第38話 私たちの家へ

「オイ、見ろよ。えらく上玉な女がいるぞ」


 むさ苦しい男ばかりが集うハンターギルドの中で、その女の姿は場違いすぎて嫌でも目に入ってしまった。

 ふんわりと波打つ金色の髪は艶やかで、今まで汗や泥にまみれたことがないのだろう。後ろ姿で、かつマントを羽織っているから服装まではわからないが、そのマントでさえ一目で良い品だとわかるほどだ。

 いいところの令嬢なのだろう。そんな女が魔物退治を専門とするギルドに一体何の用なのか。併設する酒場にいた男たちは、揃いも揃って女の様子を目で追っている。


「やめとけ。あれはたぶん、ロウンズの娘だ」

「ロウンズって……セドリックの娘か? ずいぶんと綺麗になったじゃねぇか」

「お前、間違っても口説こうとか思うなよ。死ぬぞ?」

「んだよ、大げさだな。屋敷が魔物だらけだってだけだろ? ハンターなら魔物には慣れてるし、別に今更そんなもん怖くねぇよ」


 ロウンズ邸には魔物が棲んでいる。

 そう噂されるようになったのは、今から一ヶ月ほど前のことだった。行方知れずだった当主セドリックが戻ってきたとの話を聞きつけ、それまで滞っていた魔法具の依頼が殺到したのだ。街の魔法具店の店主や、直接依頼に来たハンターたちは、そこで働く魔物たちの姿を見て腰を抜かすほどに驚いたという。中には失神する者もいたとかいないとか。

 けれどそれは魔物に慣れていない一般人や初心者のハンターたちだからだろう。噂によれば居着いているのはマンドラゴラとスケルトン、そしてウィル・オ・ザ・ウィスプだと聞く。熟練のハンターからすればどれも下位の魔物で恐れるほどでもない。むしろそんな魔物と暮らすくらい肝の据わった女のほうに、興味が湧いた。


「ちょっと話してくる」

「馬鹿、やめろ」

「ぐずぐずしてると他の奴らに取られちまうだろ。見ろよ、あいつもあいつも、あっちの奴も狙ってる。こういうもんは早い者勝ち……っ!?」


 男が席から立とうとした瞬間、まるで一気に冬が訪れたのかと思うほどに酒場の空気が凍り付いた。いや、凍り付いたのは空気ではなく男だ。立ち上がりかけた姿勢のまま、金縛りに遭ったかのように男が硬直していた。

 額からは冷や汗が噴き出しており、右手に握ったままのジョッキはガタガタと派手な音を立てて震えている。あまりに大きく震えるものだから、残っていた酒がテーブルの上に飛び散った。


「おい……どうした?」

「……ヤベェ奴がいる」


 震える男が視線を向けた先、カウンターで受付嬢と話をしている金髪の女のすぐそばに、夜を纏ったような漆黒の男が立っている。執事服に身を包んでいるから、女の連れなのだろう。

 こちらに背を向けて立っているだけなのに、執事の全身から溢れる殺気が強烈すぎて、酒場の空気がひんやりと温度を下げる。どうやら殺気に当てられたのは、女に気を取られていた者たちばかりのようだった。


「だから言ったろ。あの執事がいる限り、ロウンズの娘には近付けないんだよ。諦めろ」

「何だよ、あの執事。えげつねぇ……。ロウンズ邸の中で、あいつが一番の魔物なんじゃねぇか?」

「確かにそうかもな」


 女と執事が用事を終えて出て行くと、ギルド内の空気はやっと緊張から解き放たれて、普段通りの賑やかさを取り戻していった。



 ***



「何だか、いつもよりギルドの人たち静かだったわね」

「そうですか? 私にはいつも通りに感じましたが」


 ギルドを出て歩き出すと、すぐにノクスがアリシアの手から袋を受け取った。さっきギルドの受付嬢から買い取ったものだ。

 ハンターたちが魔物討伐の際に集めた魔晶石は、ギルドでも換金できる。そうして集まった魔晶石を、時々こうして買い取っているのだ。

 今日アリシアは、セドリックの使いでギルドを訪れていた。一人でも大丈夫だと言ったのに、ノクスは毎回アリシアに同行する。忙しい合間にこうやって付き合ってくれるノクスに申し訳ないと思いつつ、それでもアリシアの心には喜びの気持ちが大きく膨らんだ。

