ミミズクの幸せ

こどとん

ミミズクの幸せ

「ごめんなさい!」

 予想外の返答だった。

 けれど、まだ大丈夫。その答えなら問題ない、激しい拒絶ではないと思う。

 ここで引くのも一興だけれど、今回は理由が気になった。正直、なんの問題もなく成功すると思っていたからだ。

「そっか、理由は教えてくれない?」

 僕の言葉を聞いて、彼女は少し俯いて絞り出すように言った。

「だって、ミミズクとは付き合えないよ」


【1】


 ミミズクという生き物が人間社会で生きていると、不都合なことがいくつかある。


 夜行性だから昼間が眠くてしょうがない。人間が一般的に動いている時間帯に眠たくて、元気なときに人間社会はあまり活発に動いていない。

 ネズミの王国だって、USJだって、密閉されてなければ空からどこでも入れるけれど、人間社会ではお金を払わないといけない。

 その辺の小動物を捕まえると悪者みたいに扱われる。小さい動物は可愛くて、人間のみんなに好かれているからだ。


 とはいえ僕は人間社会に自然と適応したミミズクだと思う。一般的な大学生になり、友人もできた。

 毎日の合コンが楽しみだった。今通っている大学を受験したら、間違いなく不合格になるくらいには勉強していない。

 今の生活に不満があるかと言われると、そりゃあ彼女も欲しいし、勉強はしたくないし、もっと遊びたいし、忙しくアルバイトはしたくないけどお金が欲しい、もっと日中は眠りたい。

 でもそれらは大学生が毎日思うことだ。それらを差し引いても、とても満足しているし、楽しい毎日だと思っている。


 合コンには数合わせでも頻繁に呼ばれる。盛り上げ役として重宝されているのだ。初対面のツカミのトークとしてはこれ以上のものはたしかにない。

「夜行性でも明るいミミズク、R.B.ブッコローです。ブッコローと呼んでください」

 ウケようが滑ろうが、嫌でも質問は飛んでくる。その場が少し柔らかくなればそれで成功なのである。


「みくちゃんはめっちゃ好みよ、正直」

 合コンも中盤に入ると席が乱雑になる。隣に座るみくちゃんは僕の言葉で少し身を引いて、口元を押さえ笑った。みくちゃんは笑ったときに目が三日月みたいに曲がる、笑顔が可愛い子だった。

 その笑い声と表情、目線を観察する。こういう踏み込んだアプローチでも、好意的な印象は持たれているみたいだ。

「ええー? ブッコローくんってそういうタイプなの? てっきり草食系だと思ってたのに」

「何言ってるんだろうねみくちゃんは、ミミズクは肉食ですよ」

 初対面の人と話すのは嫌いではないし、得意だ。ただ、それから仲良くなるのかは別の話で、最終的に進展がなくても連絡先を交換し、二人っきりで会うまでのゲームをクリアするような快感を求めている節がある。

 いや、もちろん遊んではいない。好きな女の子にしかアタックはしない。基本的にはだらしなくても、男女関係に関して、僕はとても紳士なミミズクだと思っている。


 デートが苦手な悩めるミミズクにお勧めしたいデートスポットは動物園だ。

「ブッコロー! 可愛いよこのモルモット! 触れるんだって!」

「あー、食べちゃいたいくらい可愛いねえ、実験してもいい?」

 次はシマウマ。

「あれ、シマウマだよ」

「え、どこにいるの?」

「ほらあそこだよブッコロー」

「いやあ、捕食者には縦じまは見えづらくて」

 こうしてミミズクトークを披露すれば女の子は笑ってくれる。理解してもらえないときもあるけれど、もし理解してくれなければ雑学披露の場にもなるし、ミミズクの生態は珍しいのか、大抵驚いて聞いてくれるのだ。

