君が混じった海辺の一億
エリー.ファー
第1話
夏休みの間だけ、一人で旅行をするというのはよくある話だろう。
私の家では、私だけが強制的に家から追い出されるイベントが発生する。大抵、家に戻ると母親か父親のどちらかが変わっている。
私からすれば、それは何度も起きたことであって、驚くようなことではない。家族が変わったとしても、私は私であり、それは両親も分かっていることだ。ただ、誰を本当の父親と思って、誰を本当の母親と思うべきなのかが分からなくなってしまう。本当、という評価を頭につけること自体が間違いなのかもしれないが。
ちなみに、昨年は四人目の父親が地下の書斎で首を吊った。父親の交代が死という初めての形で行われた。非常に特別な感じがした。少し、興奮した。
今年も夏がやって来て。
今年も夏が始まった。
今年の夏が終わる頃には、どちらが変わるのだろうかと予想する。
今回に限っては、一人旅ではなく親戚の家に泊まるということになっている。
私は砂浜を歩いていた。
このあたりには都市伝説がある。
有名な作り話だ。
海に死体を投げると夢が叶う。
趣味が悪いと思う。
先ほど、警察官が慌てながら走っていくのが見えた。それから甲高い叫び声が三つと、野太い叫び声が四つ響いた。
何かを見つけたのだろう。
私は誰かのための流れ星が着水したかどうかを確認しない。
ただ、自分だけの願いを少しだけ持っている。
研究施設の中で天才に会うことである。
この海辺には研究施設がある。不思議な外観をしているので、一度見ただけで脳裏に焼き付いてしまうことだろう。
高さは十階建てのビルくらい。横幅も奥行きも高さと同じ。つまりは立方体。
これだけならまだいい。
赤い布で覆われている。
何か演劇などが始まる時に上がっていく幕。あれを想像するといいかもしれない。
それが皴やたるみを抱えた余裕を持った状態で立方体の本来の姿を隠してしまっている。こうなると、立方体らしいものという方が正しいかもしれない。
赤い布をまとった立方体は、ある日急に現れたそうだ。
そして。
日常に染まった。
このあたりに住んでいる人たちは何かを知っているかもしれない。しかし部外者である私に丁寧に教える義理もないだろう。
私は、砂を蹴り飛ばしながらその研究施設の近くにまで行く。
砂と土の境界くらいだろう。草が生えだし、研究施設の後ろには木々も見える。
犬が数匹、飛び出してきて私を見つめる。赤い首輪をしている。研究施設を覆う布と同じ色である。
一匹の犬が前に出てくる。
白い鼠を咥えていた。
それを私の前に落とす。
そして、唸りだす。
私は後ろへと下がる。
犬は大きな声で吠える。逃げるな。という意味だろうか。
私は前に進み犬の横を通り過ぎようとしたが、今度は他の犬たちが吠え出す。
何を期待しているのか。
前に出てきていた犬は、鼠をもう一度咥え直すと、私により近い場所へと器用に投げた。私の靴先に鼠の死体が触れる。
私はその鼠の死体に触れようとする。
犬たちは何もしてこない。むしろ、楽し気に尻尾を振ってこちらを見つめている。
私は鼠の死体を苦笑しながら持ち上げるとポケットへしまった。
その瞬間、一匹の犬が私に向かって跳びかかってくる。
私は咄嗟に避ける。
違うのか。これではないのか。
私は鼠の死体を地面に投げて、犬から距離を取る。
鼠の死体を持ってきた犬がもう一度前に出てくる。そして、一度鼠を口に入れて軽く噛む。鼠の皮膚が千切れて、そこから血が飛び散った。赤い肉には白い膜が付いており黄色い斑点のようなものも見えた。
鼠の死体がまた地面に置かれる。
犬が私を見つめる。
尻尾を振る。
食べろ。ということか。
今、俺がやったみたいにこの鼠をちょっと食べてみろ。ということか。
食べたら仲間として認めてやるよ。ということか。
一応、私は人間である。犬が口にしたものを自分の口に入れるというのは避けたいところだ。
犬は、私のことを澄んだ瞳で見つめている。
鼠を持ち上げる。血に濡れた毛が指先に張り付き非常に不快だった。
食べなかったらどうなるのかと考える。
おそらくこの犬たちにかみ殺されるか、追い返されるか。どちらにせよこの研究施設に入れないということは分かった。戻って何か対策をたてるべきとも考えたが、何も変わらない気がする。
もう、いいだろう。
私は鼠を顔からゆっくりと口の中に入れる。舌の表面をなぞってくるのは鼠の体毛である。毛の長い歯ブラシに近い。おしっこをバケツに入れて放置したかのような臭いが喉奥と鼻の中を通っていく。飲み込むことができない大きさのため、一度かみちぎろうと歯を立てて圧迫すると、中から幼稚園児の睾丸のような舌触りのいい肉の塊が勢いよく飛び出してきた。
我慢できないほど気持ち悪い。
それが最後に頭に浮かんだ感想だった。
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