ホットケーキ②
チックタックと鳴る振り子時計の音。
わからないけどどこかで聞いたことのあるようなレコードの優しい音楽。
ホットケーキの焼ける、甘い匂い。
ああ、そうだ。
祖母が焼いてくれたホットケーキ。
こんな匂いだった。
「お待たせしました。ホットケーキとホットミルクでございます」
気がつけばウェイトレスが立っていて、その銀の御盆には丸いお皿とマグカップがあった。
それらは丁寧にテーブルに並べられていく。
二段重ねのホットケーキ。上に、ちょこんと乗っているバターが少しずつ溶けて染みていく。
シンプルな見た目のそれに心が落ち着いていくのを感じる。
バターとホットケーキの甘い香りに思わず唾を飲み込んでしまった。
マグカップに並々と注がれたホットミルク。
マグカップが家庭的なデザインでこれにもほっとする。
「ミルクにはお好みでお砂糖を。ホットケーキにはこちらをどうぞ」
置かれたのは、小さなカップに入った黄金色の液体。
言われるがままに、ホットケーキにその黄金の液体をたっぷりとかける。
そしてナイフとフォークを持ち、一言。
「いただきます」
「はい、召し上がれ」
――召し上がれ。
おばあちゃんの声が重なる。
一口サイズに切り分け、口に運ぶ。
……ああ。
……これだあ。
おばあちゃんの作ったホットケーキと同じ味。
ああ、懐かしい。よく作ってもらった味。
ああ、おばあちゃん。大好きなおばあちゃん。
「美味しい?」
「えっ」
夢でも見ているのだろうか。
目の前におばあちゃんがいる。
おばあちゃんはふふふと笑いながらこちらを見ていた。
「あなたももう高校生ねえ。あっという間に大きくなって」
「おばあちゃんたら、いっつもそれなんだから」
「だって、すぐに大きくなるんだもの」
夢を見ているのだろう。
だって、制服を着ている私は勝手に口が動いて話しているんだもの。
「仕事、どうしようかなあ」
「あら、もう就職考えているの?大学は?」
「うーん、行ったほうがいいのはわかってるんだけどね」
「したい仕事でもあるの?」
「どんなのが向いていると思う?」
昔の私ったら、そんな質問をしておばあちゃんを困らせないで。
そう思っていると、おばあちゃんはにこにこしながら、答えた。
「あなたは、自然が大好きでしょう。だから自然に関わることをしたらいいんじゃないかしら」
ああ、そうだ。
このころは地球温暖化なんかが話題で、自然に関する社会問題に興味津々だった。
私は自然が大好きで、この時代の子どもにしては自然に触れてきたほうだったと思う。
祖母の家に行っては裏山に入って遊んだり、学生時代も休みの日となれば友達と遊びにいくよりも、自然の多い公園や植物園に行ってピクニックをしたり、本を読んだりしていた。
同世代で山に入っておやつがわりにアケビを摂って食べたことのある人なんてほとんどいないだろう。
それぐらい自然が身近で好きだった。
「難しくない? 例えば?」
「そうね。直接関わるのは難しいから知ってもらう仕事とかかしら?
植物園によく行くでしょう。そこの職員さんとか」
「うーん、育てたいわけじゃないからなあ」
そうなのだ。
自然を守りたいとは思っていても、別に何か手を加えたり、みんなに知ってほしいわけではなかった。
もっと直接的に私ができることを探していたんだ。
「じゃあ、自然を壊さないようにする仕事とか……そんなのあるかしら?」
首を傾げるおばあちゃん。
その姿を見て、高校生の私はくすくす笑っている。
私は、笑えない。
なんで忘れていたんだろう。
そうだ。この言葉がきっかけだった。
自然を壊さないようにする仕事。
高校生の私の脳裏にはその言葉が染み付いて、そういう仕事を探したんだ。
そして見つけたのが、環境保全に取り組む機器メーカーのエンジニア。
そのために大学まで行って勉強するほどに、私は熱心だった。
就職が決まって束の間、私に待っていたのはエンジニアとしての研修と実績積み、そしてひたすら多忙な毎日。
次第に企業理念など忘れて、漫然と仕事をこなすだけの機械になっていた。
今ならわかる。
私の仕事がなぜ苦笑いで却下されるのか。
会社が求めていたのはただのエンジニアではないことが、わかる。
やりがいなんかあるわけがない。
私が自分でそのやりがいを消していたのだから。
ただただ上に言われるがままにこなしていれば、魂もすり減る。
上司たちだって、待っていてくれたんじゃないのか。
そういえば、植物園にもしばらく行っていない。
ああ、ああ。
思い出した。
……おばあちゃん、ありがとう。
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