第6話 そういうところが楽観的だというのです

 魔物退治の報告を終えたアリシアたちは、依頼人夫婦の厚意に甘えて一晩この家に泊まらせてもらうことになった。さすがにそれは申し訳ないと遠慮したのだが、意外にもノクスの方があっさりとこの申し出を受け入れたので、アリシアは彼に続く形で案内された二階へと上がっていった。


「……どうするの、これ」


 そして扉を開けて開口一番そう呟いてしまった。

 元は子供部屋だったのだろうか。そう広くない室内にベッドとソファーがひとつずつ置かれていた。


「頑なに断り続けるのも悪いでしょう。それに私たちを送り届けたあと、彼を一人で帰すのも不安ですしね」


 確かにノクスの言い分もわかる。今から屋敷へ連れ帰ってもらっても、依頼人の男性が再び馬車で戻るとなると、家に辿り着くのは深夜もいいところだ。そんな時間帯に、人気のない道を彼一人で帰すわけにもいかない。別の魔物が現れるかもしれないし、夜行性の獣に襲われる危険性だってある。だから一晩この家に泊まることについて異論はないのだが、問題は部屋がひとつでベッドもひとつというこの現状だ。

 入口で固まったままのアリシアとは逆に、ノクスは少しの動揺もしていないのか、さっさと部屋に入るなり上着を脱ぎ、ネクタイも緩めてくつろぎモードに入っている。首と袖口のボタン、そして眼鏡まで外したところでやっとアリシアを見て怪訝そうに眉をしかめた。


「どうしました?」

「どうしました、じゃないわよ。ベッド……ひとつなんだけど」

「何か問題でも?」

「大ありよ! 一緒のベッドで寝るなんて、そんな」

「昔はお嬢様の方が強引に私のベッドに潜り込んできたと記憶していますが」

「子供と今じゃ、全然違うでしょ!」


 確かに子供の頃は弟ができたみたいで毎日はしゃいでいたし、ノクスの姿が見えれば一緒に遊ぼうとして駆け寄っていた。もちろんベッドに潜り込んだことも覚えている。ノクスは毎回渋い顔をしていたけれど、それでもちゃんとアリシアが寝るスペースを空けて迎え入れてくれたので、本気で嫌がっていたわけではない……と思う。


 けれどそれも昔の話だ。今のアリシアとノクスは、何も知らない子供ではない。年頃の男女が同じベッドで眠る、という状態が何を意味するのかくらいはもう嫌でもわかってしまうのだ。

 もちろんノクスにその気がないことも、他人の家でそんなことにはならないことも、アリシアには十分すぎるほどわかっているのだけれど。

 淡い思いを抱いている相手を前に、緊張しない方が無理だ。


「冗談ですよ」


 なおも直立不動で固まっていると、ふっと淡く笑う気配がした。けれど顔を上げたアリシアが、ノクスの微笑を目にすることはなかった。


「私はソファーで十分です。ベッドはお嬢様がお使いください。同室であることについては我慢していただくほかありませんが」

「同室が嫌だなんて思ってないわ! ちょっと緊張してるだけよ!」

「私相手に緊張する必要はありません。とはいえまったくの無警戒でも困りますが」


 そういうと、ノクスはアリシアに黒水晶のステッキを手渡した。


「身の危険を感じたら、雑草と泣き虫を呼んでください。戦闘力は皆無ですが、いないよりはマシでしょう」

「身の危険って……」

「襲う襲わないの前に、男と同室であるということを忘れないように」


 万が一にもノクスが襲いかかるようなことはないのだが、それでも男と同室である以上、最低限の警戒は怠るな、とそういうことなのだろう。アリシアもノクスが豹変して襲ってくる姿など想像もできない。けれどステッキを受け取る際に指先同士が触れ合うと、アリシアの胸はなぜかキュッとよくわからない感情に軋んでしまった。


「そ、そうだ! ノクス。ウィルだけど、しばらく家で預かってもいいわよね? さっきはうやむやになっちゃったけど」

「もしかしなくとも、ウィル・オ・ザ・ウィスプを略して呼んでいますか?」

「だって長いんだもの。名前はあとから聞くとして……。ね? いいでしょう? まだ子供だし、扉もどこにあるかわからないんじゃ、ウィルはずっと迷子だわ。放っておいたら、またどこかで今回みたいな騒ぎになるかも」


 マンドラゴラのようにそのまま人間界に居着く魔物もいるが、ウィルは異界へ帰りたがっているのだ。まだ子供で、しかも下位の魔物であるために扉も探せず大泣きしているウィルを思えば、たとえ魔物だとしても胸が痛んでしまう。

