去り逝く者、そして還って来る者、双方が今現世のこの場所に。
初めて露わになろうとしている【結菜】の主人格。
改めて比較すると、やはり遙は【大人】で、結菜は【17歳の少女】。
されど、言葉の表現に差異は有りつつも人を想う心は同じ。
年齢も立場も関係なく等しく。
だからこそお互い心がシンクロせしめたのでしょう。
瑞樹の肘が元通りになる事を知り双方涙した事。
同時に、その為に追い込まれた彼を思うが故の怒りを吐露した事。
この邂逅がもっとゆとりのある時に叶えられたら…お互い良き友人で居られた事でしょう。
親子…と言うよりはお互いが人生の先生と生徒であるかの様に。
(もし悔やむなら…の一つにはなり得るかと思われます。)
最後の晩餐…何の表現でも比喩でもなく還り逝く前の一時。
遥は最後の仕事をやり切れたでしょうか?
否、やり切れたと信じております。
旅立ちの時まで、あと約16時間…
作者からの返信
そうですね、そこのコントラストを意識して書いたブロックです。
どんな言葉を使って何を伝えていくのかは、やはり気遣いと年齢で違ってくると思うんですよね。
同じ言葉でも遙と結菜では違う。
それを書けたら良いなと思いました。
スポーツの世界って本当に独特ですよね。
おじいちゃんは確かに残念くそじじい(笑)だけど、知識も力もある人だから瑞樹の正しい力になって欲しい!
スポーツの世界で生きていく覚悟を決めるって大変なことだけど、瑞樹くんと結菜ちゃんなら残していくべき習慣と切り捨てていくべき習慣をうまいことやってくれるんじゃないかなぁと淡い期待が。
そして、結菜ちゃんが目玉クッキー作りのときの光景も見ていたらいいなぁ。
作者からの返信
高校野球もそうですけど、大学野球はさらにすごいみたいですね。
私の知り合いが関わってるんですけど、利権利権で笑いました(笑)。
これで野球……みたいな。でも本当に秀でてる人はこのルートを取らないみたいですけどね。
それも含めて大学野球~と思ってしまいました。