ジャスティス

maria159357

第一正【遠い夕立】








       登場人物


          冰熬 ひごう


          祥哉 しょうや




          袮颶嶺 ちぐね


          焔紫 えんし


          火鼎 ほてい






          丗都 せと


          琴桐 ごんどう






























 英雄とは自分だけの道を歩く奴のことだ


           坂本 龍馬






































 第一正【遠い夕立】




























 放浪者と呼ばれている男がいた。


 その男は国を転々とし、拠点を持たない旅人として知られていた。


 そんな男がある国で一定期間留まっていたのは、ある程度の人間なら周知の事実。


 しかし、やはり一か所に留まることなど出来ない男は、また別の国へと赴いていた。








 「薇麗咫?」


 「ああ。この国の大将だ。薇麗咫家っつって、結構長い間続いてる名門らしいが、先に言っとくけどよ、目立ったり喧嘩売ったりするんじゃねえぞ?」


 「しないよ」


 「どうだかな」


 「てか、あんた何?もしかして、怖いの?その薇麗咫家の奴らとやり合うのが怖いんだ?だから忠告してるんだ?」


 「生意気言ってんじゃねぇよ。この歳で面倒事に巻き込まれるのは御免なんだよ。悠悠自適な隠居生活送らせろっての」


 「はいはい」


 そんな放浪者の男、冰熬に着いてきたのは、一つ前に立ち寄った国で出会ったというのか、冰熬を探して同じく旅をしていた若者、祥哉だ。


 彼には弟がいたが、その弟は冰熬を守る為に命を落としてしまった。


 いつかは冰熬を亡きものにしてやると言って、祥哉は冰熬の身の周りの世話を始めた。


 どうしてそうなった、とかの質問は受け付けないが、祥哉は以前ほど冰熬に恨みなどは持っていないようだ。


 「で、なんでこんなに買いこむ必要があるわけ?」


 「なんでってお前、そりゃ喰いもんが無けりゃあ俺ぁ死ぬだろう」


 「そのくらいであんたが死ぬ弾には見えないよ。それに、死んでくれたら俺にとっては好都合だ」


 「若い奴は薄情だよなぁ。ちょっと重いもん持たされたくれぇで、年上に対して心が痛むようなことをズケズケと」


 「普通の人なら2、3人がかりで持つ量を1人で持たされてるのにちょっとなんて言わないし、心を痛めるほどあんたの心は脆くない、むしろ防弾だから安心しろ」


 「あ、あっちに肉があるな」


 「聞いてないし」


 はあ、とため息を吐きながら、冰熬が次々に購入していく食料や、少しの間だけ必要となる生活品などを、祥哉1人でなんとか持っていた。


 冰熬はお茶屋を見つけたようで、店の中で販売している店の主人とお茶について何やら語っていた。


 その間、暇になってしまった祥哉は、適当に店の近くを歩きまわる。


 ウロウロしていると、何やら騒がしい場所があり、そこへと近づいて行く。


 「ばあさんよ、俺の前で杖ついて歩いてんじゃねえよ。邪魔なんだよ」


 「す、すみません。何分、足が悪いもんで」


 「ああ?んな言い訳してんじゃねえよ。どけよ、だから年寄りって嫌なんだよ。邪魔だし臭えし、まじ有り得ねえ」


 「すぐにどきますので・・・」


 「動きも遅ぇし・・・よっ!!!」


 「あっ!!」


 足が不自由な老婆が杖をついて歩いていたのだが、そこへ1人の男が通りかかった。


 男は赤い髪をしており、後ろで一つに縛っていた。


 目が黒く、耳にはピアスをつけており、首にはネックレスとつけていて、どちらもシルバーだった。


 冰熬に言われた通り、目立たないようにと祥哉はそこから姿を消そうとしたのだが、男が老婆の杖に足を引っ掛け、老婆が転んでしまうのが視界の端に見えた。


