ライフ・オア・ライブ

江葉内斗

一小節目 最後のチャンス

 六月中旬、二週間以上降り続く雨。

 東京都国分寺市のとあるボロアパートに、一人のダメ男が住んでいた。

 彼の名はたかはししゅんすけ。23歳。パートはメインボーカル。

 彼には夢がある。それは、自分が所属しているバンド「バリケード」が東京ドームのステージに立つことだ。

 メンバー四人は高校を卒業後すぐに上京し、アルバイトで何とか生計を立てながらライブや作曲に励んでいた。

 しかし、上京してから五年と六か月において音楽活動で稼いだ金は、累計ゼロ円である。

 他の同期は就職して月収20万円もらっているのに、さらに言えばこれから着実に給料が増えていくのに、バリケードのメンバーは永遠にバイト代の月収16万円である。

 さらに言えば、最近はボーカルの高橋が音楽から離れた上にバイトにも行かない、ほぼNEETな生活をしているため、バリケードの雰囲気は悪くなりつつあった。

 今日も高橋は、ネットサーフィンをしながらただただ時間をつぶしていた。

 もう一週間も歌を歌っていない。音楽は一日サボれば二日遅れるというのに。

 彼の長髪はフケに覆われ、顔には血が通っていない。

 メンバーからの電話にも出られないほどの無気力、まさに廃人。


 ……いや、血だ。血が通い始めた。

 高橋の顔が青白い色から薄いピンク色、さらにもっと赤くなろうとしている。

 彼の息遣いが、少しずつ激しくなり、津波が押し寄せてくるかのような感情の高ぶりを暗喩していた。

 彼をそうさせたのは、突然やってきた一通のEメール。

 以下は、大手芸能事務所、フリージア・エンターテイメントから送られてきたメルマガに書かれていた文言である。


 君もミュージシャンになれる!! 第3回ライフ・オア・ライブ開催!!

 今回はロックバンドグループから頂点を決める!!

 参加者の中から勝ち残り、一位になったグループには、東京ドームでのデビューライブとフリージアとの契約権をプレゼント!!

 さあ、君も音楽で生きよう!!!

 開催場所:東京都渋谷区×××××××

 日程:2023年七月二日午前十時から七月六日午後五時まで

 定員:百名

 応募条件:以下の条件を満たすグループ。

 ・事務所との契約を結んでおらず、かつ今まで音楽活動による収益を受けていないグループ。

 ・グループ内のメンバーの年齢が全員18歳以上35歳未満であり、かつ学籍を所有していないこと。

  ・一人以上五人以下のグループであること。


 高橋は胸が躍る気分だった。

 「勝てば東京ドームでライブ!!? 夢が一気にかなうじゃねーか!!! しかもあの大手芸能事務所フリージアだとぉ!!? やるぞ……俺ならやるぞ!! 早速メンバーに連絡だ!!」

 彼はスマホをつかむと、一週間ぶりにメンバーに連絡を取った。



 そして七月二日、最高気温34度の真夏日。四人のダメ男は渋谷路地裏のとあるビル前に集合した。

 まず最初にベーシスト・とうこういちが三十分前に到着し、次いでドラマー・さくらすすむがニ十分前にやってきた。

 「なあ、ホントにこんなところでオーディションがあるのか?」アフロな桜井が伊藤に問いかける。

 「あの高橋が珍しくマジっぽかったから、ホントなんじゃね?」短髪をブロンドに染めた伊藤は不愛想に答えた。

 それから十分前に言い出しっぺであるボーカリスト・高橋が到着。わずかに遅れてギタリスト・づかはるが現れた。

 「おーっす、お前ら。ところで高橋、手ぶらで来て本当に良かったのか?」メンバーで一番身長が高い手塚が高橋に問うた。

 「大丈夫なはずだぜ? ホームページに書いてあったし。」高橋は想定外があっても俺は知らんみたいなニュアンスで答えた。

 さて、メンバーがそろったことで、四人はビルの扉を開いた。

 向かう先は、地下一階のライブフロア。

 200人ほどが収容できる、彼らバンドマンにはおなじみの場所だ。


 四人が扉の前に来ると、黒服の男が扉の前にいた。

 「バリケード様ですね?」「はい」黒服の問いかけに高橋が代表して答える。

 すると黒服は「お待ちしておりました。どうぞお入りください」黒服が扉を開け、四人がスタジオの中に入った。

 スタジオ内は薄暗く肉眼では認識しづらいが、既にスタジオには多くの人が集まっていた。

 四人が入ったあとに扉が閉まると、オレンジ色のナトリウムランプが場を照らすのみ。

 四人が客席に座ると、急にパンッと言う音とともにステージ上にスポットライトが光った。

 スポットライトは一人のスーツ姿の男を照らしていた。

 男は徐ろに話しだした。

 「全員揃ったようですね。時間が少々早いようですが、始めましょう。本日、オーディション『ライフ・オア・ライブ』の審査委員長を努めますそのざきと申します」白髪混じりの壮年の男性。しかしその声には、真っ直ぐな誇りを感じられた。

 「本日のオーディションには三十四組百名のご参加を頂きました。それでは、これよりオーディションについて説明いたします。説明は一度きりですので、集中してお聞きください」園崎が端にはけると、中央のスクリーンに画像が映し出された。