 ただ、鳥類はライバルになるときもある。

「ほら、ブッコロー! クジャクが羽広げてる! めっちゃ綺麗だよ!」

「僕はあんまり興奮しないよ」

「……ブッコロー、そういう求愛とかの問題じゃなくてさ。綺麗って話なんだから」

「あれがあ? チャラチャラし過ぎじゃない? 横浜の西口出たらそこら中にいる香水臭い男みたいじゃないですか」

 みくちゃんは笑いだした。

「ブッコローからしたらそう見えるの?」

「だってさあ、あそこまで押しが強い男嫌じゃないの? あんだけ周囲にアピールしてさ、恥ずかしくないのかね」

「えー、そう? 私は普通に綺麗だなって思うけど」

 みくちゃんは目を輝かせてクジャクを見ている。なんだよ、腹立たしい。

「あんなの見境なく全員にナンパしてるようなもんじゃないですか」

 僕は偏屈を続ける。

「モテてないからあんなことするんだよ。モテてる男は自分からアピールしなくても寄ってくるからさ。アイツはモテてないんだよ、僕みたいに」

「自信家でウケるね、ブッコロー」

「だってそうだろ。今だってみくちゃんとデートしてるんだから」

「たしかに」

 そう言って、みくちゃんはケラケラ笑い出した。


 草むらが開けたところに座って、昼食休憩を取る。ピクニックしているみたいで気分がいい。天気もよいし空を飛んだら気持ちいいだろうなと思う。

「はい、ブッコローの分。感想教えてね。正直に言って欲しいな」

 みくちゃんは手作りのサンドウィッチを僕の方に差し出した。わざわざ作ってくれただけでも嬉しかったけれど、僕は忖度のないミミズクだ。

「忌憚なき意見を言いますよ。最初に申し訳ないんだけどさ、羽だとサンドウィッチはつかめないんだよね」

 みくちゃんは羽の先に置こうとしたサンドウィッチを見て、不思議そうに首を傾げている。

「どういうこと?」

「うーん、まあくちばしに突っ込んでくれるとありがたいな、他につかめるとこ足くらいしかないから」

 そう言って、僕はくちばしを開いてみくちゃんの方を向いた。

「あー、なるほどね」

 みくちゃんもすぐに把握してくれたようで、サンドウィッチを渡してくれた。

 しまった。せっかくくちばしに入れてもらうんだったら「あーん」とか言ってもらうんだった。

 くちばしでパンを掴んで、舌に乗る味を堪能する。

「これは……」

「ど、どう?」

 みくちゃんが恐る恐るといった具合で僕の顔を覗き込む。

「うんんんま!」

 声高らかに僕は叫んだ。

「本当?」

「マジで美味いよこれ。この、なんだこれ、玉子サンドなんだけど……辛子か? なんかほんのり辛いのよ」

「あ、わかるの? すごいねブッコロー。辛子とバターを混ぜたんだよね、からしバターってやつ」

「からしバター?」

「うん、たまごの具と混ぜるの。私もそこまで詳しくないんだけど、からしとバターと混ぜると辛さが控えめになって、旨味の成分的なところだけ抽出されるとか、そんな感じだったと思う」

