『茶館老板 偃師—上海妖魔鬼怪考—』

ワカレノハジメ

『茶館老板 偃師—上海妖魔鬼怪考—』

 

 ——上海は世界でもっとも常軌を逸した奇怪な場所のひとつであり、そこではどんなことでもごく当たり前のことのように起きていた。


 SF作家 J・G・バラード


 序


 中国周王朝、第五代の王、穆王ぼくおうは、西方の果てまで旅をして、帰国の途についた。その途中、自分の作品を披露したいという細工師に、謁見を許した。

 

 細工師の名は、偃師えんし。偃師の作品は人間そっくりに作られた、一体の自動人形だった。


 自動人形は、歳の頃なら二十代前半、涼しげな目をした、細面の青年である。


 偃師が歌うように言えば、綺麗な歌声を披露し、踊るように言えば、軽やかに舞い踊った。


 どこからどう見ても人間と変わらない、芸達者な自動人形だった。


 穆王はもちろん、傍らに控える侍女達も感心していた。


 が、穆王は自動人形の青年が舞踏を終えた後、侍女達に色目を使ったのを見て、途端に激怒した。


 色目を使う自動人形などいるはずがない、人間に違いない、と偃師を咎めたのである。


 穆王はそれだけでは怒りが収まらず、偃師を処刑するように命じた。


 偃師は慌てて、無実を証明する為に、自動人形を分解した。皮膚を剥がし、心臓を抜き取り、肺を取り出して、また元に戻した。


 普通の人間なら死んでいる所だったが、さすがは自動人形、何事もなかったように動き出した。


 今度は穆王が試しに心臓を取り外すと、自動人形の青年は口がきけなくなった。

 次に肝臓を取り外すと、両目が見えなくなった。

 腎臓を外すと、歩けなくなった。


 穆王は目の前にいる青年が自動人形だという事をようやく信じ、これを製作した偃師の技術を褒め称えた。


 偃師は処刑を免れたのである。


 自動人形の青年は大いに反省すると、主人に迷惑をかけた事を恥じ、それ以後、人前に出る度、自責の念に駆られた。


「どうしたどうした、大丈夫だよ、お前は自慢の息子だ。もっと自信を持て」


 偃師はよくそう言って、自動人形の青年を元気付けた。


 自動人形の青年は偃師にそう言われる度に、なんだか救われたような気持ちになった。


「人間、誰しも失敗はあるものだ。お前はそれだけ、人間らしいという事じゃないか」


 自動人形の青年に、偃師の言葉はどれだけ力をくれた事か。


「例え失敗したとしても、もう一度、いや、何度でも、自分がやりたい事、やるべき事を考えて、できる事をすればいいさ。そうすれば、必ず道は開ける!」


 自動人形の青年の胸に、偃師の優しく温かな言葉は深く刻まれた。


 やがて周王朝は終わりを告げ、穆王も穆王に仕えていた侍女達も、偃師も皆、この世を去った。


 自動人形の青年は、人形故に老いる事がなかった。

 かと言って、人間のように、若さを謳歌するという事もなかった。


 自動人形の青年は偃師が亡くなった後、人前に出ず、工房に引きこもっていた。


 なぜか?


 ——自分は一度、大きな間違いを犯した出来損ないだ。真っ当な人間として振る舞えないのなら、世に出るべきではない。


 と、どんなに埃を被っても、工房の片隅で静かに眠り続ける事を選んだ。


 だが、次に目覚めた時、自動人形の青年は誰かの手によって運び出され、どこかのがらくた置き場に捨て置かれていた。


 自動人形の青年はごみの山に埋もれ、何度となく夜を越え朝を迎え、ずっと考え事をしていた。


 ——自分がやりたい事、やるべき事は何なんだろう?


 偃師は自慢の息子だと言ってくれたが、自慢の息子というのは、ごみの山に埋もれているものなのだろうか?


 今の自分の姿を見て、偃師が喜んでくれるとは、到底、思えなかった。


 ——どうする?


 自動人形の青年は、雨の日も風の日も、季節が移り変わっても、じっと考えていた。


 不出来な自動人形である自分は、いったい、どこで、何をすべきなのか?


 ——昔、穆王の機嫌を損ねて主人の命を危険に晒したような真似を繰り返さない為には、どうすればいい?


 自動人形の青年は、いくら考えても答えが出なかったので、まず、がらくた置き場から抜け出す事にした。


 こんな所にいても何も始まらないと、旅に出る事にしたのである。


 あてのない、果てしのない旅だった。


 自動人形の青年は、いつしか主人と同じ『偃師』を名乗り、街から街へ転々とした。


 長く険しい旅路の中で、色々な人達と出会い、様々なものを見た。


 自分のような見知らぬ旅人に対しても、親切にしてくれる人間がいた。


 善人面をしてお金を騙し取ろうと近寄ってくる人間がいた。


 自分の事しか考えていない、自分勝手な人間がいた。


 風光明媚な土地があった。


 農作物が豊かで住みやすそうな土地があった。


 だが、偃師はどんなに住みやすそうな所でも、定住する気にはなれなかった。


 もし同じ場所に長く暮らして、誰かと深く関わるような事になれば、自分の正体が、自動人形だという事がばれてしまうかも知れない。


 第一、人様に対して、また失礼な真似をしてしまうかも知れない。


 そう思って、旅を続けた。


 そして数年が経ち、数十年も経つと、いくら老いる事のない自動人形でも、古くはなるし、壊れる事もある。


 偃師は知らぬうちにどこか故障していたらしく、ある日、山道を歩いていた時、ぱたりと倒れた。


 偶然、通りかかったのは、立派な顎鬚を生やした老人だった。


 老人はどこにそんな力があるのか、気を失って倒れた偃師を軽々と抱え、近くの洞窟まで運んだ。


 どうやら老人の住まいのようで、洞窟の一画には卓子や椅子、箪笥や本棚が置かれ、湧き水を利用した台所もあり、生活に必要なものは全て揃っていた。


 老人は御簾で仕切られた来客用の寝台に偃師を横にして介抱した。


 だが、熱もなく、咳もない、ただただ死んだように眠り続ける偃師の姿を見て、違和感を感じた。


「まさか?」


 まるで美術品を見定める鑑定士のように全身をつぶさに見て、頭の天辺から爪先まで確かめた。


 作り物のように整った顔立ち、滑らかすぎる皮膚、あまりに規則正しい呼吸——老人は合点が行った顔をした。


「これは珍しい事もあるものだ。まさか、自動人形だったとはな」


 老人は感心したように言うとお湯を沸かし始め、医者のように手術用の道具を一式、用意し、偃師の体に刃を入れた。


 なんと、本当に手術を始めたのである。


「…………」

 偃師は、深い眠りに落ちたままだった。


 なぜか、蟋蟀こおろぎの鳴き声が聞こえていた。


 りーりーりー……りーりーりー……!


 蟋蟀の鳴き声は力強く美しい響きだったが、番となるべき雌を探しているのか、切なさが感じられた。


 偃師は目が覚めてから、ふと気付いた。


 今の季節、秋の虫である蟋蟀が鳴いている訳がない。


 ——空耳、か。我ながら人間らしい。


 蟋蟀の鳴き声だと思っていたものは、きっと故障したどこかの部品が軋んでいたのだろう。


 偃師は自分が絡繰り仕掛けでできている事を改めて思い知らされ、寂しいような悲しいような気持ちになった。

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