カーテンの隙間から入ってくる光に、朝が来たことを知る。

 もう何日こんな風に夜を過ごしただろう。

 背筋を伸ばして伸びをしてから、ゆっくりと立ちあがる。一晩中座っていた足腰が悲鳴を上げることにも慣れた。カーテンを開けると痛いくらいの日差しが目を刺す。ベッドで眠っていた頃は気持ちよく感じていた鳥の囀りは、今や苛立ちの原因でしかない。

 そのまま身体を引きずるようにして洗面所に向かう。顔を洗う時にあれを感じる。昨夜隅に蠢いていた(ように思った)気配は、朝という時間と窓を開けたことによる清々しい空気のせいか全てなくなっていた。

 泡だらけになった顔を水で洗い流す。その隙間を縫って、肩越しに、いる。

 ハァと小さな――いや。昨夜よりも大きくなった気がする、ため息。

 荒くはない。本当に小さな、耳をそばだてないと聞き逃してしまうほどの息。

 はたと気づく。

 そんなに小さなため息なのに、どうしてこんなにも気になるのか。どうしてこんなに耳に入ってくるのか。物音を立てれば消えてしまうほどのものなのに、歯磨きをしていても、顔を洗っていても、すぐそばから聞こえてくる。

 どうして。

 ――その時、部屋に着信音が響いた。

 急いでリビングに向かい、ローテーブルに置いてあったスマホを見る。登録していない番号だった。羅列された数字に覚えがない。間違い電話か迷惑電話か。登録外の番号からの電話は基本受け取りたくない私は、しばらく見つめたままでいた。

 それでも切れる気配がない。諦めて電話に出た。

「……はい」

『朝早くに失礼します。芳野さんの携帯ですか』

「はい」

 機械越しで印象が少し変わるが、昨日聞いたばかりの女性の声だった。

「……紗和さんですか?」

『ええ、そうです』

 何を今さら、という声が聞こえたような気がして、私は理由を話す。

「ご自分の携帯ではないんですね。出るのが遅れてすみません、どなたかわからなかったので」

『え? ……あ、ごめんなさい。これプライベートじゃなくて会社用だった』

「いえ、大丈夫なんですけど……何かありましたか」

『あったっていうか、思い出したんですけど』

「なんでしょう」

 小さく息を吸い込む気配がする。これはあれじゃなく、紗和のものだ。

『あれの気配を感じたことがあるって言ってた子がいたんです』

「えっ」

『すみません、昨日は自分の話をすることに夢中になっちゃって……芳野さんにお会いするまでは教えなきゃって思ってたんですけど』

紗和の背後から忙しない空気が伝わる。時計を見ると、九時を過ぎていた。会社用の携帯だと言っていたし、すでに出社しているのかもしれない。

「思い出してくださっただけで充分です」

『今もまだ続いてるかは聞いてないんですけど、それでもいいですか?』

「ええ。充分です」

 言葉を重ねて、協力を頼む。

 ほかにも経験者がいた。渦中から逃れた人の話も参考にはなるが、今の紗和のようにしょせん他人事になってしまうだろう。憐憫と同情の目を向けられることになる。

もしもその子が現在進行形ならば願ってもない。

ひとりを追うわけではないとわかれば、どうにかしようがあるかもしれない。共通点がハッキリすれば、どこか現実的ではない今の状況を解決しようと本腰を入れることができるかもしれない。

「それで、どんな子ですか」

『まだ中学生の男の子です。アカウント名をお送りします』



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