 そして視線だけそちらに向けると、男は倒れてしまった老婆に対し、嘲笑い、その老婆を踏みつけていた。


 回りにも人が大勢いるというのに、誰一人として助けようとしない。


 いや、助けようとしているのかもしれないが、足が動かないのか、見て見ぬふりをするしかないのか。


 男がしばらく老婆を蹴っているのを見て、初めは目を逸らしていた祥哉だが、本当に絶えたのだが、我慢できなくなってしまった。


 「おい、何してんだよ」


 「ああ?なんだお前」


 祥哉が両手に沢山の荷物を抱えた姿で登場するや否や、男だけでなく回りの観衆たちもなんだなんだとざわめく。


 「初めて見る顔だな。俺のことも知らねえとなると、他所者か?」


 「だったらなんだ」


 「他所者が俺にたてついたらどうなるか、分かってんのか?」


 「知らないよ」


 「生意気な野郎だ」


 ちっ、と軽く舌打ちをした男の名は、焔紫というらしい。


 どうして分かったかと言うと、周りの観衆たちが、こんな会話をしていたからだ。


 「おいおい、あいつ正気か?」


 「相手は焔紫様だぞ?殺されちまうよ」


 「放っておこうぜ。俺達まで巻き込まれちゃたまんねぇよ」


 焔紫という名前だけでなく、”様”までつけているところを見ると、きっと冰熬が言っていた、薇麗咫家の者だろうか。


 いや、だからといって、男が老婆をいたずらに罵っているところや暴力を振るっているところを見て、そのまま立ち去る方がどうかしている。


 祥哉は男、焔紫の正面に立つ。


 焔紫は老婆を強く蹴飛ばすと、老婆の身体を踏みつけて祥哉の方へと近づいてきた。


 「お前、名前は?」


 「常識として、人の名前を聞く前に自分から名乗るってことくらい、知っておいた方が良いぞ」


 「はっ。この国で俺の名前を知らねえ奴なんて普通はいねぇんだよ。この国では俺の名前を知ってるのが常識だ」


 まあいいや、と言って、結局焔紫は自分の名前を知らない人がいるのが嫌なのか、自分の名前を言った。


 知ってはいたが、祥哉は一応聞いていた。


 祥哉も自分のことを名乗ると、焔紫は祥哉のことを上から下まで舐めるように見ていた。


 はっきりいって、とても居心地が悪い視線ではあったが、荷物を持ったこの状況では何も出来なかった。


 しかし、そんな祥哉に対し、焔紫は遠慮なくこう言った。


 「お前ムカつくから殴るわ」


 言い終わるよりも、焔紫が祥哉を殴る方が早かっただろうか。


 両手が荷物で塞がっていた祥哉は、焔紫の拳を受けた。


 顔、お腹、後ろに回って背中などと、祥哉が抵抗することも逃げることも出来ないのを良いことに、焔紫はまるで見世物のように祥哉を殴って行く。


 口の中が切れて血が出てきても、祥哉が片膝をついてしまっても、誰一人として助けようとせず、助けを呼ぼうともしない。


 これがこの国の現状かと、見かけよりも強烈なパンチを繰り返す焔紫に、祥哉は意識を手放しそうになった。


 「おいおい、このくらいでダウンか?俺はまだまだ殴り足りねえってのによ。さっきまでの威勢はどうしたんだ?」


 「うる、せぇよ」


 「まだ元気みてぇだな」


 祥哉が返事をすると、焔紫はニヤリと笑い、さらに祥哉を殴り続ける。


 通常であれば、殴っている側も腕が痛くなったり疲労が見えるものだが、この男、焔紫はまだまだ平気そうだ。


 拳が痛い様子もなく、疲れている様子も全くと言ってよいほどない。


 よほど殴り慣れているのだろうか、祥哉は殴られ続けながらも、ただただ手を出せたらどれほど楽になれるかと考えていた。


 そのとき、ようやく、やっと、声が聞こえた。


 「いねぇと思ったら、こんなところにいやがったのか、祥哉」


 「・・・遅ぇよ。どんだけくっちゃべってたんだよ」


 「茶葉について話してたんだよ。それにしても、この状況は一体どういうこった。あれだけ目立つ行動は控えるように言ったはずだが」


 気に入ったお茶っぱが見つかったのか、冰熬は手に茶色の袋を持って現れた。


