淵川秋の刹那的冒険譚

淵川秋

第1話 その衝動は夏休み明けに来た

手元にあるのは、去年の七月下旬、空白の始まり、俺——淵川秋(ふちかわしゅう)の無茶苦茶に付き合わせた一冊のノートである。そして長く使用されることなかったがゆえに、腐りきり、落ちぶれたCPUが一つ。


 ただ、なんとなしに、このノートの中身を小説にしてみようか、というのが事の発端であり、事の顛末である。


***


 半ば何かから逃げるような気持ちで意識が覚醒し、目を開けたところで、俺は枕元に置いてあるスマホに真っ先に手を伸ばした。顔認証で自動点灯した画面には、六時七分と表示されている。——あぁ、やっぱりなと、変な安堵感がやってきた。いつも通りだ。いつも通り、今日の寝覚めも最悪であると宣告された瞬間であったからだ。

 

 二度寝が叶うのなら、後先考えずに、瞼を閉じ、暗がりの中での平穏を願えただろうが、生憎自分は夢見がいい方ではない。というか最悪だ。寝てしまえば寝たことを後悔するだけの夢を見てしまう。

 

 以前、雑談がてら母に普段見る夢の内容をかいつまんで話したところ、「普通の人は、そんな夢を見ない」と一蹴されたのがいい例だった。それくらい自分の夢は可笑しかったらしく、父には「悪いものでも憑いているんじゃないか」とまで言われる始末だった。そして自分の恒常的に見る夢は悪夢なのだと自覚する頃には寝ることに抵抗を覚えるようになっていた。

 

 気づけば度重なる悪夢と、体感コップ一杯分の僅かな睡眠時間に、完全に精神が摩耗していた。そのせいもあってか、その日の自分は自制心の箍(たが)が外れていた。いい加減、自己嫌悪に食い潰されかけていたのだ。コントロールできない己自身の身体と、専門学校の小説専攻で何一つ結果の残せていなかった現状の惨たらしい有様に。


 明け方、衝動的に自分の知らないどこか遠くへ行ってみようと思った。きっと、そこには俺の知らない人たちがたくさんいるのだから、自分を救ってくれる夢みたいな出会いもあるかもしれないと。俺はそれを一縷(いちる)の望みどころか、最後の希望にしていた。


 今思えば、本当に他人任せもいいところだった。別に今が上手くいっていないからといって未来が上手くいかないというわけではない。ただ、現在と未来は繋がっている、瞬間的な現在を積み重ねて未来が成り立つのだ。決して現在を蔑(ないがし)ろにしていいわけではないし、他人に安易に預けていいものでもない。それをわかっていても、当時の俺には心の余裕がなかった。そしてこれだけ御託を並べて過去の自分を正当化しようとする自分も未だ余裕がないのだ。

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