丑の刻参り

杠明

丑の刻参り

「ミチル君今晩空いてるかい?」

半ば不法占拠している大学の空き教室で御堂みどう先輩が僕に抑揚に欠けた声をかける。

誰もが振り返る美人のはずなのにそうと感じさせない。

致命的な愛想の悪さか、血色の悪い顔色か。


御堂先輩は僕と同じ法学部で一つ上の二年生だ。

一年生の必修科目の初回授業の教室に御堂先輩が居た。

講義が始まる1分前に教室に入ってきて一年生たちの注目を集めていた。

女性にしては背が高く、170㎝近くあり目立っていた。

そしてなにより他の女の子は服装やメイクに気合が入ってるなかで、御堂先輩は上下ジャージ姿である、良い意味でも悪い意味でも目立つには十分だった。

その恰好も運動部なら理解できるが、不健康そうな手足がその事実を否定していた。


「教科書」

他が空いてるにも関わらず隣の席に座り僕のほうを見ないでそう口にした。

大教室で他の人たちは既にグループが出来上がっている。

その中で一人で座ってる僕に目に付けたのだろう。

「見せてくれ、忘れた」

忘れた? 持ち物といえるのはポケットに入れてたボールペン一本じゃないか。

カバンごと家に忘れたとでもいうのか。

「聞こえなかったのかい?」

結局見せることにした。

正直下心もあった、この時の判断が今日のへと誘ったのだろう。


「聞こえなかったのかい?」

「まさかと思いますがデートのお誘いですか?」

そんな甘ったるいお誘いを先輩がしてくるわけがない、そう分かってて聞き返す。

「女子寮の裏の雑木林あるだろ? あそこは一応神社の境内なんだ。今晩そこに行く」

僕の冗談に表情一つ変えず説明の足りない目的を告げる。

「あれ先輩、女子寮に入ってましたっけ?」

「去年まではな、今年追い出された」

「何やらかしたんですか?」

「まぁ……いいだろう別に。じゃあ今夜1時に女子寮で」

そういうと読んでいた古めかしい本に目を落とした。

会話は終わりとの合図だ、これ以上は何を聞いても「うん」しか言わない。

しかし1時とはえらく遅い時間だ。

何が目的なんだろうか。


待ち合わせ場所である女子寮の門扉の前に1時を少し回った時間に到着したが周囲に御堂先輩の姿は確認できない。

寮からの窓から漏れる明かりも少なく、周囲には人の気配はない。

「勘弁してくれよ……御堂先輩早く来てください」

深夜に男子が女子寮の前にいる、これだけで通報されてもおかしくはない。

スマホで何度か連絡を入れるが反応はない。

「あと五分、五分待ってこなかったら帰るからな」

その五分を数回繰り返し、1時40分に先輩は待ち合わせ場所に姿を見せた。

相変わらずの上下ジャージ姿である。

「遅いですよ、帰ろうかと思いました」

しかし真夜中に上下黒のジャージだと白い顔だけ浮かんで見え、少し不気味である。

「悪い、悪い。1時だと早すぎたなって思って、最初からこの時間でよかったな」

「それならそれを連絡してくださいよ、ここに一人でいたら下手したら警察沙汰なんですから」

「いや、ここに着いてから君に伝えようと思ったんだ」

実害を被りかねない冗談はやめてほしい……本気で言ってそうで怖い。


「ミチル君、ずいぶんいい靴を履いているな」

他人の服装や身だしなみに言及するなんて今までなかったことだ、珍しい。

「そうでもないですよ、最近ネット通販で買ったんです」

「ネット通販? はぁよくわからないけど便利なもんだねぇ」

華の女子大生が年寄り臭いことを言う。

「ところで何で僕の靴なんて」

先輩の靴を見るとジャージに合わせたのか運動靴だ、長いことは愛用していたのかだいぶ使い古されている。

「いや動きやすいのかって思って」

