本文
ノックをして待つと、どこか陰鬱そうな雰囲気ながらも、手足が長く紫の瞳に長い黒髪の美女がその扉を開いた。
「突然申し訳ありません。自分は雑誌記者をしているハイロンと申します。実はここに住む女性お二人のことについて記事を書きたいと思いご訪問いたしました。クラリスさんでいらっしゃいますか?」
「……いえ……」
一言そう答えると彼女は少し身体を傾け、奥に視線を向けた。ハイロンの位置からはそれほど中の様子は伺えないものの、日当たりのよい窓辺に設置された椅子の手すりに乗った右腕らしいものから他にもう一人いることはわかった。
「……クラリス様は今お昼寝をなさっております」
「そうですか。良ければ、貴女から見たクラリスさんのことなどもお聞かせ願いたいのですが、よろしいでしょうか?」
「……裏の庭へ……」
小高い丘の上にある一軒家。柵も何もない丘ながら手入れの行き届いた花壇が外界との境界線になり、庭としてのエリアを成立させている。エリアの一角に青々と葉を茂らせた一本の太い木。その木陰に二脚の椅子とテーブルが設置されており、座って待っているとトレイに飲み物を乗せて先ほどの女性が現れた。
静かにハイロンの前に紅茶、角砂糖、クッキーを並べ、自分の前にはブラックのコーヒーだけを置いて着席した。
「お名前を伺ってよろしいですか?」
「……ジルです……」
風は時折優しく吹く程度で、穏やかな陽気と鳥のさえずりの中、ジルの声はしっかり聞こえるもののとても静かである。
「ジルさんですね。クラリスさんとは、どのようなご関係でしょうか?」
「……主と使用人です……」
「その主従にいたるには、クラリスさんのご両親や出自が関係しているんですか?」
「……いえ…」
「では、何か金銭など利害関係や共依存的な要素があるとか?」
「……いえ…」
「クラリスさんに弱みを握られていて、強制的なものとかーー」
「クラリス様を侮辱することは許しません」
途端、目つきに敵意が現れ気だるげだった物静かな声にも怒気が混ざる。
「失礼、そんなつもりではなく。あーでは、個人の意思による主従関係ということですか?」
「……左様です」
未だ怒りは治まらない様子なものの、とりあえず会話を続けることを選んだようである。
ジルは自分から話を広げず聞かれたことの正否でしか答えないため、会話のテンポはいまいちである。
ハイロンはメモ帳に聞き出せたことを書いた。
「お二人が出会ったのはいつ頃で、何がきっかけでお仕えするようになったんですか?」
「…………」
「……出会ったのはジルさんがいくつの頃でしょうか?」
「……13の時です……」
一度に二つ以上のことを聞いても答えてはくれないようである。
ハイロンは一旦会話を切るように淡いピンク色の紅茶に角砂糖を一つ入れて混ぜると口へ運んだ。渋みは少なく花の香りのような心地よい柔らかさが鼻腔を通る。
彼女もコーヒーに口をつけた。
そのあといくつか質問を続けていると、
「ジルぅ…その人だぁれー…?」
左手の甲で目を擦りながら、まだ眠そうな雰囲気を漂わせた少女が庭に姿を見せた。かめのぞき色のふわふわとしたショートボブが少し跳ねていた。
「……お目覚めになられましたかクラリス様」
愛おしげな眼差しでジルは席を立つと裏庭に出てきたクラリスに近づいて彼女の髪や衣服を整えていく。
「……雑誌記者の方だそうです。クラリス様と私のことを記事にしたいのだとか」
「ん……」
身だしなみの手入れを終えると座っていた席に促し、ジルは自分のカップを持って裏庭を離れた。
猫背でまだどこか夢現のようにぼぉーっとしているクラリス。
ジルの時とは違う視線でハイロンはクラリスを見つめ観察する。
ジルの主。年齢は10代の中程だろうか。その容姿は年齢より幼くも映る。しかし、年齢や容姿に似つかわしくない不思議な雰囲気を漂わせる彼女。
上目遣いに見たクラリスと目が合うと、ハイロンはすぐ彼女の後ろの花に視線を外した。
「とても静かな場所ですね、ここは」
「ん……」
こくん、と小さく頷きそれだけ答えた。
