第五話:同行者

 俺は、再びデルタさんに手枷をされると、一緒に塔の階段を降り始めた。


 両手の自由を奪われていく俺を見て、ミャウは相当不満そうだったし、今も並んで階段を降りながら、俺のことを不安そうに見てるけど。

 それでも鳴いたり威嚇したりしなかったのは、ちゃんと言うことを聞いてくれているから。

 ほんと、こいつは向こうの世界でも甘えたがりだけど、ダメって言った事は我慢する賢い奴だから、本当に助かるよ。


 塔を出た俺達は、早朝の思ったより静かな女子寮の庭を通り、そのまま敷地の出口を目指す。

 この時間だからか。庭に誰もいないのには、流石にほっとした。

 白い目を向けられるのは、やっぱり心にくるし。


 そんな気持ちのまま女子寮の門までやってきたんだけど、そこでの会話を聞き、俺はすっかり忘れていたデルタさんの言葉を思い出した。


「爺さん、ご苦労さん。彼女には既に馬車に乗ってもらってるよ」


 彼女?

 って、そうだ。さっきデルタさんが、同行者に許可を得たって言ったばかりじゃないか。


「ありがとうサラ。済まないが、今日はここを頼むよ」

「あいよ。後でドルチェも来るし、安心しときな」


 そこまで言うと、サラって人がこっちにいぶかしげな目を向けてくる。


「ふーん……。まさかあんたが、そいつの飼い主なんてね」


 彼女の言葉にミャウが少し姿勢を低くし身構えたけど、俺はあいつの前に立ち、動きを制する。


「……ま、昨日も言ったけど、余計なことだけはするんじゃないよ」

「はい」


 俺がじっと真剣な顔で見つめ返すと、彼女はやれやれと肩を竦める。

 とはいえ、納得はしてもらえたのか。それ以上の言及はされなかった。


「では、行くとしようか」

「はい」


 俺達はデルタさんに促され寮を囲う外壁の門から外に出ると、そこには一台の立派な馬車が泊まっていた。

 窓にはカーテンがされていて中は見えない。

 そんな車両のドアを開けた後、


「お嬢様。手狭になりますが、何卒ご了承を」


 そんな言葉を中にいる同行者に掛けた。


 お嬢様?

 それを聞いて、ぱっと思い浮かんだのは、昨日のカサンドラって子。


 あの口調と態度は、紛れもなくお嬢様。

 って事は、色々愚痴愚痴言われそうな気がぷんぷんする。


 はぁ……。

 内心ため息をいたけど、こればかりは仕方ないか。


「では、青年。まずは君から入ってほしい。その子はその後だ」

「わかりました」


 俺はデルタさんに促され、手枷の付いた腕で何とかバランスを取りながら中に入ったんだけど。瞬間、目が合った相手を見て、俺は思わず目を丸くしたんだ。


   § § § § §


 俺達が乗り込んですぐ、馬車はどこかに向かうべく動き出した。

 馬車の窓にはカーテンが掛かっていて、外の景色を見る事は叶わない。


 馬車の奥に詰めた俺に膝枕されるように、ミャウが上半身を膝の上に乗せ、椅子に沿って身体を横にしている。

 といっても、ミャウは思った以上に身体が大きいから、下半身の一部は足場にはみ出てて、同行者にも窮屈を強いているんだけど。


 そんな俺達の向かいに座っているのは、俺の予想とは違う、学校の制服っぽい服を着た、エスティって呼ばれていた霊魔族エルファの少女だった。

 彼女はちらちらとこちらを見るものの、何とも困った顔で俯いている。


 でも、そりゃ仕方ない話だ。

 彼女にとって俺は、部屋に忍び込んだ不審者なわけで。

 その張本人を前にして、何か言ってくる子はそういないだろ。


 勿論、俺から何か声を掛けるのだって論外。

 彼女だって、不審者に声を掛けられたくないだろうし、それに今はミャウまで連れている。

 この状況は、彼女にとって恐怖しかないだろって話だ。

 それに、言い訳は幾らだって口にできるけど、それを話して誤解を解けるなら、とっくになんとかなってるだろうし。


 でも……流石にこの状況は気まずいな……。

 馬車を引く馬の、かっぽかっぽと歩く小気味よい音と、馬車の車輪が立てる音だけが響くこの空間は、正直辛い。


 俺は、できる限り目線を合わせないようにしつつ、ちらりとだけエスティって子を見た。

 ……デルタさんにお嬢様って言われてたけど、確かに彼女はそれだけの雰囲気は持っている。


 長い銀髪の一部を後ろで結った感じといい、柔らかな顔立ちといい。美少女だからこそ、その言葉がよりしっくりくるんだよな。

 そして、俺はそんな彼女に、自然とエスティナを重ねてしまう。


 もし彼女がエスティナだったとして、十年以上前に異世界で出逢った俺のことなんて、覚えてるんだろうか?

 それに、彼女が俺の事を覚えていたとしたら……。

 その推測が、もうひとつの不安を大きくした。


 彼女は、俺が勇者の息子だって知っている。

 もし、彼女がこの世界に戻った後、誰かにその事を話していたとしたら。

 俺の名前を聞いた誰かが、勇者の再来とかなんとか言って、担ぎ上げられる可能性も増すんじゃないだろうか?


