ある春の日の日記

逆瀬川さかせ

ある春の日の日記

 今日こそ小説を書こう。そうは思っていてもいざノートを前にすると、全然ペンが進まない。短い大学生活のうち4分の3が過ぎ去り、今まさに最後の一年間が始まろうとしている。

 これまでの三年間、果たして僕は小説家になるという夢の実現のためにどれだけ努力をしたであろうか。ただ無為に過ごしてしまった感が拭えない。

 空白のノートを前にぼくは本棚から取り出した石野吉夫の『白い道』を開いた。文庫本の背表紙には「\108」の値札が貼られたままだ。

 僕はこの本を最初、今は校舎が改築されて、すっかり変わってしまった、母校の図書館で借りた。そして、家へと帰る電車の中で読み、気に入ったので、高校生のなけなしの小遣いを出して、古本屋で買った。

 『白い道』は石野吉夫の処女作である。はじめは自費出版本として出、のちに大手出版社から改めて出た。彼の生まれ育った西宮の夙川を舞台に書かれた小説で、筋らしい筋などないが、ざっくり説明するとこんな話である。

 春の陽気の中、夙川ほとりの桜並木の下を一人の旧制高校生が歩いている。彼は小説家を目指しているのだが、良いアイデアが思い浮かばずに散歩しているのだ。彼は上を見上げて、彼の目と空との間にある満開の桜を見、次にあたりを見渡して、花見にふける善良な人たちを見た。だが、彼にはそれらが自分の書くべきことではないように思われた。最後に彼は足元を見た。白い地面があった。夙川のある阪神間のあたりは、地面が花崗岩質で白いのだ。視線を転じて見ると、白い道が川に沿って、お椀を伏せたように丸い甲山へと、一直線に続いていた。彼はそれを見た瞬間、それを書こうと思った。そして、小説を書くために、下駄を鳴らしながら走って家へと帰った。

 特にこれといった山場もない小説である。だが、僕はこの小説に惹かれた。それは、小説の舞台が、僕のよく知っているところだったというのも大きいだろう。人は得てして自分の知っている場所が小説や漫画に出てくると嬉しいものである。

 僕が持っている文庫本の『白い道』の巻末には、詳細な年譜が載っている。それによれば、石野吉夫がこの作品を書いたのは二十二歳の時だ。

 二十二歳――僕は今まさに二十二歳の誕生日を迎えようとしている。この七十年近く先輩の作家が処女作を書いた、その年齢に僕はなろうとしているのだ。今の僕に果たしてこれだけのものが書けるであろうか。自然と焦りが出てくる。

 こうなると何でもかんでも比べてしまう。石野吉夫やその他多くの作家と比べて、僕の人生はあまりに平穏すぎやしないだろうか。昭和三年生まれの石野は、幼い頃に母を結核で亡くし、思春期に戦争を経験した。実家は裕福だったが、戦後没落して、夙川の生家も人手に渡っている。彼がまた夙川に住めるようになったのは、作家として成功した晩年のことで、長らく関西各地を転々として、貧困に喘ぐ日々を送っていた。

 それに比べて自分はどうだ。両親は健在で、決して金持ちではないがある程度の余裕はある。大病一つせず、浪人も留年も経験していない。

 人としては幸せなのだろうが、何かこう、自分には文学をやる資格がないような気がしてくる。何という作家の言葉であったろうか。

「文学とは人生に満足していない人たちのためのものである」

 僕は人生に満足しているだろうか。いや、必要なものはある程度揃っているが、満足はしていない。だからこそ、こうして小説を書こうとしているのだろう。

 さて、では何を書こうか。『白い道』の主人公に倣って、僕も外を歩いて書くべきものを探すとしよう。そう決めると僕は部屋を飛び出した。神田川の両岸の桜は早くも散り始めている。やはり写真を撮っている人が多い。僕は足元を見てみた。この辺の土は本来なら黒い色をしているはずなのだが、どこもかしこもアスファルトと敷石で固められて、土の色なんて見えない。そして、川沿いの道の先にも山なんて見えない。坂の上からでもない限り、東京の街中は建物に遮られて、見通しが効かないのだ。視界のどこか一隅に、必ず山がある阪神間で育った僕にとって、視界のどこにも山が見えないというのは、それだけでどことなく不安な気持ちにさせられるものなのだ。

