3
『リビングにあるデスクトップが立ちあがったんです』
脳裏に紗和の声が蘇った。
同時に、視線の先のノートパソコンの画面が白く光る。
『触るとか触ってないとかの話じゃないですよ』
また、紗和の声が、する。
でも違う。紗和の時とは違う。だって、彼女は電気が点かなかったと言っていた。私の部屋は煌々とした灯りに照らされている。怖いはずがない。明るい部屋で、閉じておいたはずのノートパソコンが開いていて、勝手に起動したくらいなんだというのだ。違う。紗和の時とは、絶対に違う。誤作動かもしれない。
息を殺して、そっと足を動かした――動いた。ちゃんと動いた。紗和は動けなくなったと言っていた。やっぱり違う。
前へ、パソコンデスクへ近づこうとする私の意志とは真逆に、足が動いた。後ずさっている。どうして。わからない。確かめてやろうと思っているはずなのに、全身が拒否している。あれに近づいてはいけない。本能と言ってもいい。さっきまで聞こえていたはずの、外からの車の走行音が全く聞こえなくなった。耳までおかしくなったのだろうか。ドクドクという、自分の心臓の音しか聞こえない。うるさくて、他の音が何も聞こえない。
離れよう。このまま外へ出て玄関の鍵をかけ、隆介のマンションに行くのもいいかもしれない。快く迎えてはくれないだろうが、この部屋でひと晩過ごすよりずっとマシだ。早く家を出よう。
頭ではそう考えているのに、三歩後ずさったら動けなくなってしまった。
立ちあがったノートパソコンの画面に現れた壁紙。元は自分で撮った海外の風景写真を設定している。それが、勝手に、変わっていく。画面中央から渦が巻かれていく。吸い込まれるように壁紙が消えていく。
『目だけはデスクトップの画面から離れてくれない。見なきゃいいのに、視線すら自分の意志で動けなくなりました』
紗和の声がやんでくれない。
額から伝った汗が、顎から滴った。こんなに寒いのに汗をかいている。今は特に空調を必要としない、過ごしやすい時期のはずだ。それなのに、寒い。背筋から凍っていくような寒さを感じている。でも、汗が止まらない。次に何が起きるのか、私は知っている。
『そして、設定した覚えのない壁紙が現れたんです』
風景写真が消え、真っ黒な画面が現れた。室内が反射され、ソファやテレビが映っている。なんだやっぱり誤作動とか壊れたとかじゃないの、と、頭の隅で微かな希望が囁いた。
しかし、すぐに絶望に変わる。映りこんだソファやテレビが、私のものじゃない。――いや、私のものなのだろう。でも、違う。が、画面の中のソファはボロボロに破れ、テレビにヒビが入っている。あれは、私のものであって、私のものではない。
――ハァ。
大きな息が耳元に当たる。振り返ることができない。首も動かない。私の意識はすべて、ノートパソコンへ向かっている。まるでそれ以外許されていないかのように。
ブイイン、と濁った音がした。
ようやく瞬きをして――そして、見た。
大翔が言っていた。
『あれは目だった。人間の』
紗和が言っていた。
『最初は猫の目かと思ったけど、絶対違う。あれは人間の目です。イラストじゃない。本物の眼球に見えました』
その瞳が、ぎょろりと動いた。瞼のない眼球は暗闇に浮いているように自由に動き、瞼がないはずなのに目を細めたように見えた。
ひっ、と喉の奥で音がする。それが自分のものだと思った瞬間、私は意識を手放した。
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