 屋敷までの数十分。たまにウインドウショッピングをしながら、二人並んでゆっくりと街を歩いていく。何だかデートみたいで、胸の奥がくすぐったい。


「あ、あそこにいるのってメアリーたちじゃない?」


 少し先の雑貨屋の店先に、メイド服を着たメアリーの姿があった。今ではフードで頭蓋骨を隠すこともなく、白昼堂々と買い物を任せられるくらい彼女の姿は街に浸透している。雑貨屋にはアリシアと共に何度か訪れているので、店主はもうメアリーたちの姿に驚くことはない。それでも一応は、「ロウンズ邸のメイド」と書かれたカードを首から提げてもらっているのだが。


「お姉ちゃーん!」


 にこにこと炎を揺らすウィルが元気良く飛びついてきた。泣き虫だったウィルは、異界での経験を経て少しだけ強くなったようだ。口調もずいぶんとしっかりしてきて、ノクスと話す時も以前のように怯えた感じはない。


「メアリーと一緒に買い物に来てたの?」

「うん。いつもの紅茶と、ジャムと、石けん! あとクッキーとお野菜とお肉と香辛料とバターとミルクとフライパンも買ったよ!」

「待って、待って!? 大荷物じゃないの!」

「シンパイ、ナイ。ワタシ、チカラモチ!」


 そう言ったメアリーの両腕には、既に大量の荷物が提げられていた。もはや見慣れた光景ではあるが、やっぱり腕の骨が折れないかアリシアは毎回どきどきしている。


「まだマタタビを買っておらんぞ! 一番大事なブツじゃろうが!」


 シャーッと尻尾を立ててそう叫んだのは黒猫のケット・シーだ。メアリーの足元から軽やかに飛び出してきたケット・シーの背中には、なぜかレオナルドが跨がっている。中級クラスの魔物であるケット・シーがおとなしくレオナルドを乗せていることに驚きはしたが、二人が能力の差なく仲良くしている姿は微笑ましいし、喜ばしいことだ。


「少し落ち着いてください、ケット・シー。心配せずとも、あなたの大好きなマタタビは今からちゃんと買いに行きますよ。だからヨダレを垂らすのはおやめなさい」

「垂らしとらんわっ! そもそも王の背中に断りもなく乗るとは、不届き者め! 死罪は免れんぞ! 降りろっ、草が!」

「草とはあんまり……アッ! 急に走ら……なァァァァーッ!? 誰か、とめてぇぇぇぇっ!!」


 仲良くなったと思ったのは気のせいだったのか。レオナルドを背中に乗せたまま、ケット・シーが猛スピードで走り出した。


「レオナルドさん!」

「マタタビ、ソッチ、チガウ!」


 ケット・シーを追って、メアリーとウィルも駆け出していく。騒がしい仲間たちはあっという間に街の喧騒に消えてしまい、雑貨屋の前にはアリシアとノクスだけが取り残されてしまった。


「彼らは相変わらずですね」

「仲がいいのは、間違いないんじゃない?」

「非常に希有な存在であることは認めますが」

「でも……ノクスも、みんなのこと大好きでしょ」


 アリシアが顔を覗き込むと、ノクスは眉間に皺を寄せてなんとも言えない表情を浮かべていた。それがノクスの照れ隠しであることを、アリシアはもう知っている。なぜなら眼鏡の奥のネイビーブルーが、ひどくやわらかい光に満ちているから。


「ノクス」


 名前を呼んで、アリシアはそっとノクスの手に触れた。少しためらいがちに手を握りしめると、ノクスのほうから指を絡めてくる。

 それがうれしくて、恥ずかしくて。だらしなく緩む顔を見られたくなくて、視線を足元へ落とした。


「……私も、大好きよ」


 消え入りそうな声で呟くと、指を絡めた手をキュッと強く握られた。


「存じておりますよ」


 言葉は硬く、けれど響く声音はこれ以上ないくらいにあまやかにアリシアの鼓膜をくすぐっていく。


「帰りましょう、ノクス。私たちの家へ」


 まるでステップでも踏むかのように、帰路につく足取りは軽い。重なる二人の足音にこれ以上ないくらいの幸せを感じながら、アリシアはノクスの手を引いてロウンズ邸へ帰って行く。


 繋いだ手は、離さない。

 これからもずっと、二人で歩いていく。

 ノクスと一緒に作る未来は、きっと光あふれるあたたかな世界だ。





 ――――fin.









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◤おてんば令嬢のワケありゴーストハント

~ダンピールの花嫁は毒舌執事に逆らえない~◢


最後までお読みくださり、ありがとうございました!

カクコンに参加している作品ですので、皆さんの感想やフォロー、評価にとても励まされました。おかげで無事に完結を迎えられました。


カクコンの読者選考までもう少し。

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