二章 まさかの内定
2-1 求人
三年生の学年集会は、柔道場で行われた。山口のことは、前回の全校集会で通達があったばかりだ。それなのに、この時期のこの学校で、三年生の学年集会の話題と言ったら、就職しかない。学年主任が、マイクを持って前に立つ。
「残念なお報せがあります。昨日、大口の内定先が一つなくなりました」
ざわざわと漣が立ち、不安そうに皆が顔を歪ませる中、俺は山口のことでいっぱいだった。そして、教師や学校というものは、非情なものだと思っていた。人間一人が死んだというのに、葬式への参列も学校名を理由に断られたくせに、もう過去のことのように扱われている。実際、もう過去のことだが、人間一人を忘れるのに一か月もかからないものなのだろうか。
「君たちの先輩が、過去に内定を貰った企業でしたが、その先輩が、髪を染めて、ネイルをして、作業着を着崩していたとのことです」
その大口の就職先というのは、菓子メイカーの製造工場だった。髪の色はとにかくとして、ネイルは危ないと俺でも分かる。折れたり、落ちたりして、菓子の中に混入すれば、異物混入事件として大ごとになる。服だって、糸一本入ってしまえば、異物混入事件だ。
「上司の方は、何度も注意をしたそうですが、全く聞き入れず、しまいには仕事を無断欠勤していたそうです」
この高校の先輩らしい反応だが、中止されたからと言って、無断欠勤はさすがに子供っぽく聞こえた。
「その上、電話で勝手に辞めると言って、制服をクリーニングしないまま会社に送り付けて来たそうです」
これはもう、嫌がらせだろう。企業側が怒るのも無理はない。
「このことから、企業側は二度とうちの高校から内定者は出さないそうです。求人票も、もちろん今年から出ません。いいですか? 君たちが就職した後でも、問題があれば、後輩がこのような目にあうのです。しかと肝に銘じておくように」
この高校に、初めから求人を出さない企業は多い。それなのに、慈悲で求人を出してくれている企業が、一つ減ったのだ。高校にとっては大打撃だろう。それにしても、もう既に、内定者向けの話しぶりには苛々した。まるで、まだ内定を貰っていない人間は、いなかったかのように、学年集会は終わった。
学年集会が終わり、教室に戻ろうか迷っている俺の背中に、大きな声がぶつかってきた。
「おい、佐野!」
学年主任の声だった。その後ろには、進路指導室の教師も控えていた。
「佐野、ちょっと進路指導室まで来い」
「うっせえな。俺は就活なんてしねぇんだよ」
「そんなこと言うな。もう、内定がないのはお前と数人しかいないんだぞ?」
その数人の中に俺が含まれていたことに、わずかながら驚き、狼狽える。
「お前の親御さんからも、心配する電話がかかって来てるし」
やはり、俺の人生を決めるのは俺ではなく、鬼であるらしい。我が家は鬼が島だ。確かに、鬼ヶ島から脱出すれば、本当の自由が待っているかもしれない。そんなことを考えて、俺はおとなしく進路指導室について行った。
いつも通り挨拶もせずに部屋に入ると、机の上に一冊のクラフトファイルが置いてあった。しかも、薄いファイルだった。クラフトファイルでなくても、普通のクリアファイルで事足りるのに、体裁を整えようとしているように見えた。俺は学校の、この体裁を大事にするとことが気に食わないと日々思っていたので、この時点でかなり不機嫌だった。座れと言われなくても、目の前の椅子に勝手に座る。学年主任も進路指導の教師も、俺を見えて、これだから就職なんてできないと思っているに違いない。学年主任も、パイプ椅子に座り、進路指導の教師も、俺を向かい合って座った。
「残り物には福があるって言うけど、残り物すらなくなったら、意味がないぞ」
何を思ったのか、学年主任は俺が日頃思っていたことを、最初から切り崩した。ぼんやりと、残り物には福があるから、何とかなると思っていた節がある。しかし少し考えれば、今年の求人倍率は高卒には厳しいのだから、残り物の争奪戦になることも分かるはずだ。俺の表情を見て、心理指導の教師はため息を吐いて、机の上にあったファイルを俺に寄こした。そして、衝撃的なことを言った。
「今回の求人は、もうこれで最後ですよ」
「え?」
受け取ったファイルの軽さに、愕然とする。慌てて中身を確認すると、求人票が三枚だけ挟んであった。いくら捲って数えても、たった三枚だった。
「あるだけ有難いと思えよ」
学年主任は腕を組んで、重々しく言った。いつもの俺なら、その教師の横柄な態度に食ってかかっているところだが、今はそれすら忘れていた。求人票が三枚ということは、企業が三つ残っているということではない。同じ企業が、部門別で求人票を出していることもあるため、一つの企業が何枚か求人票を出すこともある。俺は企業名を確認した。三枚とも同じ企業からの求人で、部門は清掃業となっている。皆が避けた求人だ。俺だってこんな仕事は御免だ。しかし、この企業しかもうないのだ。
「とりあえず、エントリーシートだ。履歴書でもいいと言っている」
ここでやっと、俺の収束活動は始まった。公園で出会った紫ババアを思い出す。そして、その紫ババアにしてしまった俺たちの悪行も、同時に思い出す。まさか、自分が紫ババアの立場になるとは、想像していなかった。
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