 「このオーディションでは、一次審査、二次審査、最終審査の三つを五日間で執り行います。まず第一審査では、ソルフェージュによる審査を行います」

 スタジオに軽くざわめきが走った。

 「マリアージュ? おい桜井、マリアージュって何だ?」高橋が小声で聞いた。

 「ソルフェージュだ……聞いた音を楽譜に起こしたり、耳コピで演奏したりする技術だよ」桜井が小声で返した。

 「私を含む五人の審査員による審査を行い、上位二十名が、二次審査への挑戦権を獲得します」

 この文言を読んで気づかないだろうか。ここにいる挑戦者たちはグループごとに参加しているのだ。それなのに上位と言っているのだ。この違和感にすぐに気づいたものはいなかった。

 「そして、この一次審査では、グループごとではなく、個人単位での審査とさせていただきます」

 さっきの何倍も大きいざわめきがスタジオを駆け巡った。

 「個人単位!? グループで応募した意味がねーじゃねーか!!!」百名の参加者が一斉に騒ぎ出したので、スタジオは蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。

 園崎は澄ました顔で傍観していたが、持っていたマイクを用いてハウリングを起こし、挑戦者たちを黙らせた。

 「……二次審査の内容につきましては、審査の直前にお教えします。それでは皆様、こちらの誓約書にサインをお願いします」園崎がこう言うと同時に、黒服たちが挑戦者たちに何やら紙を配り始めた。

 誓約書? 訝しげに百人がそれを見ると、たちまち全員の顔色が悪くなった。

 手塚が思わず声を荒らげた。

 「な、何だこれ!! こんなの無茶苦茶だ!!」誓約書の内容は以下のようだった。


 私、誓約者(以下、甲と記す)は、株式会社フリージア・エンターテインメント(以下、乙と記す)の発言及び乙の取り決めた規則に一切従い、また乙に対して一切の責任を問わないことを誓います。

 また、甲は乙に対し現金伍佰萬円(利率1.5%の一日複利)を借用し、2023年八月二日に返済することを誓います。


 500万円という大金をいきなり、しかもあまりにも膨大な利率で貸し付けようとするフリージア。

 ちなみに、八月二日に返済するとなると、500万円の借金は約793万円、約1.58倍に膨れ上がる。

 勿論そんなこと挑戦者たちが納得いくわけもなく、園崎に対する大ブーイングが発生した。

 「ふざけんなあああああ!!」「納得いくかあああああ!!」「ぶっ殺すぞこんにゃろがああああああ!!!」五秒前までオーディションで落選しても何もないとばかり思っていたのだ。今度はハウリングごときではこの騒ぎを止めることはできない。

 バリケードの四人も「そうだそうだ!!」「俺たちのこと舐めとるんか!!?」などと、言いたい放題言っている。

 こんな時に相手を黙らせる方法、しかも負債について黙らせる方法と言えば二十七年前から決まっている。

 園崎は演壇を拳でたたきつけ、そしてを全身全霊で叫んだ。


 「F*ck you!!!! ぶち殺すぞゴミめら……!!!!」


 ついさっきまで温和な態度をとっていた園崎の豹変ぶりに、その場にいた全員はシーンと静まり返ってしまった。

 園崎はさらに続けてこう言い放った。

 「お前たちまさかタダで東京ドームでライブできるとでも思ってたのか!!? あぁん!!? 東京ドームでライブするにはなぁ、ステージの作成に三日間、解体作業に一日、本番とリハーサル合わせて二日……その間に発する人件費、材料費、運搬費、その他雑費合わせて五億以上はするんだぞ!!! いくらフリージアといえどお前らのようなクズ中のクズごときに五億も出してられるか!!! いいか、お前たちは中卒だか高卒だか知らんが、学校を卒業した後社会に出ずに夢を盲目的に追い続けてきたような連中ばかり!!! 音楽の道は修羅の道だということから目を背け続け現実逃避し続けてきたんだろう!! あるいは自分には才能があるとやはり盲目的に信じ続け、まともに就職する道を考えずに毎日毎日アルバイトに明け暮れる日々を送っているのか!!? まさかろくな努力もしないで『俺は一生懸命やってきた』などというつもりか!!? まさに折り紙付きのクズだ!!! そんなお前らに東京ドームに立たせてやるって言ってるんだから五百万、いや八百万など安いものだろう!!!」このあたりから挑戦者の中に嗚咽や鼻をすする音が聞こえ始めた。

 「誓約書にサインしたくないならしなければいい……ただ今までのように一銭にもならん音楽活動を続けろ! 何年も職歴なし学も無しの貴様らにやれることは何もないがな!! 貴様らに後戻りする術などない!!! 分かったらさっさとサインして覚悟を決めろ!!!」そこまで言って満足したのか、園崎はそれで黙りこくった。

 「クソッ……クソッ……!!」手塚も伊藤も桜井も泣いていた。園崎のスピーチに感動していた。そしてペンを手に取ると誓約書にサインしたのだ。

 ただ一人、高橋だけはペンを持つのをためらった。

 (このまま奴の口車に乗せられていいのか? 知ってるさ、音楽の道が厳しいことくらい……努力だってしてきたつもりだ。それでも、俺たちの努力は実らない……やはり後戻りはできないのか?)葛藤する高橋。その様子を見た隣に座っている伊藤が高橋に話しかける。

 「何してんだよ……! 早くサインしようぜ……?」伊藤の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。



 二小節目 一次審査 に続く

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