第4話 1日目 20時40分 ふたりの謎と、知らなかった貴方
夕食は食欲がないと伝えた結果、お父さんがおにぎりと卵焼きを部屋にもってきてくれた。
梅干しおにぎりと鮭おにぎり。大きすぎず、小さすぎず。ちょうどよいサイズに握られたおにぎりだ。卵焼きはほんのり甘く、サイズも小さめに切られている。
その上品さから普段から料理をしている手慣れを感じた。
優太朗は家事など全くしなかったので少し新鮮だったが、私が働いていた店の料理人は男性だった。
家の仕事は女性がするものだと思い込んでいる自分を恥じる。
私たちはそれを美味しく頂いて、気持ちを切り替えた。
瑞樹は充電が終わったスマホを手に持ち、
「さて。一週間無事に乗り切るために、この身体の主のことを調べるしかないな」
「そうね」
結菜のスマホも瑞樹のスマホも、幸運なことに生体認証だったので、指や顔でロックを解除した。
昔のようにパスワードだったらこんなこと出来なかったし、なによりスマホなんて扱えなかったかもしれない。
私たちは50代と60代。スマホはそれなりに使えるし、私はむしろデジタルには強いほうで、結菜と同じ最新型を使っていた。
でも人のスマホの中を勝手にみる罪悪感はすごい。
「……ごめんなさいね、結菜」
「ごめんな、瑞樹。情報をくれないか」
私たちはスマホの中を調べ始めた。
まず私……宮永結菜は現在、ここから自転車で20分ほど行った所にある私立中山学園の三年生A組に在籍している17才。
親友がひとり。『心配した』『マジこわい』などとインスタにDMを大量に送ってきている子……
この子とのインスタ、そして親族とやり取りしているLINEを見れば、結菜の生活が見えてきそうだった。
そして再び涼花からDMが再びポンと入り『本当に心中だと思ったよ~~』と出てきた。
心中だと思った……? そんな言葉、親友に言うだろうか。少なくとも私は誰にもかけたことがない言葉だ。つまり『心中するようなことがあった』のは間違いない。
私はスマホの画面そのままに瑞樹のほうにいく。
「……ねえ、こんなこと言われてる」
「ああ。俺のほうも今……どうやら友達に
「心中ってことは、ふたりで死のうとしていた可能性があるってこと?」
「孝太は『なんでまた行ったんだよ』『もう関わるなって言ってるだろ!!』とか入れてきてるけど、状況が全く分からないな」
私と涼花のやり取りも同じような感じだ。
涼花は『大丈夫だって』『もうしちゃったし? グダグダ考えてもどーにもならないって』『前向いていこ!』と結菜をひたすら慰めている。
この文面をふたつ足して考えると……、
「結菜は瑞樹に何かしてしまって……? それを結菜が悔やんでいる……?」
「積極的な女の子なのかも知れないな。俺たちの所にこのふたりが自転車で突っ込んできたとき、運転してたのは女の子、結菜だった。男の子と女の子が自転車に二人乗りしていたとして、普通だったら体力的なことを考えたら男が運転しないか?」
「そうね。そうだった、飛び込んできたのは、結菜だったわ」
あの瞬間のことは目を閉じるとすぐに思い出すことができる。私のほうに必死に叫んでいた女の子……「危ない!」って。
優しい子。私は自分の胸元の服を握った。何があったのか分からないけれど、私を命がけで助けようとしてくれた子。その恩、少しだけでも返せたら……と思ってしまう。
インスタを見ながら私は呟く。
「人間関係はインスタを見ればなんとなく分かるけど、何か大きな事があった……ここ2、3ヶ月のことが分からないわね。みんなはっきり言わない」
他人の中に入って生きるなんて、正直何も分からなさすぎて怖い。
ため息をついていると瑞樹が私の背中を撫でて、
「無理矢理だけど、頭を打ったショックでここ2.3ヶ月の記憶が曖昧だということにしたらどうだろう。そもそも本当にその状況だから演技ではなく素で行ける」
「! そうね。そのほうが良いわ」
私は瑞樹のほうを見た。瑞樹は目を細めて優しい表情で私の背中を再び撫でた。
お店で嫌なお客にセクハラされた夜、優太朗はいつもこうしてくれた。優太朗の大きな掌が背中に触れると、それだけで安心して顔を上げられた。
そんなところが好きだったと少しだけ思い出す。
見ていると涼花からまたDMが入り『明日は学校行けるんだよね? 文化祭の準備あるし、とりま顔みたい! 迎えにいく!』と来ている。
「……文化祭ですって。私たちが出たら悪いわね」
「いやでも……スケジュール見ると本番は俺たちが完全に死ぬ日曜日の次の月火だな。準備だけ手伝えばいいんじゃないか」
「そう、ね。七日間だもんね……すごく短いわね。そんな数日のことよね……」
他人になって生活するなんて、何も分からなくて怖いと思っているのに、七日後に死ぬのはもっと怖い。
肌に風も室温も感じないあの空間と、首がぬらぬら光る木彫りの人形を思い出して、恐怖が心を支配して指が震える。またあそこに行くことになるのか。
