ねこまんま①



 

 時の流れは残酷だ。

 親は死に、兄弟はどこで何をしているかわからない。

 仲が悪かったわけではないが、特に興味もない。

 子を成すことはおろか、伴侶さえいない。

 

 ……いや、まあ伴侶はいたが、それにも先立たれてしまった。

 若い頃は、子供などいても邪魔なだけだ、などと思っていたが、こうなってみるとやはり血縁というのは欲しくなるものだった。

  

 昔のことを悔やんでも仕方ないので、俺はなんとなく旅に出た。


 子供の頃に駆け回った山。

 住んでいた町や村。

 訪れたことのある観光地。

 ヤンチャだった頃によく溜まり場にしていた公園。

 

 若いころから放浪癖がある俺にとって、何十と県を跨ぐことにいまだなんら抵抗はない。

 体は健康そのものだし、頭の方だってまだまだ現役だ。

 このまま幾つまで生きられるのか。

 定かではないが、残りの人生、動けなくなるまでこうして旅をするのも悪くないかもしれない。


 そう思って、俺は生まれた土地へと帰ってきたのだ。

 

 時の流れは残酷だ。

 

 人の時間の流れというのは特に残酷だ。


 俺が生まれた土地は、いつの間にやら大型商業施設やビルが立ち並び、見る影もなくなっていた。

 それもそうだろう。

 最後にここに来たのは六十年以上前だ。

 それだって、久々に友人に顔を見せに立ち寄っただけで早々に立ち去ってしまった。

 友人はとうの昔に亡くなっていた。


 こうして、何もかも消えていく。

 自分は何も残せず、ただ消えていくのだな、と思う。

 慣れたと思っていたコンクリートジャングルの中で孤独を感じるなんて、俺も老いたものだ。


 喧騒に心が疲れ、一本の路地裏に入った。

 その路地裏は地面がごつごつとした石畳でできていた。

 土の大地が恋しいが、石畳の感触が足に馴染んで歩きやすい。

  

 しかし、よく歩いたものだ。

 老体には少々堪える。

 精神性のものかもしれない、とも思う。

 

 ちょうどベンチがあったので、そこで休ませてもらう。

 ゆっくりと座りこみ、ふと空を見上げる。

 昔と比べ、星の数が減った気がする。

 そもそもこうやって空を見上げることなど何度あったか、と思うほどに少ないが。

 

 そうしていると、何やら甘い香りがした。

 甘さの中に香辛料のような匂いが混じっている。

 不思議な心地の香りで、俺は思わずすんすんと鼻を鳴らしてしまった。

 匂いの元は、どうやら向こうの喫茶店のようだった。



 赤煉瓦の外壁に緑のオーニング。

 出窓には分厚いレースカーテン。

 扉の横にランプと立て看板がひとつ。

 ランプがついていないから、営業時間外なのだろう。

 立て看板には

 

『△茶 時○旅行  本日、※正×二年』


 と、書いてあった。

 目が悪くなってきているのだろう。

 字がよく見えない。

 まあ、見えずとも問題はない。

 こういうのは大体、店名と売り文句のひとつでも書いておくのが相場ってものだ。

 歳を重ねると、こういうのは経験則がモノを言う。

 俺だって伊達に長生きはしていないってことだ。


 しかし、どうにも懐かしい……気がする。

 何かを忘れているような、なんでもないような。

 

 物思いに耽っていると、扉の横のランプがぽうっと灯る。

 なんだ、今から営業するのか。



 

 カラカラン


 


 そんな音と共に扉が開いた。

 出てきたのは和装にエプロンの奇妙な女だった。

 今どき珍しい和顔の美人で、その唇は真っ赤な紅を挿してある。

 動くたびにしゃらしゃらと鳴る髪飾りが、気になって仕方ない。


「……あら?……えぇ?」


 女は看板の文字を見ると素っ頓狂な声をあげていた。

 そして、きょろきょろと辺りを見渡したかと思うと、ベンチに座っていた俺と目があった。

 俺が軽く会釈をすると、女は不思議そうに首を傾げ、やがて得心が入ったように頷く。

 そして、はんなりとした笑顔を浮かべ、こう言った。


「よろしければ、何か召し上がっていきませんか」


 腹が、鳴る。

 そういえば、腹が減っていた。

 最後に食べたのはなんだったか。


「うちのものは、全部美味しいですよ」


 そう言って扉を開けて迎えようとする女と、うるさい腹の虫に急かされ、店に入ることにした。

 




 

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