第六話:母の面影
エスティさんが何を言いかけたのか。正直凄く気になった。
だけど、馬車が止まってすぐ。カチャっと扉が開くと、そこからデルタさんが顔を出した事で、尋ね返す機会を完全に逸してしまう。
「お嬢様、到着致しました。青年。その猫と共に、先に出てもらってもよいかな?」
「あ、はい」
俺がデルタさんにそう返すと、少しだけ名残惜しそうに、エスティさんはミャウからそっと手を引っ込める。
「ありがとう」
「こっちこそ。また後で撫でてもらおう。な?」
俺がミャウにそう声をかけると、顔を上げたあいつは嬉しそうに笑った後、柔らかい身体で器用に馬車の中で反対向きになり、すっと馬車を降りていく。
それに続いて俺も馬車を降りると、最後にエスティさんがデルタさんの差し出した手を取り、ゆっくりと降りてきた。
馬車が止まった場所。
そこは何処かの屋敷のエントランス前。
っていうか、目の前に立つ建物は、異世界に居ながらも、絶対貴族とかが住んでるだろって分かる
周囲に建物が見えるとはいえ、敷地もかなり広いし、こりゃ相当な大物が住んでるんだろう、って思ってたんだけど。
「お帰りなさいませ。お嬢様」
なんて、玄関脇に整列していたメイドさん達が頭を下げたのを見て、ここがエスティさんの家だって理解した。
しっかし……初めて生でメイドさんを見たのもあるんだけど、このザ・お金持ちって感じの雰囲気を体感する事になるなんて、思ってもみなかったな……。
その光景に圧倒されていると。
「デルタ。彼の手枷を外してあげて」
と、エスティさんがデルタさんにそう願い出てくれた。
だけどその申し出は、頭を下げた彼に拒まれた。
「申し訳ございません。奥様の指示にございますので。許可が下りるまで、もう暫くご辛抱いただきたく」
その言葉を聞き、エスティさんは少し不満そうな顔をしたけど、流石にこの家の主人に対し、意を唱えるわけにもいかないんだろう。
「じゃあ、すぐお
「承知しました。こちらへどうぞ」
すっと歩き出すデルタさん。それに続くエスティさんに続き、俺とミャウも屋敷へと入って行った。
エントランスに入った直後。すぐに目に飛び込んでくる豪華なシャンデリアや絵画、彫刻類。
内装もそれらに負けず劣らず豪華。
勿論こんな豪華な芸術品とか、博物館やテレビの西洋の城特集なんかで見たくらいだな……。
絢爛豪華な内装の圧巻っぷりに、俺もミャウもきょろきょろとしてしまう。
前を行く二人は特段動じる気配もなく、姿勢を正したまますたすたと歩いて行く。
やっぱり、この場所に慣れているんだろうな。
……って、あれ?
そういやデルタさんって女子寮の衛兵のはずだけど、なんかここまでのエスコートが手慣れ過ぎてないか?
それに、ここの屋敷の主人を奥様なんて呼んでたけど。元々この屋敷の執事でもしてたんだろうか?
煌びやかな廊下を歩きながら、ぼんやりとそんな事を考えていると、前を歩く二人が、一際豪華な扉の前で歩みを止めた。
コンコンコン
「はい」
デルタさんが扉をノックすると、何処か落ち着いた、年配の女性らしき声が耳に届く。
「デルタにございます。お嬢様と、昨晩お話しした青年をお連れしました」
「ご苦労様。中に通して頂戴」
「承知しました」
落ち着いたやり取りの後、デルタさんが扉を開けると、廊下側の扉の横にすっと逸れる。
「どうぞ」
「ありがとう。失礼致します」
短く返したエスティさんは、そのまま部屋の中に入り、右手に消えていく。
俺達も続いていいのか?
思わずミャウと顔を見合わせていると。
「お二方もどうぞ、中にお入りください」
今までにない丁寧な口調で、デルタさんは俺達を促した。
この先にどんな人がいるだろうか?
