんなんだ、あいつは……歩く災厄か……勘弁してくれ)


これほどアクの強い女は初めてだ。思わず王太子に同情したくなる。でも、宝石のような青い目のきらめきは一瞬でも忘れ難かった。あの時、彼女は魅了の魔法を使ったのだろうか? かなり難解な魔法だから彼女には使えるはずがないのに。ビクトールはどれだけ考えても答えが出てこなかった。

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