「ほえ~」と、僕は感心の相槌を打った、本当に美味しいし、料理はそこまでしないからこの知識も初耳だ。

「あとは玉子とマヨネーズ、コショウとか。ちょっとカロリー気になるけど、美味しさ重視ね!」

「はいはい、なるほどー、凄い。なんかもうお店みたいな味だねホント」

 僕は残っていた玉子サンドをくちばしで摘まんで飲み込む。

「よかったー、自信ついたよー、ありがとうブッコロー」

「いやいや、お礼言うのはこっちでしょ。ごちそうさまでした」

「あ、そっか。どういたしまして……あ、お粗末さまでした」

 そう言って、みくちゃんはまた笑った。


【2】


 動物園を出て、桜木町駅近くまで出たのは夕方過ぎだった。夜ご飯に誘ったけれど、みくちゃんには予定があったようだ。

「ごめん、夜ご飯は別の約束してたんだよね。言い忘れちゃった」

 僕は心の広いミミズクなので、このくらいは愛嬌として受け流せるのだ。そんなドジなところもみくちゃんの可愛いところである。

「いいよ、大丈夫。じゃあ今日は解散しますか」

「あ、全然遊びなら付き合えるよ……って、ブッコローもう帰りたい?」

 みくちゃんの真意がつかめず、少し考える。

 自分との時間の希少性を主張するのもよいけれど、みくちゃんと出会ったときの合コンを思い出した。デートまでこぎつけたのは、厚かましいくらいの押しの強さだったはずだ。

「じゃあ……海の方へ歩くとか?」

「あ、そっち方面? なら私、観覧車乗りたい」

「へえ、観覧車?」

「うん、実は乗ったことなくてさー」

「なるほど、それで乗りたいってことかー」

 口では納得しながら、みくちゃんの真意は別にあると僕は予想した。

「じゃあ行こうか」

 そう言って、僕は観覧車の方へ歩き出した。桜木町の観覧車。これは、みくちゃんなりのサインだろう。

 夕暮れ、観覧車、デートの帰り、これだけの条件がそろっているのだ。イケてる男は女の子のあからさまな誘導に、あえて乗ってあげるのである。


「綺麗」

 みくちゃんが呟く。観覧車の窓に張り付くように見ている横顔に、僕の羽毛くらい濃い橙色の光が差し込んでいた。

「キミの方が綺麗だよ」という歯が浮いたようなセリフが浮かぶけれど、決して口には出さない。そもそも僕には浮く歯がない。

 夕日は反対側だけれど、夕焼けが海に落ちていた。夜になれば更に綺麗になる気もするけれど、いや、この景色も夕方にしか見られない、貴重な風景だと思えた。実際絶景だったのだ。

「この時間に乗るの初めてだったんだけど、めっちゃいいわこれ」

「え、ブッコローもそうなの? 意外とみんな乗らないのかなこの観覧車」

「うーん、まあもうちょっと若いカップルとか、歳重ねたカップルの方が乗ってるイメージあるけどねえ」

「え? 私たち浮いてる? たしかに列並んでた人、子どもとかの方が多かったかも」

「いや、浮くほどじゃないんじゃない? 実際僕たちと同じような年のカップルだっていたでしょ」

「うーん、まあ、そうねえ。私たちもカップルか……」

 そう言って、みくちゃんは黙り込んでしまった。さっきのみくちゃんに倣って、窓の外を見る。

 もう少しで観覧車は頂上だ。街を見下ろす橙の景色。人が沢山いる、動物園のデートの帰り。もう舞台は整っている。

「みくちゃん、あのさ……」

 そう切り出して、僕は想いを伝え始める。

 こういう言葉は決して安売りしてはいけない。誰にでも言うものではなく、みくちゃんただ一人に言うものだと思う。


「ごめんなさい!」

 予想外の返答だった。

「そっか、理由は教えてくれない?」

 僕の言葉を聞いて、みくちゃんは少し俯いて絞り出すように言った。

「だって、ミミズクとは付き合えないよ」


 みくちゃんの言葉を反芻して固まる。動揺した。理解が追い付かなかった。

 そんなの納得できない。これではみくちゃんの気持ちがまったくわからないじゃないか。

「な、どうして。今日の動物園楽しかったじゃないか。昼食も作ってくれて、楽しそうに笑って、今は観覧車……」

 動揺がそのまま表に出てしまう、僕はいつの間にかみくちゃんを問い詰めていた。

「うん、楽しかったよ。でもブッコローは友達だよ」

 ここで引き下がるのは非常にダサいと分かっているけれど、止める気になれなかった。

「僕のこと好きではなかった?」

「まあ、そもそも今の彼氏好きだし、私」

「え……は?」

 初耳すぎる。僕はくちばしをあんぐり開けてみくちゃんの方を見た。

「あれ、言ってなかったっけ? ごめん、忘れてた」

 僕は心の広いミミズクだけれど、これは愛嬌としても受け流すことができない。

「ひ、酷くない? 彼氏いたのに黙って僕とデートしてたってこと?」

「だってブッコローはミミズクだもん。そんなの考えないよ」

「いやでも彼氏だって、嫉妬とかするんじゃないんですか?」

「いや、ミミズクに嫉妬はしないでしょ」

 なんだこれ……なんだこれは。せっかく楽しい一日だったのに、最後の最後で突き落とされた気分だ。いっそ観覧車から落ちてやろうか、飛べるしもうすぐ地上だけど。

「今日はデートの練習だったの。だから玉子サンドも試作品だったけれど、美味しいってブッコローが言ってくれてよかった」

 僕はミミズクだ、実験用モルモットじゃないんだぞ!