ジル以上に会話にならない。
「……クラリス様、出来ましたよ」
そうこうしていると、ジルがカップとクッキーを持って戻ってきた。
「……以前に街で見かけて気になられていたラテアートなるものです。クラリス様がお召し上がりになれるよう、私なりに真似してみました」
クラリスの前に置かれたカップの表面には、泡立てたクリームにカワイイ猫がカカオパウダーで描かれていた。
本来、エスプレッソのような濃いコーヒーで描くものだが、クラリスはコーヒーを好まないのかもしれないとハイロンは思った。
「わぁ、ありがとうジル♪」
目をキラキラさせて喜ぶクラリスに満足げな表情を浮かべて愛でるジル。主従とは思えない、まるで姉妹のような光景だ。
しばし会話を止め、クラリスが飲み物とクッキーを堪能する時間とした。むしろ、会話をするよりこうして二人のやりとりを観察するほうが、よほど関係性や性格などを把握出来そうである。
しかし、その時間も長くは続かなかった。
ガチャガチャと騒がしい音とともに野蛮な風体の男たち5人が庭に踏み行ってきた。ジルの目が踏みつけられている花に視線を落とす。
「男はいらねえ、女だけを捕まえろ」
大方、この野盗らしき者たちも若い女だけが暮らしていると聞きつけて攫いに来た口だろうとハイロンは想像した。
先頭に立つ頭目と思わしき男が指図するが、手下が動くより先にジルが立ち塞がるように歩みでる。
「あの、ジルさん――」
さすがに不用意だと判断して立ち上がって止めようとするが、
「クラリス様のティータイムを邪魔することは許しません……。即刻、お引き取りくださいませ……」
ハイロンの制止も聞かずに野盗らの前に立ち、静かにそう告げる。クラリスはクラリスで興味無さそうに呑気にクッキーをついばんでいる。
「何言ってやがる。状況がわかんねーのか?」
「お引き取りくださいませ……」
「キレイなその顔をデコボコにされなきゃわからんのかぁ?」
手を伸ばした男の手首を彼女が左手で掴むと、男は顔を歪めて傾き出した。
「いで、いででで!?」
まるで藁を傾けるかのような力の入ってない動作で、自分の太ももほどもある男の腕を傾け片膝をつかせる。
「お頭になにしやがるっ!!」
手下2人が掴みかかろうとすると、ジルが空いている右手で片方の手下の胸ぐらを掴み、もう片方の手下へ軽々とぶん投げた。巨大なモンスターに追突されたかのように男二人が数メートル弾き飛ばされた。
「放しやがれっこのクソアマ!!」
頭目は丸太のように太い足で華奢な足に渾身の蹴りをいれるが、
「あぎゃあっ!?」
ビクともせず鉄の柱を蹴ったような衝撃で逆に悲鳴をあげることになった。それにひきかえジルの足は何のダメージも見受けられない。
左手で腰に差した剣を抜こうとするもジルの片足が先に柄頭を踏んで押さえると、これもまるで抜けない。
「やっちまえ、早くっ、もうこの腕斬り落とせっ!!」
商品の欠損は致し方なしと判断して残った二人の手下に指示する。普段なら向かうところ敵なしの頭目の有り得ない姿と投げられた仲間の姿に及び腰ながら、一人が剣を抜き斬りかかった。ジルはその刃を右手の人差し指と中指で受け止めると、
「――溶解」
詠唱完了と同時に指が触れている刃はオレンジに発光しドロリと二つに溶け落ちた。
「あぢぁっ!?」
溶けた鉄は頭目の腕に滴り逃れられない火傷の悲鳴をまたあげた。
剣を握って呆然としている手下にジルが一瞥をくれる。陰鬱な、感情の見えない静かな目元。この状況でその視線は異様なほど不気味に見えたことだろう。手下は我に返ったように剣を投げ捨て逃げ出した。続いて残った一人も何もしないまま逃走。もちろん、投げ飛ばされた二人も後に続く。
「おい、こら、てめぇら待てっ、待ちやがれ、置いていくな!!」
腕っぷしで従えていたのだから、勝ち目のない相手と判断され待つわけもなく。すぐにその姿は見えなくなった。必死に振りほどこうと踠くが指1本でさえ溶接されたように外れない。
「悪かった、悪かった、もうここへは近づかねぇ、だからもう勘弁してくれ!」
