第7話

 死にたかった。由紀子を嫌いきっている親父には相談できるはずもなかった。由紀子を庇い、反抗した――何度も殴られた。次第に、耐えていたはずの暴力が怖くなった。親父に殴られることを考えただけで、吐き気に襲われ、指先の震えが止まらなくなった。

 ――由紀子にはやんなよ。

 親父はチャーハンをかきこみ、言った。良哉も食べた。

 由紀子が良哉を見つめる。良哉は自分のご飯を全部食べきった。

 この日、おれは初めて、由紀子にご飯をあげなかった。

 近所の人間はみすぼらしい格好の良哉たちと関りになろうとしなかった。良哉たちが悲鳴を上げても知らないふりを決め込んでいた。

 誰にも頼れなかった。周りの家族連れを羨む日々が続いた。名も知らぬ人間に殺意を抱くようになった。

 ある日、親父は良哉に言った。

 ――相変わらず気持ち悪い顔だな。おい、良哉、傷めつけてやれ。

 ――は?

 ――由紀子を殴れよ。

 ――な、何でだよ……?

 良哉は恐る恐る尋ねた。親父の暴力を怖れる良哉は、前までのように親父に反抗することができなくなっていた。

 ――うぜえから。

 ――できるわけないじゃんか!

 頬を張られた。間を置かず、腹に蹴り。背中を踏まれた。胃が圧迫される。良哉は絶叫した。

 ――うるせえよ。おれがいくら殴っても聞かねえから、由紀子に好かれてるお前が殴ればおとなしくなんだろ。

 拒否した。足が飛んだ。親父の踵がおれを打った。反射的に、頭を手で覆う。頭に蹴り。頭蓋骨の上のあたりが揺れ、視界ががたついた。

 ――おれの言うこと聞かないと殴るって散々教え込んできたのに、馬鹿なガキだ。

 親父が唇を捻じ曲げ笑う。良哉はうつ伏せで立ち上がれなかった。喉が熱く、痛い。頭の中を何かが連続で突き上げている感覚――眩暈がし、視界がぐらついた。

 ――やるよな?

 親父は言った。良哉は頷いた。

 座り込んでいる由紀子の目の前に立つ。左手で拳を握りしめ、震えを止める――深呼吸する。軽く由紀子の頬を殴った。由紀子は顔をしかめた。泣き出しそうなのを堪えているように見えた。

 息が詰まった。また、腹に蹴り。白っぽい液を床に吐き出した。良哉は腹を押さえて濁音を発した。涙と吐いた胃液が混ざった。

 ――手加減すんな。

 ――してない。

 踵を背中に落とされた。また、濁音を発した。親父の暴力には容赦がなかった。痙攣する右手をみて、おれは覚悟を決めるしかなかった。

 由紀子の頬を張った。頬を抑える間もなく、由紀子が倒れた。白い柔肌が赤く腫れ上がる。由紀子は物も言わず、ただ、目を見開いて良哉を見つめていた。その視線が痛々しく、何よりつらかった。

 ――まだ終わってねえぞ。やらねえんなら――。

 親父が拳を振り上げる。良哉は身構える――とたんに、全身を痙攣が包み込む。痛い、怖い、苦しい――今までの感触が腕を這い上がってくる。おれは完全に親父に屈していた。自分がいかに暴力から逃れるかを考えていた。

 もう一発、殴った。由紀子の小さな体が、倒れる。

 張られた頬は青くなっていた。

 由紀子からすれば、おれから殴られたという事実が一番苦しいはずだった。


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