 考え過ぎかもしれないけど、そうなったら正直怖いな……。

 両親に鍛えてもらったとはいえ、急に邪神やらと戦えなんて言われても、そんな勇気を持てるわけないし、実戦経験だって皆無。

 それでなくても、当時の戦いを経験した当事者の二人にすら、勇者になんてなるなって止められてる訳だし……。


「あの……」


 物思いにふけっていると、急にエスティって子の声を耳にし、俺ははっとして彼女を見た。

 うつむき加減のまま、上目遣いでおずおずとこっちを見つめてきたんだけど、瞬間、俺は思わず固まってしまう。


 ……か、可愛い……。

 そんな彼女を見て内心ドギマギしながら、


「えっと、どうかした?」


 と、少し上ずった声で返すので精一杯。

 って、これじゃ結局俺、不審者っぽいじゃないかよ……。

 正直、やっちゃったかと思っていたけれど、彼女はそこに触れてはこず、代わりにこんなお願いをしてきた。


「う、うん。あの……この子、撫でてみてもいいかな?」

「え?」


 俺は思わずこっちを向いたミャウと、顔を見合わせる。

 こいつも流石に戸惑いを見せているけど……。


「えっと、お前は構わないか?」


 俺がそう尋ねてみると、ミャウはこくりと頷いてくれた。


「いいみたい。ただ、優しく撫でてあげてくれる?」

「うん。ありがとう」


 エスティさんは少し嬉しそうな顔をすると、


「じゃ、触るね」


 と優しく声を掛けた後、ゆっくりとミャウの白い毛を撫で始めた。


「うわぁ……。ふっさふさ……」


 その滑らかな手触りに、彼女が驚いた顔をすると、ふふんとミャウも自慢げな顔をしながら、彼女に身を任せ撫でられたままでいる。

 へー。世界が変わっても、やっぱり猫は癒やしの存在なんだな。


 その光景を微笑ましく見ていると、ミャウを撫でながら、エスティさんが話しかけてきた。


「デルタから聞いたんだけど。この子はあなたが探していた猫だって、本当?」

「え? あ、うん。そうだけど」

「そうなんだ。その……この子も、異世界から来たの?」

「う、うん」


 探り探り。そんな感じを受ける質問の仕方に、俺はどう返せばいいかわからず、当たり障りのない返事をしてしまう。


 何かを聞きたそうなその感じ。折角くれたきっかけだったんだし、色々と話してみる事も出来たと思う。

 だけど、昨日の件の負い目と、俺の女子との会話経験のなさ。そして、勇者の息子である事が知られるかもしれないことへの不安から、結局まともに返す事もできない。


 ……ったく。

 こんなんじゃ、この世界で生きていけるかも怪しいだろ。

 とはいえ、俺は元の世界に帰るにしても、それまで何とかミャウと平穏に暮らしたいだけだし……。


 何とも煮え切らない自分の心に呆れていると。


「どうしてあなたは、異世界からこの世界にやって来たの?」


 ぽつりと、エスティさんが俺を見ながらそう問いかけてきた。

 あれ? 昨日はあれだけ否定してたのに。

 何か心変わりでもあったんだろうか?

 そんな淡い期待を胸に、俺は可能な範囲で話してみる事にした。


「えっと、来たくて来たって訳じゃなくって。何か、勝手に導かれたっていうか、巻き込まれたっていうか。とにかく、意図せずこの世界に来ちゃっただけなんだ」

「じゃあ、私の部屋に現れたのも、本当に偶然なの?」

「う、うん。その。俺も君の部屋に転移させられるなんて思ってなくって。だからその……ごめん」


 俺がぺこっと頭を下げると、彼女は小さく笑うと首を横に振った。


「ううん。私の方こそごめんね。ちゃんと事情も聞かずに、あなたを変質者って決めつけちゃって」


 え?

 それを聞いた俺は、逆に戸惑いを受けた。

 だって、昨日の今日だろ?

 それなのに、随分あっさりと納得してるみたいだったから。


「え? あの、信じてくれるの?」

「うん」

「どうして?」


 信じて欲しかったのは確か。

 だけど、あまりに突然のことに、思わずそう聞き返してしまう。

 そんな俺の狼狽うろたえっぷりが面白かったのか。彼女はミャウを撫でながら、くすっと笑った。


「この子ね。数日前に強い光と共に、突然中庭に現れたんだって。でね、デルタが警戒するこの子をなだめて何とか捕らえたんだけど、その子は私達に全然懐こうとしなくって、ずっと警戒した顔をしてたの。でも、あなたにはちゃんと懐いてて、こうやって安心した顔をしてるでしょ? だからきっと、あなたが本当の飼い主なんだって納得できたから」


 そう語る彼女の穏やかな顔には、俺を責めるような雰囲気なんて微塵もなくって。

 そんなエスティさんを見ながら、何とか信じてもらわないとって、焦りや不安を覚えていた俺の気持ちも、少しずつ落ち着いていく。


 ……少しは、この状況に光明が射したんだろうか?

 その答えは分からないけど、何となく俺は、エスティさんの誤解が解けたかもしれない事に安堵していた。


 未だゆっくりと、優しくミャウを撫でる彼女がふと、じっと真剣な目をすると。


「……あのね。もしかして、あなたって──」


 そう小さく呟いたんだけど。

 その言葉に釘を刺すように、馬のいななきと共に馬車が止まったんだ。

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