「気持ちは嬉しいけど、私はブッコローとは付き合えないや、ごめんね」

「そ、そんな……」

 失恋だった。まごうことなき失恋だ。

「ご乗車ありがとうございまーす、お足元お気をつけてお降りくださーい」

 流れ作業的な従業員の声が聞こえ、観覧車のドアがスライドして開く。

「私、このまま行くね。今日はありがとうブッコロー! これからも友達でいてねー!」

 スタタタタター、と音を立ててみくちゃんは去っていった。

 友達でいようと快活に言えてしまう軽薄さはみくちゃんらしくて好きだけれど、当人になると耐えがたかった。


【3】


 友人から野毛で飲まないかと誘いがあった。飲みたいし歩きたい気分だったので、僕は駅の反対側に位置する野毛まで歩くことにした。

 豪華絢爛、綺麗でお洒落。海、ポップカルチャー最前線、なんか横文字だらけの飲食店。

 横浜の若者文化をすべて詰め込んだような桜木町の街の裏側に位置する野毛は、反物質のように作られたディープな町だ。


 海鮮系の居酒屋に入ってさっきの出来事をまくし立てた。友人は笑って聞いてくれた。

「そりゃあ、難しいだろうなあ、みくちゃん彼氏いるし」

「お前も知っていたのか!」

 なんなら共謀じゃないか、こんなもの。

「いやあ、ブッコローが数合わせって話は通してたろ? みくちゃんもその一人だよ」

「……それでも言って欲しかったよ、彼氏いるならいるって」

「流石に合コン中には言えないだろ」

「じゃあデートはどうなのさ」

「彼氏いるって言ってなかったのはみくちゃんの落ち度だけど、デート自体は……まあ、みくちゃんだしなあ」

 悔しいことに「みくちゃんだし」という言葉に一定の納得をしてしまう。あのフットワークの軽さが僕の好みだったのは間違いない。

「なんだよもー……楽しそうにしてたのにさ、動物園」

「ブッコローと行く動物園は誰でも楽しいだろ」

 励ましのつもりか、友人は笑いながらそう言った。でも、ちっとも心は晴れなかった。

「誰でもっていうのがよくないのか……? 特別感がないというか」

「うーん、みくちゃんみたいなタイプは誰とでも交流できる奴の方が好きそうだけどな」

 僕はため息を吐く、八方ふさがりだ。

「どうすればよかったんですかねえ」

「そうだなあ、まあブッコローも……」

 食べカスの付いた友人の口が一瞬スローモーションに見える。

「人間だったらよかったのかもなあ」

 それを聞いて、僕の上半身というか、頭は力を失った。

「もうやめてくださいよお……」

 力のない声が出た。ぬいぐるみの糸が切れたように、中身が漏れ出していく。


「そりゃあね、不便だって思うこともありますよ。ただでさえ人間はストレス社会な上に僕の場合はミミズクですからね。言い方をあからさまに変えるなら、人間より劣っている部分はありますよ、ミミズクが」

 意識が海上に出てきたときには、場所がガールズバーに移っていた。恐らく三軒目になる。友人は遠くの席にいる。目の前には立って僕の話を聞いているらしい女の子がいた。

「でもね、ミミズクに生まれて幸せですよ、不便なところを差し引いても。ミミズクジョークは弾むし、合コンは楽しいし、夜に目が効くし視野は広い。ミミズクに生まれてよかったことなんていくらでもあるのに、あの言いぐさはなんですか?」

 女の子は楽しそうに笑って僕を励ましているようだけれど、言葉は殆ど届いていない。僕は耳も良いのに。

「みんな『人間だったらよかったのに』って、そんなに言われたら、まるでミミズクに生まれたことが、いけないことみたいに思えてしまうじゃないですか!

 たしかに人間だったら便利なことはたくさんあると思いますよ。でも、僕はちゃんと幸せなのに! 欠点があろうが自分自身が満足にいられるなら、それでいいじゃないですか!」

 意識が浮上と沈降を繰り返す。話を聞いてくれるのなら、誰でもよかったのだと思う。

「他人なんて羨んだってしょうがないですよ、自分は自分でしかないんです。それなのにだれだれになりたい、だれだれが羨ましいって、いったい何がみんなを駆り立てているんですか⁉ 自分自身を全力で生きるでいいじゃないですか! 天地がひっくり返っても他人にはなれない、どこまで行っても自分なんですよ⁉」