嫌なことが先にあると思うと、その前の日々さえ灰色に感じてしまう。
こんなことなら、やはりあのタイミングで死にたかったと思ってしまう。
昔から先に嫌なことがあるのが分かっていると、それを先に済ませてしまいたくてたまらなかった。私は口を開く。
「……私はね、先に嫌なことが残っているのが苦手なのよ。夏休みの宿題を最初の一週間で終わらせてた」
「そんな話、はじめてしたな。よく考えたら俺たち10才離れてるから一緒に学生してないもんな。すごく新鮮だ。俺は最後の二日徹夜して終わらせるタイプだった」
「え? 終わらなかったらどうするんですか」
「なんであと40日も休みがあるのに宿題なんて出来るんだ。いつしても終わればそれでいいだろ」
「……そうね。終わればそれで良いわね。先にしても後にしても。そうなんだけど」
言いながら考える。今こうして『あと七日間で』と怯えるのも、七日間生きて最後に悲しむのも、同じなのだ。
初日に宿題を終わらせてきたけれど、人生最後の七日間、最終日に宿題をしても、終わるのは変わりが無い。
心がふわふわと浮いていて、気持ちの置き場がない。どう考えても落ち着かない。不安で涙が出てきてうつむいていると、瑞樹は私の手を両手で包んだ。
大きくて全部包むような安心感のある手。これも優太朗の癖だった。いつも冷たい私の手を温めてくれた人。
少なくともひとりじゃない。手を取り合って顔を見て、一緒にいる。
それは過去の私たちが出来なかったことの全て。
私は瑞樹を見て、
「……明日、一緒に学校行こうか」
「ああ。そうしよう。学校、久しぶりだな。まさか死んでからこんなボーナスステージがあるなんてな」
「正直そんな風にこの状況を楽しめる人だとは思っていませんでした」
「俺も意外だったよ。でも今は素直に……こうして遙と話せて嬉しいと思ってる」
そう言って瑞樹は私の指に優しく触れた。その触れ方が付き合いはじめたばかりの時のようで気恥ずかして目を逸らす。
誰かに大切にされる、求められるという感覚を、もう完全に忘れていて、どういう表情をすれば良いのか分からない。
落ち着かなくて、空気を振り切るように話題を変える。
「……とりあえず瑞樹も一回家に帰ったほうがいいわ。きっと両親も心配してると思う。七日間で戻るならなるべく記録が残るようにDMでも話しましょう。私たちがどうやって生活したのか、何をしたのか、ノートも書きましょう」
「そうだな。身体を借りてるんだから、記録は残さないと」
私たちは協力を誓った。そして瑞樹は私に手を振って自宅に帰っていった。
さて、と。私はお盆を台所に持って行き、お茶碗を洗っていると、そこに弟の修司が来た。
病院にいた時から思っていたけど、修司は真っ黒な髪の毛を綺麗に整えていて、とても真面目そうな子だ。結菜とはかなり違うように見える。
そしてチラリと私の方を見て、
「なんかケンカしてたみたいだけど、大丈夫なの?」
「騒がしくしてごめんね。あのね、記憶が混乱してて分からないことがたくさんあるの。話を聞かせてもらってもいい?」
「いいけど、俺でわかることかな。ていうか病院の時から思ってたけど、姉ちゃんすげー落ち着いてるね。それに瑞樹と一緒に部屋にいるなんて。もうふたりとも吹っ切れたの? さすがにびっくりなんだけど」
これは……相当な何かがあったようだ。私はこれでも中身は50代。何が分かるのだ、余計なことはしないほうが良いと思いつつ、周りにここまで思われている状態は結菜にとって良い状態では無さそうだ。たかが七日間。少し変でも元に戻れば「なんだったんだろう」で済む話。今私が出来ることをひとつでも。それに誰かのために動いているほうが気が紛れる気がした。
そう思って顔を上げる。
「さっきLINEとかインスタを見て瑞樹とも話してたんだけど、分からないことばかりで。どうやらここ2、3ヶ月の記憶が曖昧な状態みたい。何があったのか教えてもらってもいい?」
「ええ? 一番色々あった辺りだよ。マジで?」
「悪いんだけど部屋で話してもらってもいい? リビングで話してると声が響くし、お父さんに無駄な心配をかけたくないのよ」
「姉ちゃん、本当に大丈夫? あれほど好き勝手にしてきた人が。頭壊れた?」
あれほど好き勝手にしてきた人。それがどうやら結菜らしい。どんな暮らしていたら弟にそんな扱いをされるのかしら?
ずっと気を遣って大人になってきた私からすると、この状態はあまりにも幸せで贅沢に感じる。
好き勝手に高校生やれるほど自由に育ててくれている両親に感謝すべきだわ……と思ってしまうのが、もう50代のおばさんだ。
何があって周りに『心中だと思った』とまで言われているのか……聞くことにした。
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