「動きやすいほうがよかったですか? まだ慣れてないんでそこまでは」

深夜の雑木林まで来て運動会でもしようと言うのか。

「深夜の雑木林にわざわざお洒落なんてしてくると思わなかっただけだ」

返す言葉が見つからない。


二人が合流した後、女子寮側から直接雑木林へ向かわず神社の正面から侵入することとなった。

「先輩、そろそろ目的を教えてくださいよ。僕を埋めに行くんですか?」

「それはそれで面白そうだな」

そういうとククッと喉を鳴らすように笑った。

どうやらこの冗談はお気に召したようだ。

「ミチル君、君は誰かを呪い殺そうと思ったことはあるかい?」

笑ったまま急に物騒なことを言い出す。

「ないです。あぁ、深夜の神社に呪い……僕でも察しが付きました」

「そうか、ではこれからそれを見に行く」

話しているうちに二人は鳥居の前に出た。


「おい、スマホのライト。懐中電灯の代わりになるだろ? それをやってくれ」

機械音痴の先輩はスマホの機能の一割も使いこなせない。

自分が教えてようやくアプリの入れ方を覚えたくらいだ。

「帰ったら使い方教えますよ」

スマホのライトで足元を照らすと思ったより足元は悪くないが、とにかく暗い。

人工の明かりはほとんどなく月も今日はほとんど出ていないためライトがなければ文字通り一寸先は闇である。


「しかし広いですね」

もう数分は歩いている。

「残念ながら目的地がわかってないからね、ここ全域が目的地とも言える」

例の行為をどこで行ってるのかまではわからないということか。

「先輩は何でここで……丑の刻参りですよね? それをしてる人がいるって知ってるんです?」

「寮にいる友達が教えてくれたんだ」

「先輩友達いたんですね」

「失礼な奴だな、数え切れないくらいいるよ」


無暗に歩き回ることを中断して一度休憩することにした。

「丑の刻参りの歴史は古いし、呪殺自体はもっともっと古い」

先輩はクヌギの木に背中を預けるようにしゃがみこんでいる。

「丑の刻参りは江戸時代には確立されていて行ってる人もいるし、呪殺は縄文時代には既にあったと考えられている」

「縄文時代? そんなに古いんですか?」

想像以上の歴史の古さだった。

「祭祀と政治が一体の時代であればほとんど当然だろう、お隣の大陸では王はもともと呪術的な意味合いが強かった。古代なんて戦争では職業軍人以上に呪術師を重宝していた時代だよ、それに五行思想をみればわかるだろ」

急に話が難しくなった、呪いの話だったよな。

「政敵、後継者争い、後顧の憂い、暴力で排除すると自分も不利になるときにこれ以上ない便利な手法だったんだろ。長屋王って日本史でやったかい? 長屋王も左道、つまり呪術で国家転覆を企んだとして刑死したんだ。おそらくはこじつけだろうけどね」

日本史で習った気がするが覚えていないので反応には困ってしまう。

「第二次世界大戦でも日本はアメリカ大統領を呪殺しようとしてたってこともあるんだ、都市伝説みたいなもんだが」

二十世紀にもそんなことしてたとはさすがに信じがたい。

「そして何より、呪術は非力な女性の攻撃手段としては最適だった」

「たしかに一般的に丑の刻参りのイメージは女性ですね」


カン……カン……カン

ここからそう遠くないところで金属音がする。

先輩の講義を受けている間についに現れた。

「ミチル君、何時だい?」

スマホで時間を確認すると2時15分。

「遅刻は私だけじゃないみたいだな、ここからライトを消してくれ」

闇夜に目を鳴らし手探りで音のほうへと向かう。

警戒してるためか自然と二人の間を沈黙が支配する。

御堂先輩は何で最初に目的を言わなかったのだろうか?