 会話した流れなのか、主張が若干ずれている気がした。色々限界だった。最後は女の子が店長らしきお姉さんに代わっていて、ずっと何かを語り合っていた気がする。

 併設されているカラオケでブルーハーツの青空を大声で歌った。僕の声は誰かに響くだろうか。

 夜の街のどこからか声がする。

「俺が悪いのかよおおお!」

 そして、僕の意識は深海へと潜っていった。こうなるともう、明日の自分がどこに行くのか、僕にはわからなかった。



【4】


 身体を揺すられる。酔っ払いの起こし方としては普通、ここまで深酒した場合は水をかけられても文句は言えない。

「大丈夫ですか? 起きられますか?」

 女性の声で目を開く。身体中が痛い。

「起きられないです」

 ぎゅるぎゅると昨日の記憶を辿っていく。海鮮居酒屋のあと、どこかを挟んでガールズバーだ、それ以上は覚えていない。

「えぇ~、困りましたね……。ここ花を置くんですよ」

 どうやら花屋の前で倒れていたらしい。

「花屋でしたか。ごめんなさい」

「いえ、本屋です」

「ああ、飾りですか」

「いいえ、売り物です」

「え?」

 途端に生存本能が働いて身体を起こす。変な人に絡まれてしまった。

「本屋の前で花を売ってるんですか?」

「ええ、そうですけど」

 周囲を見渡す。ここは商店街のようだ。出勤時間のようで人通りはスーツ姿の人が多い。自分が倒れていた店の軒先には、テント生地の赤い片屋根が、丸みを帯びて突っ張っている。