 それにアリシアたちは、普通の人よりも魔物に多く接する環境にある。幸い屋敷にはセドリックの作った扉探知機の魔法具もあるし、万が一なにか起こっても一般人よりは素早く対処もできるだろう。


「彼らが善良な魔物である保証はどこにもありません。ある日、突然あなたに牙を向ける可能性もあるのですよ。その時あなたは彼らを始末できますか?」

「それは……」

「私は始末しますよ。たとえあなたの目の前であろうと」


 向けられるネイビーブルーの瞳がいつもより凍って見えるのは、眼鏡を外しているからだろうか。まるで天敵に睨まれているかのように、アリシアは息さえ詰まらせて立ち竦んでしまった。

 けれどその張り詰めた空気も瞬きする間に和らいで、ノクスは前髪を雑に掻きむしると肩を落として深く息を吐き落とした。


「その覚悟がお嬢様にあるのなら、私から言うことは何もありません」

「ノクス……! ありがとう!」

「まったく、父娘そろって魔物に甘いのも考えものですね。ましてお嬢様は少々楽観的すぎますし」

「そこまで軽く考えてはいないと思うけど」

「今回の件をきっかけにして魔物退治を継続し、なおかつそのうち上位の魔物に遭遇してセドリック様の情報を得られるとでもお考えなのでしょう?」


 思っていることを見事に言い当てられ、アリシアの肩がびくりと跳ねる。


「心が読めるの!?」

「読めませんが顔に全部出ています」

「なんだ……よかった」

「よくありません。上位の魔物はこちらの常識がまったく通用しない相手です。雑草や泣き虫と同等に考えていると痛い目を見ますよ」

「でも上位の魔物でも、エルフなんかは人に友好的じゃない」

「そういうところが楽観的だというのです。上位種はみな危険だと思うくらいがちょうどいい。なかでも夜の支配者――ヴァンパイアは人も魔物も家畜同然に虐げ、苦しみもがく姿に愉悦を感じる一族です。もし彼らに出会ってしまったのなら、対話などしようと思わず即座に逃げてください」


 ヴァンパイア。

 夜の支配者ともいわれるように、魔物たちの住む異界において最強の地位に君臨し続けている一族だ。彼らはヴァンパイアであることに誇りを持っており、他種族よりも優れた一族であることを自負している。

 実際に彼らの魔力は強大で、異界でもヴァンパイアに敵うものはいない。ゆえに夜の支配者。異界の王とささやかれ、人間のみならず魔物からも恐れられている。


 とはいえプライドの高い彼らが、異界にあるヴァンパイアの領地から出てくることはほとんどない。なぜなら高貴な血統であるヴァンパイアが、弱く醜い他種族と関わることを恥だと思っているからだ。

 吸血行為によって汚れた血を取り込むことさえ嫌がるので、ヴァンパイア領には人工血液で作られた真紅の薔薇が咲き乱れているという。


 ハンター入門書の最後のページには、ラスボス感満載でヴァンパイアの説明が記されている。締めくくりの魔物として選ばれるほど、ヴァンパイアは人間たちからも一番恐れられているのだ。


「もし出会っても、本の通りなら血を吸われることはないんじゃない?」

「ヴァンパイアですから当然吸いますよ」

「え!?」

「ただ吸血行為は彼らにとって屈辱でしかないのです。異界に君臨するはずの一族なのに、その魔力の源は他種族の……主に一番蔑んでいる人間の血なのですから。だから人工血液の薔薇まで作って外面だけは保とうとしている。愚かな一族です」


 いつものように淡々と語っているはずなのに、ノクスの声音にはわずかだが憎悪に近い感情が漏れ出ているようだった。向けられているのはアリシアではないのに、巧みに隠されているはずの強い嫌悪感の残滓が心を深く抉ってくる。

 目の前にいるノクスが、アリシアの知るノクスではないような気がした。


「で……でも、ほら! 異界でも自分の領地から出て来ないって書いてあるし、こっちでもヴァンパイアの被害の話は聞かないから、きっと領地に引きこもってるのよ」

「絶対に来ないという保証はどこにもありません。……けれど仮にこちら側へ来ていたとしても、その話が広がることはおそらくないでしょう」

「どうして?」

「彼らに遭遇して逃げ切ることはほぼ不可能ですから」


 それはつまり、ヴァンパイアを見た者は――生き残れない。


 ハンター入門書の最後のページ。そこに描かれた挿絵のヴァンパイアがさっきよりも恐ろしく見えてしまい、アリシアは慌てて本を閉じてしまった。



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