忘年会

マツ

忘年会

今年はやるだろう、と踏んでいた。新規感染者は増えていたが、それでもお前たちはやるだろう。そういう空気が、すでにできていた。昨年とはすっかり変わっていた。そして変わってしまえばたやすく順応し、それに従うのがお前たちなのだと、生まれてから今日まで何度も何度も同じ光景を見てきた私にはわかっていた。いうまでもなくお前たちには私も含まれていた。そんな私を含むお前たちに私はうんざりしていたが、須藤さんから業務連絡用のチャットで送られてきた忘年会の参加可否のメッセージに、私は「参加しま~す!」と絵文字付きで返していた。会費は4500円だった。欲しかった翻訳文学が2冊買える金額だ。苦々しい気持ちになったが欠席裁判を回避するためには是非とも参加しなければならなかった。また2年前のように、乾杯の後、他愛もない雑談から始まって、徐々に不参加の同僚の悪口に変わっていくだろう、と踏んでいた。私は話に合せつつもその同僚を時々、自分がその同僚と同一視されない程度にかばうことで罪悪感を和らげるだろう、と踏んでいた。そういう場を作るお前たちも、そういう場になることを知っていてそれでも参加し流れが壊れないようにふるまう私も、そのくせ本当は私は違うんだと示したくて姑息なフォローを入れる私も反吐がでるほど嫌いだ。でもその嫌悪すらも楽しめるだろう、と踏んでいた。アルコールをじゃんじゃん飲み、必要以上に大きな声を出し、過剰なほど笑うことで、忘年会に縮約された社会的動物としてのお前たちや私を、というよりも日本人を、直視することを避けながら嫌悪も込みで楽しめるだろう、と踏んでいた。けれど実際は違っていた。この2年のブランクで私はあまり飲めなくなっていた。声量も落ちていたし、外国のコメディー映画の役者のように笑おうとしても、顔の筋肉が思うように動かないのだった。なんだか落ち着いてましたね、と居酒屋でずっと隣に座っていた横田くんが店を出たあと盛り上がりに欠けた今年の忘年会を仕切り役の須藤さんへの配慮をまじえた表現で総括した。2年前みたいな忘年会に戻るにはちょっとリハビリが必要かもしれませんね。しかし私はもう戻ることはないだろう、と踏んでいた。私の酒量も、忘年会の、あの、嗜虐を含んだ昏い愉しさも、それから、日本も。


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忘年会 マツ @matsurara

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