言えば来ないと思ったからだろうか、単純に面倒なだけだろうか。

しばらく取り留めのないことを考えていると先輩に袖をつかまれた。


「いる」

前方に目を凝らすと人の姿が確認できた。

白装束にロウソクを頭に括り付けた長髪の女性をイメージしていたが、そこにいたのはいたって普通の服装に火のついたロウソクなんてつけていない女性だった。

幾ら深夜とはいえ白装束は目立つし、頭に火のついたロウソクなんて付けたら火だるまになるか、そこはフィクションと現実との違いってところであろう。

女性はただ黙々と木に向かって手を振り下ろしている。

いたって普通の服装なだけに現実感がありかえって不気味に感じる。

先輩の様子を窺うと何が気に入らないのか想像に反してつまらなそうな顔をしている。


「もういいか」

先輩がそう呟くや否や僕のポケットからこの場に不似合いな聞きなれた音が鳴り響いた。

まずい、スマホをマナーモードにしていなかった。

「逃げるぞ、走れ」

女性を確認すると呆けたようにこちらを見ている。

先輩の背中を見印に全力で駆ける。

先輩は不健康そうな割には俊敏な動きで目の前を走っている。

僕のほうは走りながらも背後の気配が気になって仕方がない、急に金槌で殴られるイメージがわいて一人怖気着く。


神社の境内を出てからもしばらく走り、女子寮近くのコンビニにたどり着いた。

どうやら幸いにも女性は追いかけてはこなかったらしい

久しぶりの運動で切らした息を整えてスマホを確認すると先輩からの着信が一件。

「えっ、先輩これ」

スマホの液晶を先輩に向けたが見ようともしない、不機嫌そうだ。

「思ったよりずっとつまらなかったな」

先輩はそう言うとコンビニで缶コーヒーを二本買い、一本を僕に放り投げた。

「今日のお礼だよ、反省会は明日としよう。いやもう今日か」

緊張と疲労で張り詰めた体に缶コーヒーが染み渡る。

「遅いですし、送りますよ。いくら先輩でも危ないです」

「一言余計だよ。ククッ、近いから大丈夫だ。じゃあまた学校で」

そういうと先輩は小走りでコンビニを後にした。


翌日、四限の講義を終えた時間に先輩から連絡が来た。

昨日の反省会とのことでいつもの空き教室に来るようにとの事だった。

僕たちの大学は新館と旧館に分かれており、ほとんどの講義は新館で行われ、主だった部活やサークルも新館側で活動している。

そのため旧館に空き教室が多く、その一室が僕たち二人のたまり場となっている。

教室に着くと既に先輩はおり、机に腰掛け昨日と同じ本を読んでいた。


「御堂先輩、昨日から何読んでるんですか?」

「ん? これかい」

読んでいた本を片手でひらひらと振る。

「『剣巻つるぎのまき』だよ、平家物語の異本」

平家物語はわかるがその異本、剣巻は聞いたことがなかった。

「丑の刻参りが書物の中で初めて登場するのがこれ、その一点のみで有名だね」

振っていた本を机の上に戻し、僕の近くに移動してきた。


「宇治の橋姫伝説が今の丑の刻参りの原型となっている、ミチル君。なんで参りかって考えたことあるかい?」

丑の刻、だいたい深夜2時くらいだ。

「まぁ、深夜のほうが人目に付きにくいからでは?」

「それは結果だね、理由は別にある。丑の刻参りで有名なのは京都の貴船きふね神社だ、そこに神様が『丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻』に降臨したってことが由来だよ、平安時代から丑の刻に近い時間にお参りしてたこともあったらしい。もっとも貴船神社の神は水の神様でなんでそこから呪殺になるのかはわからないがね」

「水の神様なんですか」

高龗神たかおかみのかみ記紀ききに出てくるよ。古事記では闇龗神くらおかみのかみって名前だけど同一だ。漢字で見るとわかるけどの字が入ってる。龍は雨をつかさどる神として称えられていたからね。前者は山上の龍神、後者は谷底暗闇の龍神として水源を司る神だったんだ」

