第62話 選別は神がしてくださるーフレーズ
神は己の者を知りたまう、とか訳される事が多いようなのですが、個人的には初めに知ったこちらが印象深いので。
今回は創作作品からではなく、歴史から。アルビジョア十字軍によるベジエの虐殺の際に発された言葉です。
アルビジョア十字軍は、十字軍と名はついていますがエルサレム奪還目的ではなく、当時の南フランスで活動していたカタリ派というキリスト教の異端派閥を倒すのが目的です。
教皇の要請に応じて集まった十字軍が最初に向かったのが、南フランスの街ベジエ。
もちろんカタリ派信徒がいる街ではあるのですが、住民全員がカタリ派ではなく、人数だけで言えばカトリックの方が多数。そして、カタリ派住民とカトリック住民を素早く確実に見分ける方法などありません。
その状況で十字軍指導者の教皇特使が発したとされるのがこのフレーズ。
「皆殺しにしろ。選別は神がしてくださる」
つまり、殺した住民が正しいカトリック信徒であれば、神が天の国に迎え入れるてくださるし、異端のカタリ派信徒なら地獄行きなので問題ない、という理屈。
え、殺す十字軍の方はいいのかって?
神の地上における代理人たる教皇猊下の要請に応えた聖戦士たちですよ。地獄行きのわけないじゃないですか。
かくして、二万人とも言われるベジエの住民は全員虐殺。次のカルカソンヌでもカタリ派住民追放と結構厳しく当たった結果、怯えた南フランスは大した抵抗もできずフランス王の支配下に組み込まれます。後は異端審問でカタリ派指導者たちを処刑して終了……と言っても100年以上かかってますが。
キリスト教徒でもない現代日本人としては単純に狂気なのですが、それでも信徒としての理屈は一応通るのが恐ろしいところ。
チェスタトンという作家が、狂気とは理性が無い状態ではなく、理性しか無くなった状態だという言葉を残していますが、正にその通りの状態です。
そういう訳で結構強い衝撃を受けたので、実は一度自作で使った事があります。なんとか虐殺回避のハッピーエンドに持ち込みましたが。
しかし、そのデータも失われてしまったので、もう一度リファインできないか検討中……。
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