 祥哉と祥哉の前にいる男、そして周りの観衆たちを一瞥すると、全てを悟ったらしく、冰熬はとりあえず祥哉に近づく。


 大丈夫かと祥哉に声をかけている冰熬を見ていた焔紫は、標的を変えた。


 「お前も他所者か。なら、俺がこの国を統治する薇麗咫家の次男、焔紫だってことも知らねえ田舎者か」


 「よくまあここまで大人しく殴られたもんだな」


 「この国に入ったからには、他所者だろうとなんだろうと、俺に逆らう奴は誰だろうと赦さねえぞ」


 「散々殴ったんだ。この辺で赦しちゃくれねぇかい」


 「ダメだな。そいつは生意気な目を俺に向けたんだ。それに、俺がババアを蹴ったくらいで喧嘩売ってきやがったんだ。制裁を加えるのは当然の報いだろ?」


 「生意気な目つきは前からだ。反撃もしねぇ奴をこれだけ殴りゃあ充分だろ」


 「なら、お前が代わりに殴られるか?」


 話にならないと冰熬がため息を吐き、祥哉を立たせようとしたとき、焔紫が何かに気付いた。


 興奮したようにジャンプをしながら、冰熬を指さしてこう言った。


 「お前!!記事で見たことあるぜ!!冰熬とかいう国潰しの烏だろ!?ちらっとしか見たことねえけど、確かに銀髪!!俺と勝負しようぜ!」


 「人違いだ」


 「謙遜するなって。最近は弱い奴しか相手にしてなくて、強い奴を相手にするなんて久々なんだからよ!!愉しませてくれよ!!」


 そういうと、いきなり焔紫は冰熬に殴りかかってきた。


 それを避けるかと思いきや、冰熬は顔面から受けた。


 「!?」


 これに驚いたのは祥哉だけではなく、殴りかかった本人でもある焔紫も、避けられると思っていたためか、目を見開いていた。


 しかし、すぐに悪魔のような笑みを浮かべると、祥哉同様に一切抵抗も反撃もしない冰熬を相手に、殴り続けた。


 割合でいうと、祥哉を1としたら、冰熬は5くらいの多さだっただろうか。


 少し疲れてきたのか、焔紫は近くにあった武器屋から勝手に持ってきたバットで、数十回冰熬を殴ると、さらに鞭を持ってきてそれで叩く。


 冰熬は皮が剥けてきて、そこからは血も出ているし、何十回も殴られた箇所は青くなっていた。


 「はあ・・・はあ・・・。さすがに疲れてきたな。そろそろ止めでも刺しておくか。ここでお前を倒せば、俺が、俺の国が、名をあげられるってもんだ」


 流血や痣が目立つ冰熬も、足元が少しだけフラフラとしてきたのが、祥哉には分かった。


 狂人とも言える焔紫の動きに、祥哉も助けに入りたいところではあったが、身体中が痛くて動けない。


 自分が持っていた荷物も地面に落ちて散らばり、それらには自分のものか冰熬のものかも分からない血がついている。


 そんじょそこらの男になら、いくら殴られても平気だった祥哉だが、焔紫という男、人を殴り慣れているようだ。


 一切の躊躇もなく殴り続けている姿は、あどけない子供のようだというのに。


 焔紫が最後の一発だと言って、冰熬に向かって斧を向けた。


 武器屋の亭主がきちんと手入れをしているようで、斧はキレ味が鋭そうに見える。


 そしてその斧を、焔紫は思い切り振りあげると、冰熬に向かって下ろす。


 「・・・・!!!!」


 まるで薪を割るかのように、真っ二つになるところだった冰熬だが、祥哉が投げ着けたリンゴのお陰で、手元が狂った焔紫の腕は、冰熬の肩を掠めた。


 それでも重症になったのは変わりなく、冰熬の身体からは血があふれてきて、それを見て満足そうに焔紫は去って行った。


 すると次々に消えて行く住人たち。


 祥哉は冰熬のもとに駆け寄ると、ひとまず生きていることだけは確認できた。


 そして、雨が降り始める。


 「おい!あんた、こんな馬鹿げた国で死ぬつもりじゃないだろうな!!俺に殺されるまでは死なねえんだろ!?」


 冰熬の身体を揺さぶりながら叫ぶように声を出すと、冰熬はゆっくりと目を開けた。


 「うるせぇよ。貧血になりそうなんだから、あんまり騒ぐんじゃねえ」