「その神様も呪殺依頼なんて来たらビックリだったでしょうね」

「ククッそうだな、どこで齟齬が発生したのやら」


「三日くらいしたらまた神社の様子を見に行くぞ」

「また行くんですか? 先輩、昨日はもう興味ないって顔してましたよ」

あのつまらなそう顔が昨晩の出来事で一番記憶に残っているから、とまでは言わなかった。

「丑の刻参りにはもう興味ないよ、あの女性の呪い自体の結末を見届ける。だから昼に行くぞ」

それなら昨日のような危険はないだろう。

「昨晩も同じように言ってくれればで行かなかってんですけど」

「なんのことだかわかりません」無言でも先輩の表情がそう言っていた。


昼に来る神社の雑木林はこの前と別世界だった。

日の明かりがあるだけで見違える、とはいえ鬱蒼としていて相変わらず人気はない。

「よくこんな場所来ようと思いますよね、あの女性も」

「丑の刻参りは見られてはいけないって決まりがあるからな、こんな場所である必要があるって思いこんだのだろう」

深夜に人気のないところで釘を打つ、令和とは思えない光景だ。

歩いていると右手の木に穴が空いていることに気が付いた。

木皮が脆かったのであろうか、小さな穴だが周りがボロボロにあっており異変には直ぐに気が付く。

「先輩これ見てください」

「昨日の場所とは別だな。目印もあの暗闇じゃ役に立たず毎回別の場所で呪ってたのかもな。身なりと言い道具と言い適当なやり方だ」

「道具までわかるんですか?」

「昨日見た限りではな、藁人形も用意してなかったし服装のあの通りだ。中途半端なもの見せられて興が醒めた」


明るいおかげで以前よりずっと早く女性のいた場所にたどり着けた。

「これ見てみろ、五寸とは程遠い長さの釘だ」

足元に落ちていた小さな異物を拾い上げ僕に見せる。

「一寸が約3㎝ですから、二寸くらいしかないですね」

「目的はこれじゃなかったんだが、君も探してくれ」

「探すって何をです?」

先輩の目線は木の幹ではなく地面まで落ちている。

「私の学生証」


どうしてよりにもよって身元を特定できるものを落とすのか。

「大丈夫だ。住所は去年から変更してないから、隣の女子寮のままだ」とのことだが顔も名前もバレてて住所は別だから大丈夫とは。

しばらく地を這い探したが女性のいた場所から10mほど離れた位置に落ちていた。

先輩の学生証は顔写真の位置を中心に左右アンバランスに割れていた。

「ご丁寧に顔の位置に釘を刺そうとしたんだな」

平然と破片を拾い上げポケットにしまう。

釘と言い学生証と言い仮にも呪いに使われた物を平然と手にする。

「帰るぞ、もうここに来ることもないだろ」


土日を挟み学校で講義を受けていると先輩からの連絡が来ていた。

ネットニュースのURLだ。

開いてみると女子寮近くで不審者が逮捕されたというものだった。

「僕たちとニアミスじゃないか」と思ったが詳細を読んでいくとそうではないことがわかった。

講義を終えるとそそくさに教室を去り旧館へと向かった。

招集されたわけではないが先輩がいる気がした。


「呼ばれる前に来たか」

「先輩この不審者ってあの女性ですよね?」

ニュースには職質を受けてカバンの中に金槌が入っていたことが理由で捕まり、そして呪いのことも警察にバレたとのことだった。

「友達が通報してくれたからな、軽犯罪法一条二項だな」

以前話していた情報をくれたという友達のことだろうか。

「軽犯罪法はわかるんですけど、呪いは無理ですよね? 因果関係を証明できないと不能犯になりますよね?」

不能犯、分かりやすく言えば砂糖で毒殺しようとしても無理だから無罪ということである。

「よく勉強してるじゃないか、確かに呪いを裁くことはできないが建造物侵入と器物損壊だ」

建造物侵入は僕たちもしてる気がするが、気が付かないふりをする。

「これで全部解決ってこと」


「先輩、学生証わざと落としましたね?」

「器用に財布から学生証だけ落とすわけないだろ、もちろんわざと落としたんだよ。そうすればあいつまたあそこに来ると思ってね。私を呪うために、そしたら案の定ってことだよ」

癖なのだろう、ククッと喉を鳴らすに笑う。

「もしかしてですけど着信で音立てたのもわざとですか? 危ない真似しますね、やめてくださいよ」

「それを言うならあんな場所に行くのをやめろというべきだね。呪いよりも金槌で襲われるほうがずっと危険だ。もっとも受け入れる気はないがね」

実に困った人だ、なんとなくいつまでも一緒には居られない気がした。

楽しそうにしていた先輩が急に黙りこくってしまった。

忠告を受け入れる気にでもなったのか、それとも何か見落としでもしていたのか。

「なぁ、ミチル君。学生証の再発行は有料かい?」

心配をして損した。


先輩の学生証の再発行のため事務室へと歩きながらあることに気が付いた。

「先輩、あの女性は誰を呪おうと思ってたんですかね? 先日は先輩でしたけど、あれは僕たちがあの場にいたからですもんね」

「聞きたいかい?」

数歩前を歩いていた先輩足を止め笑顔で振り返った。

「あの時木には写真が打ち込まれていたよ。暗かったし見えなかったのも無理はない。それにあの雑木林のあちこちにも同じ写真が何枚か見つかってる」

「それで? 誰の写真だったんですか?」

「五、六歳くらいの女の子、どこの誰かは知らない」

全身から嫌な汗が出るのを感じた。

「これ以上調べるのはやめときな。君のために言ってる、自分も知るつもりはない」

「調べるって……えっ?」

先輩は失敗したと言わんばかりにしかめっ面をした。

「その子の生死、死んでた場合の死因えとせとら」


「そういえば宇治の橋姫伝説では嫉妬が呪いの原因でしたね」

嵯峨天皇の時代、公卿くげの娘が嫉妬で丑の刻参りを行い神託を受けて宇治川に浸かり鬼となる。

その後、源頼光みなもとのよりみつの四天王の一人に退治されることになるが、嵯峨天皇と源頼光は二百年以上離れた時代の人物だ。

「だから興味を持つなって」

話しながら歩いていると事務室が見えていた。

「じゃあちょっと行ってくる」

発券機の前で多少手こずっていたが先輩は必要書類を発券し窓口に向かった。

先輩なりの優しさなんだろう、そう思うと少しうれしくなった。

手続きが終わったのか先輩が戻ってきた。

「終わったんですか、早いんですね」

「ミチル君二千円貸してくれ、この前のコーヒー代ってことでもいい」

優しさ、なんだろうな。

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