瞬きもなく見据え、言葉の真偽を推し量るかのようなジルの眼差し。もしくは荒らされた花々の落とし前をどうつけさせたものか思案しているのかもしれない。
「ジルさん、もうそのくらいで良いのではないでしょうか。すでに戦意は無いようです」
ハイロンが仲裁のように声をかけると頭目は勢い良く数度頷いた。
それでも手を放さず何の反応も示さなかった彼女だが、急に顔を上げると掴んでいた左手を放した。ハイロンが視線を追おうとした時にはジルの目前に火球が飛来していた。
ジルは咄嗟にその火球を左拳の裏で弾き、火球は地面に着弾すると燃え上がりほどなくして真っ黒な焦げ跡以外何も残さず消えた。
「……お、おい、これ魔法弾じゃねぇのか……」
解放された左腕は紫色の手形がくっきり浮かんでおり、そこを押さえながらひきつった顔で呟く。
燃える物に火をつけて飛ばしたなら燃焼物が残るが、それがない事から無知そうな頭目ですら物理だけの火球ではないことを理解した。
ジルが火球の飛んできた空を見上げると、人が空に浮いていた。白い羽の生えた人間が。
「我が名はテラノートス。神殺しのジル、数々のその罪、主アークライト様の名の元に粛清する」
そう言うやいなや、丘一帯を取り囲むように蜂の巣状の透明な膜が広がった。
「おおおいぃ…な、なんだよこりゃあ…」
「結界……」
後ろでクッキーを啄んでいたクラリスが静かに答えた。
両手を左右に広げるとテラノートスと名乗った男の周りに幾つもの火球が出現し、一斉にジル目がけて襲い掛かる。
素早く詠唱するとジルも紫の火炎球を複数作り出し、飛来する火球に寸分違わずぶつけた。紫の火炎球は火球を破壊し、逆にそのまま攻撃を仕掛けたテラノートスへ。
左手を外へ振り防壁で即座に紫の火炎球を防いだ。爆炎の奥に見えるジルは、その場で詠唱の姿勢をとったまま動かない。
テラノートスは今度は右手を横に振ると防壁の外に横一列に並んだ光の槍が出現、そのまま今度は槍がジルに襲いかかる。
だが雷槍を放った瞬間、背後に強い魔力を感じたテラノートスが振り返るとそこに右脚を振りかぶったジルがいた。雷槍は詠唱姿勢で微動だにしないジルをすり抜け、さっきのようにカウンターマジックで対抗すると思っていた頭目の足元へ刺さり爆ぜる電撃に悲鳴をあげる。
「幻影と転移魔法か!」
言うより速く防壁を出して間一髪防いだかに思われたが、そんなものを物ともせず蹴り破ってテラノートスの身体を捉えた。
上空から地面へ蹴落とすとテラノートスが紡いだ結界を足場にして猛スピードで追いかける。
テラノートスが姿勢を制御しようとしたタイミングで地面から太い氷柱が表出。身体をねじり間一髪で翼を羽ばたかせ串刺しを免れたものの、次の瞬間にはジルの拳が数センチの距離だった。
だがそれでもテラノートスはかわし、彼女の拳が服を切り裂いて己が魔法で作り出した氷柱も破壊し地面を殴ると大きな窪みを作ってクモの巣状に亀裂が入る。
かわしざまにテラノートスはジルの顔面を蹴り上げようとすると、彼女も蹴りの軌道に合わせて仰け反りながら顔を上げてスレスレで避け、前髪だけが逆立つように弾かれる。
そこに現れた表情は、クラリスやハイロンと会話していた時とは全く異なり、とても強く鋭く開かれた目元と薄っすら笑みを浮かべた口元だった。
仰け反った不自然な姿勢から脚の力だけで蹴った地面を抉ぐり、距離を置こうとするテラノートスへ空中で姿勢を整えながら瞬く間に詰め寄る。
至近距離で彼女の繰り出すそれは空気を切り裂く音。顔から足元まで上下に散らし攻撃の手を休めない。肘から先は消えたように見え、膝から下も同様であり、ジルの身体さえ分裂していると人の目には錯覚さえさせる。
否、まさしく分裂していた。
気付けばジルは二人になっており、テラノートスを正面から倍の手数で攻め立てる。
「あのねーちゃん二人になったぞ……」
(さっきと同じ幻影……いや、単に幻影なら質量はない。防御反応からするに攻撃すべてに質量はあるようだ。あれはどういう魔法だ……もしくはトリック。)