 口はまだ動くようだが、冰熬の顔色は悪くなっていく。


 祥哉はすぐに冰熬の腕を自分の首に回し、背中を支えるようにして歩きだす。


 見つけておいた、古びた古民家。


 あそこまで行けばなんとかあるかもしれないと、雨に身体を震わせながら、ただ、痛めた足のことさえ忘れて歩き続けた。








 なんとか古民家まで辿りつくと、祥哉はすぐに冰熬を横にする。


 出血のせいなのか眠いのかは分からないが、冰熬は目を瞑ったまま起きないため、祥哉は囲炉裏に火をつけて部屋を暖める。


 布団を被せて体温が奪われないようにするが、これ以上はどうしたら良いのか分からない。


 待てど暮らせど、冰熬は起きない。


 ただ息をしていることだけをこまめに確認するしかなかった。


 そんなとき、祥哉は思い出した。


 「・・・・・・」


 冰熬が以前、祥哉に言っていたこと。


 それは一つ前の国で、冰熬が珍しく風邪をこじらせたときに言っていたことだ。


 『俺に何かあったら、琴桐を頼れ』


 その時は、何を馬鹿なことを、風邪くらいで弱気なことを言っているのだろうと鼻で笑っていたが、今となってはそれが懐かしい。


 「・・・・・・」


 何かを覚悟した祥哉は、冰熬が決して使うことはないが、そこに置いてあることは知っていたものを背負う。


 背負って初めて気付いた、それの重さ。


 金属ががちゃん、と冷たい音を響かせると、同じく冰熬は使う事がないが、そこにあるもう一つのものを腰にセットする。


 「よし」


 背中に背負ったのは、剣で、腰に用意したのは銃だ。


 どうして冰熬がこんなものを持っているかと言うと、それは武器という武力の象徴を身近いに置いておくことで、戒めとしているようだ。


 背負っている剣の紐の長さを調整して、銃も見えないようにホルダーの中に入れる。


 ちらっと後ろを見ると、そこにはまだ目を開けることがない冰熬の姿。


 何も言わずに戸を開けると、静かに閉める。


 「行くか」


 以前なら、1人でまた焔紫に戦いを挑みに行っていたであろうが、今は違う。


 勇敢であるのと無謀であることの違いは、嫌というほど冰熬に言われてきたし、祥哉自身、身に沁みて分かっているから。


 きっと、冰熬が本気を出せば、焔紫などに負けることは無かった。


 それでも冰熬は手を出さなかった。


 ただじっと、黙って殴られ続けたのは、力だけでねじ伏せられるものは大したことがないと、そう言いたかったのだろう。


 それでも、正直言うと祥哉は悔しかった。


 冰熬なら勝てたと思ってしまう自分も悔しいし、あんな男に黙って殴られることしか出来なかったことも悔しい。


 その国にはその国のやり方や生き方があるだろうが、気に入らないものは気に入らないのだから仕方がない。


 ああいう男には、力で対抗するしか方法はないのだろう。


 祥哉はそんなことを想いながら、一度国を出ることにした。








 「焔紫、お前また大勢の人の前で暴れたんだって?」


 「なになに、もう知ってるの?やっぱ俺って有名人?」


 「ふざけるな。お前はこの薇麗咫家に泥を塗る心算か。先日の各国会議でも、父上はお前の暴走について説明をしろと言われたらしいぞ」


 「袮颶嶺は相変わらず真面目だなー。平気だって。もしも戦争ふっかけてくるなら、俺が全員ブン殴ってやるよ」


 「お前は政治ってものが全然分かってないな」


 焔紫が城へと帰って部屋に戻ると、そこには男が2人いた。


 1人は、焔紫が帰ってきたと分かると、すぐに説教に入った。


 その男は紫の髪に金の目をしていて、焔紫の兄、つまりは薇麗咫家の長男である袮颶嶺という。


 もう1人の男はソファに座りながらクッキーを食べていた。


 男は濃い青の髪に目は金で焔紫の弟、つまりは三男、名は焔紫がこう呼んでいた。


 「火鼎だって、こんな城でダラダラ過ごしてるなら、下々のところに行ってストレス発散したよな?」