家並みの向こうに、坂の上に、高架線上の電車から見下ろす街並みの向こうに、山というものを当たり前に見て育ったから、たまに出かけた郊外で、背景に山の姿を見ただけで、なんだかほっとしてしまうのだ。

 僕は急に思い立って、図書館へ行くことにした。図書館へは、路面電車の走っている広い通りを渡ればすぐだ。授業が全部オンラインになってしまってからというもの、大学までわざわざ行く機会が減ってしまって、図書館へ足を運ぶことも少なくなった気がする。とは言っても、僕は満員電車に乗るのが嫌で、大学のすぐ近くに住んでいるので、歩いても五分くらいのものである。

 図書館への入口は大階段を上った二階にある。感染症対策とかで、学生証を一旦見せてからゲートを通ることになっていたのだが、いつの間にか見せなくてよいことになったらしい。学生証をかざすとゲートはすんなり開いた。

 真っすぐ進んだ突き当りで、左右にそれぞれ上っていく階段のうち、左の方を上っていく。お目当ては文庫本コーナーだ。ここは出版社別に並べられていて、探しにくいという欠点はあるものの、品揃えは良い。それにしても凄い本の量だ。

 ここだけで何百冊、いや何千冊とあるに違いないが、それでもこの広い図書館のうち、本の一角のコーナーに過ぎないのだ。この図書館には、僕がまだ足を踏み入れてすらいないコーナーもある。果たしてこの図書館全体で、どれだけの本があるのだろうか。

 この大学に入ってからの三年間で僕が読んだのは、そのうちほんのわずか、雀の涙にも満たないだろう。もっと色々読んできたらよかった――そんな思いが頭をよぎる。残されたあと一年でどれくらい読めるだろうか。

 それについて考えてみるよりも、何はともあれ読んでみた方が早いだろう。

 僕は、出版社ごとに五十音順にきちんと並べられた本棚に近寄り、「石野吉夫」の本を探し始めた。

 もとより、探したところで見つかるはずなんてないのだが。

 何故って、石野吉夫なんて作家は存在しないからだ。じゃあ、ずっと嘘を書いてきたのかって? もちろん、今日の日付は四月一日、エイプリルフールだ。

 時計を見るとちょうど午後八時になったところなので、ここからは本当のことを書こう。

 エイプリルフールで嘘をついていいのは午前中だけ、というのはイギリスルールとのことだが、日本とイギリスでは八時間の時差があるので、日本の場合、午後八時まで嘘をついたって構わないだろう。これはネット記事で見た、知らない誰かからの受け売りだが、僕もそれに倣って八時からは本当のことを書くことにする。

 何故僕が嘘にまみれたこんな文章を書こうとしたのかというと、もちろん今日がエイプリルフールだからだが、石野吉夫という架空の作家を書いたのは、こないだ読んだ村上春樹の『風の歌を聴け』に影響されたからである。読んだ後でデルク・ハートフィールドについて調べてみた結果、架空の作家と知り、同じような嘘をついて見ようと思ったのだ。

 もっとも、石野吉夫や『白い道』は嘘だが、ここまで書いてきた中には本当のことも含まれている。嘘というものは往々にして、本当のこと混ぜると信憑性が増すものだ。夙川の両岸に桜が咲いていて道が白いのは本当だし、神田川の桜が今まさに散り始めているのも本当だ。図書館で思ったことも本当だが、これは一昨日のことである。今日の僕は図書館には行こうと思っていたが、結局行ってない。

 さてこうして嘘にまみれた文章を書いてきたが、問題が一つだけある。それはこの文章をあなたが目にする頃には、エイプリルフールはとうに終わっているということだ。

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