自走する言語機械
坂本忠恆
近況ノート 2030年4月1日
どうやって暇をつぶすか、ということに処世術の全てがかかっているだなんて、そんな達観した態度はボクには取れないよ。
でも、確かに退屈は嫌だなあ。例えば、これからボクが死ぬまで、ほんとうに、ほんとうに何も起こらないのだとして、つまり、ひとりのお見舞いもないような病室みたいなところに閉じ込められるのだとして、もしそうだとしたら、ボクは気が狂れて自殺でもなんでもしてしまうだろうね。
その点、今の世の中は、暇つぶしには事欠かない。ほんとうに、これにばっかりは、事欠かない。科学万歳だ。
科学の進歩には問題がつきものだと大人は言うけれど、例えば拡張現実世界での土地利権問題だとかなんだとかに、ボクは興味ないよ。昨日、ボクの家の壁に、ポルノサイトの電子広告が貼られていたと言って、お母さんはひどく怒っていたけれど、そんなもの気にしたって仕方がないじゃないか。こういった時代に生きているんだ、気にしたら負けだよ。
でも、退屈するよりは、怒っていた方が何倍も気が晴れるかもしれないね。
ボクのクラスメイトは、最近自然言語処理と画像生成のAIが自動生成する恋愛アドベンチャーゲームに夢中なんだ。ボクも誘われたけど、あれはちょっと怖いな。ボクからしたら、本当に単純な仕組みなんだけれど、男子も女子も、みんなあれに夢中なんだ。自動で作られたキャラクターにはいくつかの性格パラメータが振られていて、ストーリー進行にもいくつかのパラメータ(つまり、どんなジャンルのお話なのか、どんな終わり方ならそれはハッピーなのか、それともアンハッピーなのかというパラメータ)が振られていて、そう言ったところにだけはある種の制約があるのだけれど、プレイヤーは全く気にならない。むしろ、その微妙な制約がより強い物語への訴求につながっている。それなのに、みんながみんな、まるで人生そのものみたいに自由にゲームをプレイしていると思って、一喜一憂している。
でも、みんなが正しいんだ。怖がる理由なんてどこにあるんだろう。
この「怖い」に、意味を探そうと思っても、ボクはずっとずっとみんなから離れてしまうだけで、そのほうが、もっと、もっと、怖いじゃないか。
ボクみたいに怖がることを、大人は人間らしさの証だというけれど、本当にそうかな? 人の心が科学に追いつかずにズレていってしまっているだなんて、ボクには信じられない。なんでかって、ボクにはクラスのみんなの方が、ボクよりよっぽど人間らしさに忠実だし、ボクよりよっぽど世界に順応しているからだ。
なんだか、歯車がうまくかみ合わないね。
だから、きっとボクが、ただ弱いだけなんだ。
今は、そう思うことにするよ。
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