 「焔紫と一緒にしないでほしいね。俺はそんな体力の無駄遣いしないから」


 「ああ!?てめぇ、俺のこと今侮辱しやがったのか!?」


 「だったら何?」


 「クソガキ!今すぐ殺してやるよ!!」


 「はいはい、2人とも落ち着け」


 焔紫と火鼎が喧嘩しそうになったため、長男である袮颶嶺が止めた。


 そして、焔紫の手を見てこう言った。


 「そんなに手の甲が擦り切れるまで殴ったのか?相手死んだんじゃないか?」


 焔紫自身気付いていなかったようだが、焔紫の手の甲は、祥哉と冰熬を殴ったせいで、少々腫れあがっていた上に、少々痙攣もしていた。


 それを見て、焔紫は楽しそうに笑う。


 「そうそう!この国に、あの冰熬が来てたんだよ!!それで面白くてついついいっぱい殴っちまったんだ」


 「冰熬って、あの冰熬か?」


 「ずるい。俺もやりたかった」


 冰熬を殴ったことも、その冰熬の前に1人、祥哉とかいう男も殴ったことを話した。


 意外と2人とも頑丈で、冰熬のときには、普段なら焔紫は使わない武器も使ったことを言うと、反応を示したのは袮颶嶺だった。


 「冰熬を倒したのか」


 「いんや。多分死んじゃいないだろうな」


 「確認はしなかったのか」


 「だって雨降ってきたし。俺濡れるの嫌じゃん。けどあれだけ血ィ流してれば、多分すぐには治らないよ」


 それに対して、火鼎は舌打ちをする。


 「焔紫っていつも抜け駆けするから嫌い。まじで最悪。まじで馬鹿。まじで愚か」


 「てか火鼎、俺一応お前の兄貴だからな?名前で呼ぶなって何度言ったら分かるんだよ」


 「兄貴って呼んでるよ。ねえ兄貴?」


 「そっち俺じゃないから。袮颶嶺だから」


 「焔紫だって兄貴のこと袮颶嶺って呼ぶじゃん。何が悪いわけ?尊敬もしてないし年上だと思ってないし、敬えないし。てか一々五月蠅いし」


 「この野郎・・・!!」


 またもや喧嘩になりそうになったため、袮颶嶺が焔紫と火鼎、双方の顔面に手を当てて強引に止める。


 冰熬のことは記事で多少なりとも読んだことはあるが、実際どういう人物かは知らない。


 それに、冰熬は基本1人で行動すると聞いていたから、一緒にいた男は一体何者なのかも気になるところだ。


 焔紫にそのことを聞いてみると、特別覚えていることはないそうだ。


 髪の色が青だったことだけ覚えていた。


 強いか弱いかを聞かれても、その祥哉とかいう男は両手にこれでもかというほど荷物を持っていたから、焔紫に攻撃をすることは出来なかったのだ。


 だからこそ一方的になってしまったのだが、そんな状況など関係ない。


 どんな方法であってもどんな状況であっても、勝ちは勝ちで負けは負け。


 「でも結局のところ、焔紫は冰熬を殺さなかったんだ?」


 そう言ったのは、火鼎だ。


 少々棘のある言い方をすると、焔紫は頬を引き攣らせながら答える。


 「あのなぁ・・・!!大体、俺のこの拳をあれだけ受けて、立っていられる方がどうかしてんだよ!!冰熬にしても、あの祥哉って奴にしても、頑丈だったんだよ!!」


 「へえ、それって言い訳?焔紫の力が弱かったんじゃないの?俺なら、冰熬は分かんないけど、祥哉って奴くらいなら殺せた自信あるけど」


 「はっ。お前は馬鹿力なだけで、殴り慣れてねぇだろ。俺みたいに100発人間を殴って見ろよ。絶対ぇその前にお前は体力切れになるからな」


 「100発も殴ってるわけないじゃん。馬鹿なの?そんなに殴ったらさすがに人間なら死ぬでしょ。死んでないんだからそんなに殴ってないよ」


 「分かってねぇな。だからあいつら頑丈だって言ってんじゃねえか。それにお前、俺が人を殴った最高記録知ってんのか?」


 「知らないよ。興味ないし」


 「114発だ。ちなみに今回だ。いつもなら10発も殴りゃあ、どいつもこいつも泣きながら謝ってくるってのに、あの野郎全然頭も下げねえし、倒れねえんだ。ま、けど冰熬もやっぱり歳ってことだな。前の冰熬ならきっとやり返してきたよな?」


