第2話 復讐は婚約破棄とともに

リリアーナは帰りの馬車に揺られながら、自分の掌をじっと見つめた。ルークとの婚約が決まった翌日から王太子妃教育が始まったが、それは実に苛烈なものだった。言われた通りにできなくて指導係に何度も掌を鞭で叩かれた。両手を真っ赤に腫らしたまま帰宅すると、兄たちは妹をからかった。母はそれを見て黙って魔法で治してくれた。そんな母も、彼女が12の時に亡くなり今はいない。


魔力が少ないことは彼女をずっと苦しめた。成長しても魔力が伸びることはなかった。公爵家という高位貴族の生まれでここまでのケースは珍しい。婚約者になったのも、たまたまルークに釣りあう身分と年齢の令嬢が他にいなかったからに過ぎない。


そんな訳で、魔力が少ない娘は王太子妃に相応しくないのではという声は当然あった。雑音をかき消すかのように、父は13歳にになったリリアーナを王立魔法学校に入れた。貴族の子弟が通う学校と言えばここだけなので、魔力が少なくても家柄と身分に物を言わせて入学できた。当然学校に入ってから苦労したが、そんなことよりもメンツの方が大事な家なので、辛いと訴えることもできなかった。と同時に、王太子の婚約者として無様な姿を見せる訳にはいかない。


こうして常に気を張って気丈に振舞ううちに、いつの間にか「オズワルド家の公爵令嬢は高慢ちきで鼻持ちならない」という噂ができあがっていた。


彼女は美しかった。艶やかな金髪に紺碧の空のような鮮やかな青い目を持ち、見た目も中身もきつそうな美少女。この美貌は母親譲りと言われている。しかし、母は同時にとても優秀な魔法使いだった。娘に魔力は受け継がれなかったのだ。これは、他にどんな美点があってもカバーしきれない致命的な欠点と言えた。


ルークとの関係は変わりなかった。進展もしなければ悪くなることもない。リリアーナはこれでいいと思っていた。これは家同士が決めた政略結婚で、当人の気持ちに関係なく結婚は決まっているのだから。ルークは相変わらず紳士的だ、何の問題もない。そのはずだった、あの娘が現れるまでは。


高等部の2年生に上がった時、一個下にフローラという平民出身の少女が入学してきた。この国で魔法を使えるのは貴族が殆どで、平民で魔力を持つ者は少ない。しかも、非常に稀な癒しの魔法を使えるらしく、次期聖女候補と噂され、周りの話題をかっさらっていた。彼女は男爵家に養子として入り、貴族の称号を得て聖女見習いとして修業を始めているらしい。しかし、リリアーナはその話を聞いた時、なぜこんなに騒がれるのだろうと疑問に思った。


(一個上にも平民の特待生がいるって聞いたけど、彼の時は誰も騒がなかったじゃない、そんなに特別なことなのかしら?)


フローラはみるみるうちに学園の人気者になった。ヘーゼルの瞳にふんわりした栗色の髪を揺らす彼女は、老若男女問わず庇護欲をそそった。その中で一番魅了されたのがルークだ。


そのうち二人はリリアーナに隠れてこっそり会うようになった。男と言うのは若いうちは色々とあるものだ、最後は妻の所に戻って来るから黙って耐え忍ぶべし。そう教えられていたリリアーナは、特に彼をとがめるでもなく見て見ぬ振りをした。


しかし、彼らの行動はだんだんエスカレートした。リリアーナがいる前でも堂々と仲睦まじさを見せつけるようになったのだ。これにはさすがのリリアーナも苦言を呈するしかない。しかしその時はもう手遅れだった。


フローラは垂れ目を潤ませ、それを見たルークはリリアーナの方を叱責した。これではどちらが悪者か分からない。でも、こういう時こそひるまずに耳の痛いことを進言するのが未来の妻の務めと、リリアーナは思った。そしてますます嫌われる結果となった。


ルークの心がとっくにフローラに移っていることは、本当は分かっていた。分かっていても他の生き方を知らないから婚約者の座を明け渡すわけにはいかない。いつか破綻すると分かっていたのに。そしてついにXデーがやって来たのだ。


(これからどうやって生きていけばいいの? ただ黙って耐え忍ぶしかないのかしら? 10年も無駄にしたのに? あの二人はみなに祝福されるというのに?)


リリアーナは、形が崩れるほどの強さで扇を握りしめた。それだけでは飽き足らず、二の腕をぎゅっと握って爪を深く食い込ませた。許せない。これで自分がおとなしく引き下がると思っているのか? 絶対に復讐してやる。それも一番残酷な形で。誰も見ていないことをいいことに、リリアーナは憎悪で歪んだ表情を浮かべたのだった。

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