 屋根はかつて鮮やかな赤色だったのだろう、今は黒ずんでいた。お世辞にも綺麗とは言えない。美味い町中華の屋根みたいだ。

「いや、なんですかここ」

 起こしてもらったのに不躾な態度とは思いつつ、店員さんらしき女性に問う。

「だから本屋です。起きられたならちょっと歩けますか?」

 ああ、はい。と生返事をすると、店員さんは僕を店内へと促した。

「そこに座っててください、今お水持ってきますから」

「ああどうも御親切にすみません」

 店員さんは水を取りに行く。体調は最悪だ。長テーブルの前に腰かけて脱力した。深酒の朝ほど最悪な一日の始まりはない、意識を取り戻すのが自宅ではないなんて尚更酷い。

 低いうめき声を上げながら、薄目で周囲を見渡す。規則的に並んでいる本棚が目に入る。どうやら本屋というのは本当らしいけれど、おおよそ本屋に相応しくないものもある。

 隅に追いやられている金属製の四角い箱は、どこからどう見ても中華屋の出前箱だった。

「はい、どうぞ。お水です」

 店員さんが深皿に水を溜めてきてくれた。

「ああ、ありがとうございます、えっと……」

「岡﨑です」

「ありがとうございます岡﨑さん。あの、あれは何ですか? 中華屋でしか見たことありませんけど」

 出前箱を指差す、岡﨑さんは「ああ」と声を漏らした。

「あれはオカモッティです。バッグですよ」

「ええ?」

 もう一度見直す。どう見ても出前箱だ。アルミ製の、出前のバイクとかとセットでよく見るアレだ。

「出前に使うんじゃないんですか?」

「ですから。うちは本屋ですよ、そういうカバンなんです」

 こいつはまずいところで倒れてしまった、ここは本屋を名乗る怪しい中華屋だ。

「あなたはミミズクですよね?」

「はい、夜行性だけど明るいミミズク、R.B.ブッコローです」

 怪しい店だと分かっているのに、つい名乗ってしまう。

「ブッコローさん。生肉の方がいいですか? 干し物でいいなら鮪のお肉もありますけど」

 岡﨑さんはパッと見良い人そうだけれど、ますます怖いことを言い出した。本屋に干し物は変だ。中華屋で確定だ。排気ダクトのせいで赤い屋根が汚れてしまってるんだ。

「いえ、大丈夫です」

 さっさとお暇しないと、ミミズクの干し肉にされてしまうかもしれない。焦って水を飲む。身体が濡れてもお構いなしだ。

「まあ慌てずにもう少し休んでもいいですよ。まだ開店時間までありますから」

 水をこぼす僕を見かねたのか、岡﨑さんはティッシュを差し出してくれた。変な本屋だ。早く離れなければと思うと同時に、興味もわいてきた。

「あの、ここは中華屋じゃないんですか?」

「しつこいですねえ、本屋です。とはいえ、カフェとか居酒屋も経営してますね。うちは」

 意味がわからず脱力する。僕はこの本屋の理解を諦めることにした。


「いっぱい遊んだみたいですねえ、楽しめましたか?」

 水を飲む僕に、岡﨑さんが皮肉っぽく言う。声色から本人に皮肉ったという自覚はなさそうだ。

「いいえ、最悪でしたよ。楽しくなかったです」

「ええ? こんなになるまで楽しんだのに?」

「お酒ってのはね、実質アルコールまで入れないと楽しくなれない人の、逃避でしかないんですよ」

「そんなことないと思いますけど……」

「いいえ、そうなんです。僕だって適量に留められるなら留めますよ、こんな思いするくらいなら」

 留めるのは嘘だけど、昨日が適量にできない日だったのは嘘ではない。

「僕はね、ミミズクに生まれて幸せですよ、なんなら誇りを持っています、小さいけど。

 でも、周りは僕が人間だったらいいと思っているし、人間であることの方がミミズクでいるより絶対に幸せだと言わんばかりなんですよ」

 僕は昨日の出来事を思い出していた。

「昨日好きな子に告白して、失敗したんです。『ミミズクとは付き合えない』と。

 友人にその顛末を話していたら『人間だったらよかった』ですよ。別にね、悪気はないってわかってても、思うところはあります」

 岡﨑さんは特に表情を変えず、僕の話を聞いていた。共感してくれているのかは、いまいちわからなかった。

「僕は人間として生まれるべきでしたかね……」

 僕のぼやきに、岡﨑さんは答えなかった。当然だと思う。我ながら答えづらいことを言ってしまったと思う。友人という間柄でも、当たり前のように「人間だったら」なんて言葉が出てくるのだ。


 しばらく岡﨑さんは僕にかけるべき言葉を迷っているようだったけれど、僅かに首肯して口を開いた。

「徳のある人は決して孤立することはない。いつの日か、またはどこかで、必ず理解し、共鳴する人が現れてくるものである」

 岡﨑さんは長台詞を言えて満足したのか、微笑んでいる。

「なんですかそれ」

 訳が分からず問うと、岡﨑さんはなんだか得意げに答えた。

「弊社の名前の由来です。

 正しい経営理念をもって最大限の努力をすれば、どんな障害が現れようと、社会は私たちの正しさを認め、お客さまの支持がいただける。社内においても、心から協力しようとする同志をつくることができる。と。

 ですからブッコローさんも、ミミズクとして生きていく上で色んな障害があっても、正しく道を歩めばいつか認められて、心から協力してくれる同士も現れると思いますよ」

 すぐに「うん」とは言えず、斜に構えてしまう。

「そうですかね」

「そうですよ。ブッコローさんは人間じゃなくて、ミミズクに生まれて幸せなのでしょう?

 周囲の人たちはブッコローさんのことを人間じゃなくて、ミミズクとしてちゃんと認めている。逆に考えたら、だからこそ『人間だったら』という言葉が出てくるのだと思いませんか?

 私は、認めてくれている人も、協力してくれている人たちも現れていると思いますよ。ミミズクが深く認められるようになる、途中だから障害があるだけで」


 みくちゃんとのデートを思い出す。クジャクを見たとき「ブッコローから見るとそう見えるの?」と問われた。サンドウィッチを食べるとき、くちばしに咥えさせてくれた。振られたけれど、友達でいてねと言ってくれた。

 みくちゃんは戸惑いながらも僕を人間としてではなく、ミミズクとして接してくれていたように思えた。


 途端に視界が開けた気がした。酔いが急に醒めた心地になる。

 どうして人間として生まれた方がよいなんて少しでも思ったのだろう。生まれたときからミミズクだ。ミミズクとして生きるしかないと、自分でも理解していたはずなのに。

 らしくない。ブッコローはもっとミミズクのメリットに目を向けたはずだ。合コンもデートもあれだけ楽しいのは、自分がミミズクだったおかげだ。

 みんなは、ミミズクとしての僕を認めつつある。このままブレずに、ミミズクの道を正しく行けば、いつかもっと認めてくれるのかもしれない。


 ミミズクで生まれたことは、幸せなのだ。


 そもそも、彼氏持ちに振られたくらいで何を落ち込んでるんだ。競馬で大負けするより全然マシじゃないか。

「僕、もう一度みくちゃんに告白します」

「そうですか。まあ、恋人になれるかは別問題ですけどね」

 せっかく乗り気になったのに岡﨑さんが水を差す。そんなことは分かっているのにノリの悪い人だ。

「そういえば、ここの本屋ってなんて名前なんですか?」

 これだけお世話になって、店名を聞いていなかったことに気が付いた。岡﨑さんはこちらを向き直り、口を開く。


「有隣堂、伊勢佐木長町本店です」


 僕が有隣堂の顔となり、この書店の変な魅力を沢山知り始めるのは、もう少し先の話だ。

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