 ケラケラ笑いながらそういう焔紫に対し、袮颶嶺は顎に手を当てながら何か考えていた。


 足を組みながら、冰熬を殴ったことを武勇伝として火鼎に話している焔紫に向かって、袮颶嶺は口を開く。


 「冰熬って男は、そういう男だってことかもしれない」


 「は?何言ってんの?」


 「冰熬は前からそんなに手を出す男じゃなかったはずだ。国崩しだの国潰しだの言われてた時だって、あの男はやり返すってことはしなかったはず・・・」


 そんな袮颶嶺の言葉に、焔紫は首を傾げながら聞く。


 「よくわかんねぇんだけど」


 「なんていうか、攻撃をされて、それを払いのけたり塞ぐってことはしたけど、攻撃するってことは無かったんじゃなかったか?」


 「なにそれ。誰情報?」


 「俺も人伝にしか聞いてないけど、だから厄介なんだとか」


 「厄介って?」


 「さあ?」


 「よくわかんねぇ」


 頭を使う事があまりない焔紫は、眉間にシワを寄せながら、テーブルに置いてあったクッキーを掴もうとする。


 しかし、火鼎によって手を叩かれてしまい、手に入れることは出来なかった。


 手を叩かれた焔紫は、火鼎を睨みつけるが、その頃にはもう火鼎はクッキーを抱えて食べていた。


 「てめぇっ!!!いつもいつも菓子ばっかり喰ってんじゃねえよ!!!昼間から外にも出ねえで、そうやって喰っちゃ寝喰っちゃ寝してるから、色が白いんだよ!!!」


 「何それ僻んでんの?色が白いのはもとからだし、無駄に黒くしても意味ないっしょ。それから、このお菓子は親父が末っ子の可愛い俺にってくれたもんだから、焔紫にあげる義理はないんだよ」


 「ぐぬぬ・・・。袮颶嶺、長男だろ。なんとか言ってやれよ」


 「火鼎、親父じゃなくて父上って呼ぶように言っただろ。それから、なんで婚礼の話断ったんだ?悪い話じゃなかったんだろ?」


 焔紫が望んでいた言葉とは違っていたが、もういい加減叫ぶのは疲れてしまったようで、焔紫は大人しくソファに腰掛けた。


 拗ねて唇を尖らせるが、そんな焔紫には気付いていないのか、それとも気付いていながら無視しているのか、とにかく袮颶嶺も火鼎も何も突っ込まなかった。


 「だって、あれってもともと兄貴のとこにきた話でしょ?なんで俺んとこきたわけ?」


 「俺はまだ結婚する気がないから」


 「ほらでた。兄貴の我儘じゃん。それで焔紫を飛び越えて俺んとこにきたんでしょ?なんで俺があんな自分のことを可愛いと思ってるような面倒臭い女と結婚なんかしなくちゃいけないの」


 「え、ちょっと待てよ。俺を飛び越えたってどういうこと?え?兄貴んとこにそんな話来てたっけ?てか、なんで次火鼎のところに話が行くわけ?」


 袮颶嶺のもとに婚約の話が来ていたことも、それが火鼎のもとに移動したことも、焔紫は知らなかったようだ。


 拗ねていた唇ももとに戻ると、焔紫は首を傾げて思い出すように考えていた。


 そんな焔紫の反応にもお構いなしに、袮颶嶺と火鼎は話を続ける。


 「別に俺が長男だからって、俺が一番先に結婚しなくちゃいけないってことはないだろ?それに、一度会ってみたけど良い子だったよ。火鼎となら上手くやれると思ったんだけどな」


 「うわ、最悪。良い子だと思ったなら結婚してよ。それに、何を基準にして俺と上手くいくと思ったのか知らないけど、余計なお世話だよ。俺と兄貴の趣味は絶対違うから。てか何?そんなに早く俺をこの家から出したいわけ?」


