第三話 泉くんは、可愛い。(2)

「入ってもいい?」


「えっ」


 ここへ連れて来たのは男の子のはずなのに、なぜかわたしに入室許可をとる。


「準備室。入ってもいい?」


「え、あ、うん。どうぞ」


 つい反射的にそう答えれば、男の子は笑って準備室の扉を開けた。


 換気のされていない、むっとした空気が頬を撫でる。そうしてキャンバスや絵の具の独特の匂いが、準備室に入ったわたしを包み込んだ。


「俺、工藤。工藤くどう 亮太りょうた


「あっ」


 思い出した。どこかで見たことがあると思ったこの男の子は、隣のクラスの人だ。運動神経が良くて、一緒の体育の授業のときによく目立っていた。


「あ、その反応は俺のこと思い出せてなかった感じ?」


「え!やっ、あのっ」


「まぁそうだよな。まともに話したことないし」


 そう苦笑する工藤くんに、上手く言葉を返すことができず。必死に何か話さなきゃいけないと思って考えても、全然言葉は出てこない。


「……あのさ」


 そんな沈黙を破ったのは、工藤くんだった。


「いつもここで絵を描いてる…よな?」


「あ、うん」


「俺が最初にそれを見たの、一年のときなんだ」


「………?」


 工藤くんの言わんとすることがわたしには分からない。その様子が伝わったのか工藤くんはいいから聞いて、と話を続けた。


「最初はなんでこんなとこで絵を描いてんのかなって思った。もしかしたら、苛められてんのかなとも考えた」


「………」


「でも何回か見る機会があって、しばらくしてから気づいた。あぁ、ここが一番集中できる場所なんだなって」


「……うん。そうなの。この教室が好き、で…」


 工藤くんはちらりとわたしを見て、それからすぐに視線を床へと落とした。


「絵を描いてる姿…すげぇ綺麗なんだ」


「……え?」


「絵を描いてるときの顔もすげぇ真剣で、なんか上手く言えないけど……すごいって思った」


 なんだか恥ずかしい。自分が絵を描いている姿を誰かに見られていたのかと思うと、恥ずかしくなった。


「最初は先生に言われてた美術の課題を出すためだったんだけど……段々、用もないのにここの廊下を通ったりして」


「………」


「そのたびに準備室の中を廊下から見てた。でも最近、準備室に宮内がいるのを見るようになって…噂も聞くようになって…」


 ここまでくれば、綾乃に鈍いと言われるわたしにも分かる。


 きっと、工藤くんは。


「やばいと思って、正直すげぇ焦ってる。……宮内との噂、本当?」


「噂は…本当じゃない、です…」


 泉くんとわたしが付き合っているという噂。それが本当ならどんなに嬉しいか。


「瑞希のこと、好きなんだ。俺と、付き合ってください」


「………ごめん、なさい…」


 絵を描いているわたしを好きになってくれたことは、わたし自身を好きになってくれたみたいで本当に嬉しい。


 でもわたしは泉くんが好きで。


 こんなときでも泉くんのことを考えちゃうくらい、大好きで。


 だから。


「ごめんなさい…」


 工藤くんの顔が見れなくて、深く頭を下げて謝った。


「あーあ。そうだよなぁ、うん」


 工藤くんが苦笑したのが、気配で分かった。


「いや、俺もこの告白で付き合えるとは思ってなかったから大丈夫」


「…え…?」


「ショックなのはショックだけど、まぁうん。予想範囲内っていうか…や、そんなことより顔上げてよ!なんか俺が苛めてるみたいじゃん!?」


 頭を下げたままの視界の端でちらちらと、工藤くんのオロオロした様子の両手が映る。


 工藤くんのことはよく知らないけど、なぜかその様子で困り顔の工藤くんの姿が頭に浮かんできて。


「……ふふっ」


「ええ!?」


 顔を上げると同時に思わず笑みが零れたわたしを見て、工藤くんはすごく驚いた顔をした。


「あ、ごめんなさい…」


「えっ、何が!?むしろもっと笑ってほしいんだけど!」


「え?」


「瑞希の笑顔、すげぇ可愛い」


「………っ」


 思わず胸がときめいた。


「あっ、分かった!俺たち友達になろう!」


「と、友達?」


「そう!友達から始めて、俺のこともっと知っていってよ。どう?」


「…うん。工藤くんが友達になってくれるなら…」


「何言ってんだよ。俺から言い出したんだから、なるに決まってんだろ!ってことでよろしくな」


 そう笑って差し出された工藤くんの右手。


「うん。よろしくお願いします」


 わたしも右手を差し出して握手をした。


 工藤くんの手は大きくて、ごつごつしてて…なんだか急に恥ずかしくなってわたしは思わず俯いてしまった。


「ははっ、なんか照れる」


 工藤くんは、とてもいい人だと思った。

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