ハイロンはじっと二人の攻防を観察する。テラノートスはジルの拳をかわし蹴りをいなすものの、完全に防戦一方。
「調子にーー」
髪を振り散らして残像が残るような連撃を繰り出す彼女の蹴りを膝を上げて受け止めると、
「ーー乗るな!」
刹那、2mほどの球体の防壁を張ってジルを弾き飛ばし強引に距離を取った。間髪入れずにテラノートスがいくつもの光の球を周囲に発現させ放つ。
弾かれた二人のジルは一人に戻り素早く姿勢制御のため片手で地面に逆立ちのように手をついてから受け身を取るものの、カウンターマジックの詠唱が間に合わず魔力を纏わせた拳で全て打ち消す。打ち消した光の球が光の粒子を撒き散らして霧散していく。
続けざまに螺旋の模様が浮かんだ雷槍がジルを襲う。それも殴り壊すと、途端、螺旋の模様がほどけ蜘蛛の糸のようにジルの身体へまとわりついた。振りほどこうとするもピッタリと糸は絡まり、咄嗟に火炎の詠唱で焼き切ろうと試みるがまるで効果がない。
「……くっ、この糸……っ」
糸の危険性を察知し、即座に次の手段に変えようとするや否や、
「転移魔法は使わせませんよ」
一手速く足元に魔方陣が広がりジルの転移魔法が阻害された。
手をこまねいている内に身体の自由は奪われていき、やがて雁字搦めに鎖で繋がれたように彼女は完全に地面と拘束された。
「その糸は大したものではありません。重要なのは、その前に貴女が砕いた粒子球のほうです。粒子は身体、服に付着し貴女の魔力の強さに依存して吸い上げながら繋がった糸の強度を高め、貴女の魔力が尽きるまでその効果は続きます。もちろん、魔力が尽きたとて持ち前の怪力で破壊できるような強度でもありません」
悠然と光の剣を抜き、ジルに歩み寄っていく。
「終いです」
首を斬り落とそうと剣を振り上げたその時、テラノートスの頭上に雷が走る。寸でのところでかわしジルから離れると、地面に落ちた雷は弾けジルを拘束していた糸を断ち切った。
雷と思われた正体、そこにはクラリスが立っていた。
彼女が爪先で座標固定の魔方陣に触れるとそれは消えた。
「……も、申し訳ございません……クラリス様……」
自由になったジルはすぐさま膝をついて感謝と己の不甲斐なさに頭を垂れた。
「ん」
「女神クラリス、邪魔をしないでいただきたい。これはアークライト様への宣戦布告と捉えられますぞ」
「めめ、め、女神ぃいっ……!?」
頭目はすっとんきょうな声を上げて驚く。
女神クラリス。
世界的信仰の中でも五指に入るメジャーな神。信者へ最も恩恵を与える神としても有名な存在である。
見た目は人間と同じであっても、神は特別な波長を持っている。神かそれに近い存在、もしくは特別な素養を持つ者だけが波長を感じとれるが、天使など人間よりも上位種族でないかぎりまず感じとれぬほどクラリスたちはその波長を消して普通の人間として過ごしている。
「ダメ。ジルを傷つけちゃ」
「く、クラリス……様……」
なぜか頬は紅潮しジルの目が潤んでいる。
「つまり、どうあっても邪魔をすると……」
こくり、とクラリスが頷いた。
粒子球がクラリスとジルを取り囲んだ。詠唱の猶予は与えられずその場で粒子球は破裂、粒子が舞い散る。だが、地面から粒子球との間に無数の泡が二人を守るように現れると、粒子を吸着していく。
それを見てテラノートスは続いて針のような魔法でドーム状に覆い尽くすと一斉に仕掛けた。すると泡は板状に形を変え、テラノートスの吸着した粒子の特性を逆手に取って針すべてを絡めとる。
「おのれ!」
次の攻撃に切り替えようとした時、クラリスがほんの少し指を振るとそれまで守るように囲んでいた針先の突き出した板状の泡がテラノートスの目の前に、まるで威嚇のように視界を遮りそびえ立った。
危険を感じてその場を離れようとするが、いつの間にか自分がジルに使った座標固定の魔方陣が足元に輝いており移動することを拒絶された。
「ばかなっ!?」