貴族っていうと、とにかく高圧的とか堅苦しいとか、そういうイメージだけど……。
ごくりと生唾を飲み込む。
けど、ここで足踏みしてなんていられない。
「行くぞ」
俺の言葉に頷いたミャウに頷き返すと、
「失礼します」
そう挨拶した後、部屋の中に足を踏み入れた。
そこは、想像していたよりも狭い部屋。
書斎というか、執務室というか。いい例えが浮かばないけど、イメージ的には少し広い校長室って感じだろうか。
勿論、その豪華さはまったく比較にならないけど。
部屋の奥にある机の脇にある窓から、外を見ている女性の姿。
水色に近い澄んだ長い髪は、後ろに綺麗に纏められている。背後からでも見えるあの耳。つまり、この人も
横顔は長い耳元の髪のせいでちょっとわからない。
服装は貴婦人のようなドレスではなく、白を基調とした落ち着いた衣服。どちらかといえば、司祭とかが着てそうな感じにも見える。
俺とミャウが部屋に入ったのを確認したのか。背後で静かに扉の閉まる音がした。
「おはようございます。お
「おはよう、エスティナ。わざわざお休みの早朝に呼び出してごめんなさい」
「いえ」
エスティナ。
その名前を耳にして、俺は内心驚いた。
いや、確かに驚きはしたんだけど……。
その名前を聞いた以上に、こちらを向き直った女性を見た瞬間、心臓が止まる思いがした。
そこに立つ女性の凛とした顔立ち。
髪型や色も違うし、年齢も違うはず。
でも、そこにはっきりと感じたんだ。母さんの面影を。
母さんが歳をとったらきっとこうなる。
そう思わせるほどにそっくりな女性。
……確か、母さんが前に言ってた気がする。
この世界に残った妹がいたって。
名前までは聞かなかったけど、もしかしてこの人が母さんの妹さんなのか?
でも、その割には随分と歳を取っているように見える。
って事は、他人の空似?
それとも、異世界は向こうと同じ時間軸で進んでない?
色々と考えるものの、結局混乱に拍車をかけるだけ。
そして、俺の気持ちの整理がつくのを、目の前の人は待ってはくれなかった。
彼女は顔をエスティナからこっちに向けると、値踏みするように俺をじっと見る。
「……初めまして。私はエリス。ミレニアード魔導学園の校長をしている者です」
「あ、その。初めまして」
エリスさんは丁寧に挨拶をしてくれたけれど、俺はまるでお茶を濁すような挨拶だけを返した。
相手が名前を名乗っておきながら、自分が名乗らないってのは決して褒められた応対じゃないのは分かってる。
だけど、父さんはこうも言っていた。
──「異世界に飛ばされても、信用できる相手以外に本名や生い立ちを語るなよ。相手が俺やエリナの事を知っているかもしれないし、お前だって昔、あっちの世界の子と知り合ってる。そこから俺達やお前が誰かに知られている可能性もあるんだからな」
勿論、エスティナが俺達の話をどこまでしてるかなんて分からない。
でも、エリスさんが母さんの妹だとすれば、彼女もまた当時の勇者や賢者だった二人を知っているはず。
つまり、こっちが名乗った瞬間、俺が勇者の息子だって知られる可能性もあるんだ。
だからこそ、俺は今、この会話に恐ろしく慎重になっていた。
それが良い方に転べばいいけど、そうならない可能性も十分あるんだから。
「お
俺の脇に立つエスティナの申し出に、エリスさんが彼女に視線を向ける。
「よいのですか?
「はい。馬車の中で、その誤解は解けましたから」
問い掛けにはっきりと答えたエスティナを見て、エリスさんは少しだけ俺を見た後、そのまま俺達の後ろに目を向ける。
「……デルタ。お願いします」
「承知しました。青年。よろしいかな?」
「はい」
指示に従い俺の脇にやってきたデルタさんは、差し出した両腕から手枷を外すと、また後ろに下がって行った。
「さて。デルタから話は聞いています。
落ち着いた、だけど鋭さと冷たさを感じる問いかけに、俺は「はい」とだけ返す。
「エスティナの話では、
その質問には、すぐに返事をしなかった。
彼女がその話は聞いているのは想定内。
そして、同時にここが、俺の異世界生活の分岐点だとも感じていたから。
流石にこれに「いいえ」なんて答えれば、犯罪者として牢獄行きだろう。
でも「はい」と答えれば、次に聞かれるであろう質問はわかりきっている。
俺が異世界から来た証明をして欲しい。
それは至極当たり前だ。
証拠がなければ異世界から来たって話を、納得できるはずないんだから。
勇者と賢者だった両親の話をしたり、エスティナが俺の世界に迷い込んだ話をするなんて手もある。
なんなら、それ相応の技や魔法を見せるって手もあるし、証明するだけなら難しくない。
でもそれは、俺の想い──勇者の息子である事を知られたくないって想いに反する証明の仕方でもある。
じゃあ、俺が
俺の学ランの上着の裏ポケットに入っているスマートフォン。
こんな物はこの世界にはないからこそ、それは異世界から来た証明になる。
けどその場合、素性を知られない為に、名前を偽らないといけないんだよな。
急に偽名を使ってごまかし続けられるのかって言われたら、きっと俺はボロを出すに決まってる。
そんな器用な事ができるなら、女子寮の時点でもっとうまく乗り切れたと思うし。
……語るべきは、嘘か。真実か。
俺は目を閉じると、緊張感を吐き捨てるため、ふぅっと息を
相変わらず落ち着いた目でこちらを見ているエリスさん。
隣にいるエスティナは、どこか緊張した面持ちでこちらの様子を伺っている。
そんな二人を前に、俺は覚悟を決めると、こう言葉を返したんだ。
「……答える前に、ひとつ、お願いがあります」
って。
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