3
助けて。助けてよ隆介。
自分の都合のいいときだけ呼び出して、私が欲している時には振り向いてくれない。純粋な上司だった頃はあんなに優しい人だったのに、いつからこうなってしまったのか。先に惚れた方が負けというのは本当だ。そもそもの愛情のバランスが違う。私が与えてばかりで、重くて、感情のシーソーが釣り合っていない。
紗和の声が過ぎる。
『彼――櫻木にとっては、私は最後まで我儘な女だったんでしょうね。我儘を一切言わないという我儘な女』
彼女のように自立した女性を、私は同じ女として尊敬する。紗和は本当の意味で、恋人を必要とする場面が少なかった。連絡がこなくても気にならない。紗和自身も忙しいからだ。弱みも寂しいとも言わない。同じ忙しい社会人として、自分が言われたら困ると思ったからだ。相手を慮ることのできるいい女だと思う。なのに結局、紗和は浮気される結果となった。
なら、私は?
紗和のように本当の意味で自立しているわけでもないのに、すべてを我慢して隆介に嫌われないように努めているだけ。素直に寂しいと言えないくせに、頭の中は隆介への不満でいっぱいで仕事に集中することも出来ない。中途半端な人間だ。夜な夜な黒い感情を吐きだすことで精神を落ち着かせようとしている、どうしようもない人間。
『お風呂が沸きました』
聞き慣れた音が――声が流れてくる。
ヴンヴンンン、ン、ンン
電子音は続いている。近くから聞こえる気もするし、遠くからな気もする。スマートフォンの通知音とは全然違う。隆介はこの部屋に固定電話をひいていない。だからそれも違う。何が何だかわからない。落ち着こう、落ち着かないと。左胸を掴む手をどうにかして引き剥がし、どうにか立ちあがろうとするが、四つんばいの状態から動けない。腰が抜けてしまったようだ。隆介。隆介、助けて。
瞬間、パッと照明が落ちた。停電? 違う。わずかに見える風呂のスイッチは入ったままだ。カーテン越しに入る街灯の光が如実に物語っている。ここだけ。ここだけが今、真っ暗な世界になった。だめだ。早く息をして。深く息を吸って、隆介のにおいに包まれたら――
――ハァ。
耳元に生ぬるいものが当たった。
あれだ。あれが、来た。
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