6
「おまえ……」
呻く隆介の声がする。そうだよ。見たよ。見たくもない写真を見せられた。あなたはまだ彼女のことが忘れられないんだ。ユキナも言っていた。隆介は頭の回転が速い。私の気持ちに気づかないはずがない。不安で潰されそうな今の私を、わからないなんて言わせない。
チェストに辿り着く。初めて見た、私の知らない隆介が収まる写真立て。
隣で微笑んでいるのは――
写真立てを掴み、床に向かって投げつけようとしたところで隆介に止められた。手首を掴まれ、暴れる私を抑えつけてくる。どれだけやめろとくり返されたってやめたくない。こんなものがある限り、私の心に平穏なんて訪れない。元々そんなものなかったけど。
はたと気づいて動きを止める。写真立ては手にしたまま、床にへたりこんだ。隆介は私を警戒しながらも、手首を抑えつける力を少し緩めてくれたのがわかった。
そうだ。そんなものなかった。そもそもは私がいけなかった。
スマートフォンが鳴る。電話だ。ゆらりと鞄へ向いて、のろのろと腕を伸ばす。まるで異質なモノを見るかのような視線を感じた。わかっている。隆介だ。彼にとって私はまさに異質で、理解不能で、厄介な恋人なのだろう。
発信元を見ると、『ユキナ』の文字があった。隆介が未だ訝し気に私を見つめている。彼の手を確認してみる。さっきまでべっとりとついていた血はなくなっていた。二人そろって幻覚を見たのだろうか。匂いまで嗅いで? 隆介なんて、舐めていた。そんなことありえない。あれは現実だった。あれは……考えがまとまりそうでまとまらない。
着信音は鳴りやまない。私は通話をタップした。
「ユキナさ――」
『芳野さん? ごめんねこんな時間に。今大丈夫です?』
ユキナの言葉に隆介を見た。大丈夫かと問われたら、大丈夫じゃない。隆介の部屋でもわけのわからない現象に襲われ、直後に彼が帰宅して、私の耳に血がついていて、彼もそれを見て、舐めて、写真が――ああ、なんだっけ。そう。あれ。あれは――
『芳野さん? マジで大丈夫なの?』
「……わかんないです」
答える唇が歪に笑う。
大翔は逃げることが出来た。本人は本当に終わったのかわからないといった風だったけど、大翔はもう逃げ切っている。くり返されるブックマークはただの名残だ。あれはいつだって影から見ている。いつでもこちらへ戻っておいでというように。
紗和は過去として話せるほどには、被害はないようだった。ひっかかる場面はいくつかあるけど、私に憐憫の目を向けていた。憐憫の目。憐憫、の……
「……やっぱりそうなの?」
ゆっくりと、隆介を見る。電話の向こうでユキナが何か言っている。だけどもう聞こえない。スマートフォンが私の手から落ちて、鈍い音がした。ケースが頑丈なのか、割れる音はしない。代わりにユキナの声がする。でももう、聞こえない。頭が痛い。割れそうだ。
隆介と目が合う。大好きな人。焦がれて焦がれて、欲しくて欲しくて、やっと手に入れた人の瞳が――恐怖に歪む。なにが、と言いかけているのは理解する。でもきっと、隆介だってわかっている。そうでなきゃこんな仕打ちはできないはずだ。
手に持った写真立てに目を遣る。私が隆介と同じ会社に入社する前に撮られたもの。今より若いスーツを着た隆介。遠慮がちに並ぶ女性は、細く長い髪を肩まで伸ばし、その下には意志の強そうな切れ長の瞳があって、パンツスーツがよく似合っていて、私なんかよりよっぽど大人な考えの、それなのに恋人に浮気されて振られた――紗和だ。
この人から私は、隆介を奪った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます