第17話 4日目 20時11分 夕食作りと、得た事実

 その時だけ、というものが好きだ。

 正月に食べる栗きんとん、ひな祭りの食べる薄い色をした丸いひなあられ、冬が終わると共に出てくるイチゴ、夏の太陽を浴びて育ったピーマン。

 その時に美味しく食べるもの、その時しか美味しくないものも好き。

 料理もなるべく一番よい状態で食べる人に出すのが好きだ。

 

 静子さんの睡眠は薬の関係もあって不規則だった。

 むしろ眠れる時に眠れたほうがよい、そんな状況だった。

 だから食事は常に食べられる状態で何かが作ってある状態だった。

 学生の杏樹や会社員の優太朗の食事時間は読めない。

 だから時間差があっても美味しく出せる料理のバリエーションを私は多く持っていた。基本は温めて食べられる煮物と味噌汁、それにその場で作れる何かを足す。

 昨日冷蔵庫を覗いたら鶏肉が残っていたので、それと大根と卵を煮よう。そして食べ盛りの修司とお父さんには、スーパーで特売だったエビを使ってエビチリにしようと決めた。

 シュウマイも安くなっていたものを購入して揚げることにした。安売りのシュウマイは油であげるとカリッとして別物になる。

 お父さんが夜お酒を飲んでいたから、つまみにもなる。冷蔵庫に冷や奴がひとつだけ余っていたから、それに大根おろしと、しらすをゴマ油で炒めたものを乗せましょう。

 ここまでしてしまって大丈夫かしらと思うけど、実は結菜の部屋でレシピ本を見つけたのだ。

 有名なお店を経営している人が出した本だけど、正直上級者用の本で、魚の捌き方など載っていた。初心者が魚をさばく必要など全く無い。

 私だってやりたくない。少量でも魚屋さんにお願いする。生臭いし、何より生ゴミが嫌いだ。

 結菜は料理に全く興味がないわけではない。目覚めたあとに突っ込まれても、本を買う程度には興味があるなら大丈夫だと思った。

 でも、あの本は上級者向けなので、もっと初心者向けの本を本屋さんで購入して置いておいた。お節介だけど、その本は市販のタレを上手に使うレシピが多く、最初から献立で載っていて、私も購入したものだ。料理なんて最初は昆布つゆと焼き肉のタレだけで良い。


「よし、と。これで味が染みこめば良いわね」


 私は煮物の火をとめてエビチリを作り始めた。

 私がつくるエビチリは最初に片栗粉を付けて揚げてしまい、食べる人が帰ってきたら作っておいたソースに絡めて出すだけ。

 エビについていた片栗粉でとろみも付き、なにより作りたてのように美味しくて重宝していたメニューだ。

 さっき結菜に買ってきた料理本にも載っているから、怪しまれない。

 久しぶりに台所に立つのが楽しくて色々と作った。それに他人が使っている台所には私が今まで買っていない調味料や食材があり新鮮だ。

 知らないメーカーのドレッシングや、興味があったけど買わなかったわさびマヨネーズ。うーん? これは何に使うのかしら。

 長く主婦をしていると、逆に買うものは限られるけれど、他の人は違う。人の家の台所に入ってあれこれ無遠慮に見る機会などないので、新鮮で楽しすぎる。


「……タマネギ。ないと思ったら冷蔵庫の横にぶら下げてあるのね。これは気がつかないわ。熱で腐りやすくならないのかしら……?」


 人が違うということは、ルールが違う。つまり調味料置き場も違う。この家はすべて野菜室に入っていて最初探してしまった。

 私は調味料など一週間程度で使い切ってしまうので、涼しい場所にいれるという観念がなかった。

 あらこんな所から切り干し大根……これはベーコンと炒めたら長く食べられるけど冷凍庫にベーコンは……ないわよね。それは私の趣味だったわ。美味しいお肉屋さんで買ってきたベーコンを常時冷凍しとくとスープに炒め物に重宝するんだけど……あらら、乾燥わかめと昆布がこんなにたくさん……どうして? 使えばいいのに。この瓶は……あらお土産にもらった蜂蜜ね。ニュージーランド産、良いものね。毎朝食べているヨーグルトにかけてしまえば良いのに。でも思い出の品かもしれないから出すだけだして……とシンクの下でゴソゴソしていたら後ろから声をかけられた。


「姉ちゃん、なにしてるの?」

「あら修司お帰り。ちょっと気になって色々整頓してたの」

「そんなこと興味あったの?」

「料理本をね、何冊か買って、それなりに。ご飯食べよう?」

「うん。着替えてくる」


 修司が制服から着替えている間にご飯の仕上げをする。味噌汁を温めて最初に出したいと思うのは優太朗にしていた習慣で笑ってしまう。でも胃に優しいからひとくち汁物を先に飲むのは悪く無い。さっきみつけた乾燥ワカメも入れて出して、煮物と、エビを調味料で炒めて、ご飯を大盛りで。

 出し終えるころには修司くんが台所にきて目を丸くした。


「これ姉ちゃんが作ったの?!」

「レシピ本通りよ。ほら、ここに載っているエビチリ。味付けなんてケチャップと鶏ガラスープ。とろみなんて卵で付けちゃうんだから」

「そうなんだ。そんな風に見えない。すごい……頂きます」


 そういって修司はエビチリをひとつ口に運んで、すぐにご飯を食べた。そして私の方を見て、


「……すげーうまい。すげー。本見ただけでこんなに簡単に作れるの?」

「そうよ。この本はおすすめ。調味料はすべて近くのスーパーで買ってきたものを使ってるの。このお肉を丸めて焼き肉のタレで味付けをする団子とか、簡単で美味しいのよ」

「焼き肉のタレがかかってれば、大体うまいよな」

「そうそう。それでいいのよ」


 修司は次から次に食べてご飯はすぐに無くなり、今日も二杯目を出した。私たち家族は食がそれほど太くなかったから、ご飯のお替わりをしてくれると嬉しくなってしまう。

 お父さんのために作っていた揚げたシュウマイに辛子をつけて出すと、これも目を輝かせて食べて二杯目にもう少し追加してご飯を食べた。作りがいがある!