クラリスの泡はテラノートスを包囲し回転しながら徐々に狭まっていく。球体の全方位防御魔法でそれを押し止めるが、ほどなくして磨耗するように亀裂が入ると砕け散り、その衝撃で泡も弾けると残された針と粒子が本来の役目を思い出したようにテラノートスに目掛けて飛散した。
「ぐああぁぁっ!!」
ほんの僅かな間で強化された針を弾くも、殆どをその身に受け止めねばならなかった。咄嗟に自身の羽で前面を覆い、辛うじて致命傷は避けるが、背中はそうもいかない。
膝を付き、息を荒くしながらクラリスを睨む。
「ね、もう止めよ?」
その圧倒的な力の差を背景に、ハリネズミになった彼へ問い掛けるが、
「くっ……このような屈辱……命も果たせずここで引き下がってはアークライト様に顔向け出来ぬわっ!!」
両手を勢い良く突き出し、クラリスの上半身ほどもある光のレーザーを射出した。
クラリスは両手の人差し指で✕を作ると陽炎のような揺らめきがその攻撃さえたやすく霧散させ無効化した。全てを消すとテラノートスの胸元へ転移した。
彼女がテラノートスに触れると彼はクラリスの髪の色と同じ色のクリスタルに包まれ砕け散った。
周囲に広がっていた結界も姿を消した。
「……お、俺ぁ、もう金輪際、盗賊なんてやらねぇ……真っ当に生きる……」
「そうですね、それがいいでしょうね」
頭目の改心にハイロンが同意した。
ジルを連れて戻ってきたクラリスに、頭目は慌てて平伏し地面に額を擦り付ける。
「女神様とは露知らずっ、無礼をっ無礼をっお許しくだせぇっ!」
クラリスは膝を抱えるように屈み、「ん」と一言だけ発して頭目の後頭部をポンポンと撫でるように叩いた。許すという意味らしい。
意図は伝わったようで、勢いよく顔を上げると、すぐさま這いずるように立ち上がり何度も躓きながらその場から急いで逃げ去っていった。
そんな元頭目を横目にハイロンは、
「倒したのですか」
ただ冷静にクラリスへ問う。
「ううん、
事も無げに答えた。
「こんな世の中に、女性二人で街から離れた場所に住んでいるのは無用心にも程があるとは思っていました。しかし、その理由も納得しました」
手帳を開くとメモ書きしたページを破いて小さく千切ると風に飛ばした。
「貴女たちの正体のことは口外しません。もちろん、記事にもしません」
一礼しハイロンは二人に別れを言い残すと両手をポケットに突っ込んで丘を下った。
(神殺しから始末して手早く神力の回復を図りたかったが、クラリスが付いていてはそれもままならん、か。)
二人の視線が届かぬところまでくると、振り返ることもなくため息を漏らした。
ポケットから右手を出すと握られていたのは、テラノートスに似た壊れた天使の彫像だった。
(まあいい。他を平らげながら次の機会を窺うまでだ。)
ハイロンこと前神アークライトは、その過去ジルによって屠られた神の一人。しかし、消滅する寸前、切り離した神力を用いて人間の中に逃げ込み、すべての消滅を免れた。
神としての力の大半は失われたが、人として過ごすには有り余る能力、神力などを有している。
ジルがアークライトを屠ったのはすでに何千年も前であり、その後も幾多の神や龍を倒してきた彼女の記憶からは忘れ去られていた。
(女神クラリス、いつかお前さえも喰らってくれるわ。)
「クラリス様、よろしかったのですか、あの者……」
「いいの」
姿の見えなくなってもなお、二人はハイロンの去った方を見据えていた。
たとえ僅かな神力といえど、クラリスもジルもその波長を感じとっていた。正体が判らぬものの、ハイロンが普通の人間ではないことを。クラリスの意に沿わない行為をジルは決して行わない。クラリスが彼へ攻撃することを止めていたに過ぎない。
あるいは、クラリスの性格を知ってるがゆえに姿を見せたのかもしれない。
どちらにせよ、交戦の意思がなく脅威でもないものへイタズラに危害を加えようとしないのがクラリスである。
「……お食事をご準備いたします」
「ん」
彼女たちは、まるで何事もなかったように家に入り一日を締めくくることにした。
END
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