第11話 飴と鞭

 思わず手を伸ばしてしまう俺を見て、涼花は妖艶な笑みを浮かべると、唇に人差し指を当ててくる。


「もし私の犬になるような事があれば、この極上の料理がいつでも食べられることを、覚えておくことです。分かりましたか?」


「……」


 俺は何も言い返すことが出来なかった。ただコイツの底知れぬ力が秘められた瞳に見つめられ、身体を硬直させることしか出来ない。

 そんな俺を見て嬉しそうに微笑むと、涼花はそのまま言葉を続ける。


「貴方が私の完全なる犬になるまで、私はどんな手でも使います。何度拒まれようと、決して私は諦めません」


「……どうしてお前は、そこまでして──」


「さて、どうでしょうか」


 涼花は優雅にプチトマトを口に運びながら、俺の言葉を遮った。


「とにかく、今は食事の時間です。そんな辛気臭い話はやめて、一緒に食事を取りましょう。これは命令です」


「分かったよ……」


 どうせ有用な答えを得られないのは分かりきっているので、俺は渋々ながらもおにぎりの残りを食べ始める。だが、絶望的に美味しくない。

 さっきとんでもない物を口に入れてしまったせいで、舌が一瞬にして肥えてしまったのだ。何という破壊力。金持ちはちょっとした昼食でもあのレベルなのか。たかが卵焼き一つ食っただけなのに、病みつきになりそうだ。

 しかし涼花にまたおかずをせびる訳にもいかないので、俺は泣く泣くおにぎりを食べきった。

 コンビニおにぎり特有の謎の甘味が後味に残り、どうしようもないモヤモヤとした気持ちが湧いてくる。


 隣を見てみると、涼花がチマチマと弁当を食べていた。

 量はかなり少ないというのに、何故こんなにも食べるのが遅いんだろう。口が小さいからその分一口も小さいのか。一生懸命食べている姿はまるでハムスターのようだ。コイツの場合は思考回路が猛獣なので少し違うかもしれないが。


「お前、結構少食だよな」


「ええ、私は意地汚い駄犬とは違って、節度を守ってじっくりと味わいますので」


「お前は一々嫌味を言わないと駄目なのか?」


 率直な感想を言っただけで、何故こんなにもボロクソに言われなくてはならないのか。別に食うのが早くてもいいだろ。小学生の頃は誰もが昼食を一番早く食い終えようと躍起になっていたはずだ。別に味わってない訳では無い上に、時間短縮にもなる。

 だから早食いとは……って、一々こんなに考え込んでいたら気が滅入るな。コイツはただ俺を貶したいだけなんだ。それで快楽を得て勝手に楽しんでるような変態だ。

 これさえ無くなれば、コイツは普通にいいやつに……いや、コイツからこの性格を取ったら、超清楚系お嬢様の銀髪美少女が残るだけだな。


「嫌味じゃありませんよ。主人と犬の身の程の差を分からせてあげているだけです」


「何なんだよお前」


 相変わらずコイツの言い方は癪に障る。神楽家は一体どんな教育をしているんだろう。まだ丸焦げ食パンを食わせようとしてくるヤバイ父親を持っている人間のほうがまともに育っている。


「私は貴方の主人です。それ以上もそれ以下にもなりません」


「そうかよ」


「貴方こそ何なのですか。私はこれほど良くしてあげてるというのに、いつまで経っても飼われてくれません。おかしいでしょう?」


「何もおかしくないでーす」


「おかしいです。私はただ貴方と……」


涼花は何かを言いかけるものの、わざとらしく咳払いをして誤魔化した。

 相変わらずムカつく奴だ。どうしてここまで生意気になったのだろうか。俺も少しは反撃してやりたいな……。

 何か手は無いかと思案に浸ると、先程の涼花の言葉を思い出す。


『パートナー……でしょうか』


 くくっ、コイツは使えるな。涼花ほどのプライドが高いお嬢様なら、あんな言葉は絶対に言いたくなかったはずだ。


「まぁでも、お前は俺を”パートナー”って思ってくれてるみたいだし、別に気にしてないけどな」


 俺が揶揄うように言うと、涼花の動きがピタリと止まった。


「……」


 その顔からは完全に笑顔が消え去っていて、こちらを刺すような鋭い目付きで睨み付けていた。

 あっ、やばい。墓穴掘ったかもしれない。

 察するも遅い。涼花は弁当を地面に置くと、身を乗り出し、俺のネクタイを鷲掴みにしてきた。

 普段は基本的に一定の距離を保っているのに、今はお構い無しだ。ヤバい、これは本気でキレてる。軽い口調でいじったのが不味かった。


「……今すぐ謝罪しなさい」


 いつものような透き通った声色の中に、明確な怒りを感じる。冗談ではないということを危険信号が肌に伝わってくる。


「ごめんなさい」


 俺は即座に謝るが、涼花はネクタイを首を絞めるような形にして更に強く引っ張ってくる。そして俺の顔を上から覗き込むようにする。


「聞こえません」


「ご、ごめっ……なさっ……」


 首元が締まりすぎて上手く息ができない。だが涼花はそれを分かっていて、わざと言葉を発せないようにしている。あぁ、コイツは元から謝罪をさせる気なんてないんだな。

 涼花は機械のような無機質な瞳を俺に向けながら口を開く。


「私がいつ貴方をパートナーと認めたのですか?アレは私の名誉を守るために言っただけの建前です。微塵もそう思ったことはありません。そんなことも分からないのですか?貴方は犬です。それ以上になりうることは絶対にあってはならない」


 涼花の目は本気だった。瞳孔が信じられないほどに大きく開き、感情が無くなったように俺を見つめ続けている。その目に宿るのは、純粋な怒りだけ。


「わ……かり……まし……た……」


「……」


 俺が何とかして掠れるような声で言葉を絞り出すと、涼花は無表情のまま、黙ってこちらを見つめ続けた。


「……ふふっ、分かっているのなら良いのです。私も少々大人気がありませんでしたね」


 そう言って涼花はネクタイを離すと、元の穏やかな微笑へと表情を戻す。


「げほっ!けふっ!」


「大丈夫ですか?」


「あ、ああ……」


 俺が咳払いをして呼吸を整えると、涼花は何事も無かったかのように再び弁当を食べ始めた。

 ……あぁ、失態だ。調子に乗りすぎた。誰よりもプライドが高い涼花相手に対して今の態度は墓穴を掘るようなものだった。

 ちょっと遊んであげている犬程度にしか思っていないような人間に、馴れ馴れしく『パートナー』などと言われれば、コイツは信じられないほどキレるのは分かりきっていたはずなのに。美味い弁当を食ったせいで気が緩んでしまっていたのかもしれない。

 だが海凪には全くそういった素振りを見せない。俺とあいつで何が違うんだ?ほぼ同時期に交流を持っていたというのに、どうしてこれほどまでに差がついたのか。未だに理解出来ない。


「あら、随分と深刻な顔ですね。貴方のような忠犬には不相応な表情ですよ。主人の前では明るく居てください」


 涼花はまるで先程までの記憶が全て消去されたかのような素振りだった。


「……」


 穏やかな表情で、弁当を食べる涼花。そんな彼女を訝しむ目で眺めながら、俺は静かに冷や汗を流す。


 ──お前は一体、何を考えているんだ?

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