 煮物も全部たべて好き嫌いも無さそう。デザートにリンゴが入ったヨーグルトを出すと、それもきれいに食べ終えた。


「ごちそうさま。すげー旨かった」

「うん。あのね、料理ってそんなに難しくないから、この本見て、炒めたりする所からしてみると良いと思う」

「いや、俺は料理なんて出来ないよ」


 そういって修司は首を振った。

 私はスマホを取りだして調べておいた情報を出した。


「高校、おばあちゃんがいる大阪の方で考えても良いんじゃない?」

「……え?」

「修司剣道好きだし、あっちに名門校もあるわ。お母さんを近くで見てるのがキツいなら離れるって手段もある。私はもう高三だけど、修司はまだ中三じゃない? この家に長くいることになるから。自分の気持ちを守るって手段は、ありだと思う」


 修司は静かに聞いていたけど、リンゴをシャリ……と食べて「ごちそうさま」とだけ言って部屋に入った。

 LINEを全部見たときに、お父さんの祖母が大阪に居ることが分かった。

 朝の感じだと、修司は結菜以上にお母さんに苛立っている。

 私は知っている。人が変わって振り向いてくれるのを期待して待つほど辛いことはないのだ。私は一日数分だけ正気に戻る静子さんを毎日毎日待って待って、死んでしまった。

 私の場合は、待っていても無駄だった。いや、違う、待っていたのではない、ただ小さな希望にしがみついていたのだ。

 それはもう上に繋がっていない蜘蛛の糸でも、手放すことはできなかった。でもあの時の私は、ああするしか無かった。

 でも別の選択肢があるということを、誰かが伝えてくれるのは嬉しいものだ。

 もし来世があったら、もう人を待たない。自分のためだけに人生を使う。

 結婚もしたくないわ。もう本当に好きに生きたい。

 

「……ふふ」


 小さく笑ってしまう。あんなに死にたくない怖いと思っていたのに、来世とか考えている自分に笑ってしまう。

 でも魂だけ海に流す世界なら、その海はきっとどこかに繋がっている。その先に来世を信じても良いでしょう?

 流れている時に何を感じて、何を見て、どこにたどり着くのだろう。

 そんなことを考えていたらお父さんが帰ってきた。


「おかえりなさい。ご飯、今日も作ってみたの。食べる?」

「おお……すごいな結菜」

「えへへ。私が入院してた時、出来なかった仕事があるんでしょ?」

「悪いけど本当にその通りなんだ。すべて止めてたから。早く終わらせて帰れるようにするよ」

「うん、今だけでも手伝うよ」


 これくらい言っておかないと、戻ってきた結菜が大変かもしれない。

 そして再び煮物を温めた。煮物は冷まして温めるたびに美味しくなるから、最後の人が一番美味しい。

 私は優太朗に一番美味しいものを出してあげられる煮物が好きだった。お父さんは「こりゃすごいな、プロになれる」と嬉しそうに食べてくれた。

 来世があるなら、私はまた料理をして、誰かに食べてほしいと思う。

 やっぱりこの時間が大好き。


 お母さんは今日も深夜に帰宅したようだ。料理をしたことで日常に触れた私はめずらしく少し眠れて、朝の五時ごろ起き出してドライブレコーダーのデータを抜きに行った。

 するとそこには施設長とあの男性が狭い車の中でセックスしてる動画がばっちり撮れていた。

 思わず部屋の中でぱちぱちと静かに拍手してしまった。あの年齢だとドライブレコーダーの存在を知らない可能性はあるわね。営業車に付けるのは今や当たり前なんだけど。

 高齢者のほうが性に積極的というのは本当かもしれない。

 あらあらまあまあこんな狭い所で、足が折れそうよと言いながら動画を見て、そのデータをとりあえず結菜のノートパソコンに入れたが明日安いUSBを買ってきて、お父さんの机の引き出しにいれようと決めた。

 これを結菜に見せるわけにいかない。それは虐待だ。

 話をすべきはお父さん。あなたよ。これは夫婦しか出来ないこと。娘である結菜がすることではない。

 夫婦の問題は、夫婦で解決すべきだ。そうしないと家族というフォーマットが壊れてしまう。

 ……なんて偉そうなことを、そんなこと全く出来なかった夫婦の片割れとして思う。ごめんなさい、人の事となるとよく分かるわ。

 私はUSBに一緒に入れる手紙を書き始めた。ドラレコはとにかくデータがすぐに上書きされること、設定方法、使い方をミスするとただの箱。いつまでも見守っていたら手遅れになる。この施設長がどこまでお母さんを利用してるのかちゃんと調べた方がいい。とにかく働き過ぎ! 働いてもいいけど、夜は寝るべきだ。朝ご飯はとても大切。

 そこまで書いて顔を上げる。


「……内容が完全にうるさい姑の告発文書だわ」


 でも姑ほど年齢が上じゃないわよ? でもこれじゃ姑ね。

 お節介を焼いてると元気になってきてしまうのは私の性格だろう。

 この夫婦に私が出来るのは、ここまでだ。


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