 「相変わらず捻くれてるな、火鼎は。お前は可愛い弟だぞ?家から出てほしいなんて思ってないけど、いつかはそうなった方が幸せなんだよ」


 「・・・俺は?」


 焔紫がひょこっと、会話をしている袮颶嶺と火鼎の間に割り込むようにして顔を出せば、それを見て袮颶嶺が笑う。


 「火鼎も焔紫も、可愛い弟だよ。だからこそ、結婚して、そこで早く国を背負う立場になってほしいんだよ」


 袮颶嶺は、近くにいた焔紫の頭を数回わしゃわしゃと撫でると、足を進めて火鼎の前まで行き、火鼎の頭に手を置いてぽんぽんと優しく撫でた。


 そんな子供扱いされたものだから、焔紫はともかく、火鼎は嫌そうに袮颶嶺の手を払いのけると小さく睨む。


 「分かってるよ。この家を継ぐのは、絶対に兄貴だもん。俺も焔紫も、いつかは婿養子になるけど、俺だってまだ結婚なんて眼中にないって」


 「そうだな。悪かった。で、焔紫、何か言ってたっけ?」


 ふと、焔紫から何か重大な話を聞いていたような気がすると思いだした袮颶嶺が聞くと、焔紫は首と手を振りながら答えた。


 「ああ、もういいよいいよ。冰熬だろうと祥哉だろうと、俺がなんとかするって話だったから」


 「そんな話はしてないでしょ」


 「まあいいさ。あ、俺は父上に呼ばれてるからちょっと行ってくる」


 そう言って、袮颶嶺は部屋から出て行った。


 長男がいなくなった部屋では、次男と三男がこんな会話をしていた。


 「兄貴が親父んとこって、またなんか重要な引き継ぎでもあるのか?」


 「俺が知るわけないでしょ。親父は兄貴を一番可愛がってるからね。自分には絶対服従の兄貴を。俺は別に不自由なく暮らせればそれでいいし、焔紫は適当に生きていけるし」


 「なんだそれ。てかあれだよな。お前は単に、おふくろの方が好きなだけだもんな」


 茶化すように笑いながら言う焔紫に、火鼎は空になったクッキーの容器を投げつけた。


 普段なら焔紫がキレて大乱闘になるところだが、今日の焔紫は先程体力を使ったからか、火鼎に投げ返しただけで終わった。


 それから少しの間だけ沈黙していたが、暇になった焔紫が、火鼎に対して何やら小馬鹿にするような言葉を発したらしく、火鼎は自分が座っていた椅子を持ちあげて投げつけた。


 焔紫がそれを避けてしまうと、焔紫が座っていたソファを持ちあげ投げるが、その音に気付いた袮颶嶺が部屋に戻ってくると、焔紫と火鼎を正座させて説教を始めたため、落ち着いたようだ。








 「ああ、もうダメだ・・・。見つからない。てか、あいつ俺に嘘吐いたんじゃないだろうな。頼れって言ってたけど、そんな奴の話ちゃんと聞いたことないし・・・」


 冰熬が倒れてしまい、祥哉は人探しをしていた。


 かれこれ、5日ほど歩き続けただろうか。


 それが短いのか長いのか、今まで幾つかの国を回ってきた祥哉からしてみるが、短い方、としか言えない。


 だからといって近いという場所でもなく、飲まず食わずでは限界を越えていた。


 冰熬が頼れと言っていた男がいると思われる場所にようやくついて、喉を潤そうと店に入って水を何杯も飲んだ。


 店の者からしてみると、とても異様な光景であって、変な客だな、と思われたことだろうが、そんなことを気にしている場合ではないのだ。


 「何かご注文は?」


 「あ」


 そういえば、金を持ってきていなかったと気付き、祥哉は申し訳なさそうに謝りながら店を出た。


 水分を摂取したからか、祥哉の身体はひとまず生命を維持出来たようで、人気のない路地裏で一息ついた。


 背中に背負った剣も、腰にぶら下げている銃も、自分には関わるなと牽制するためのものでしかない。


 しかし、腹が減ってはどうしようもなく。


 祥哉のお腹は空腹のあまり、人のものとは思えない音を奏でていた。


 「はぁ・・・」


 ただ、ため息しか出なかった。


 生きている中で、これほどまでに空腹を感じることがあっただろうか。


 貧しい暮らしではあったが、毎日きちんと食事は取れていたし、祥吏という弟と一緒に食べれば、それだけで満足出来た。


 祥吏が亡くなってすぐの頃は、確かに食欲は無くなったのだが、人間とは不思議なもので、どんなに苦しくて悲しい状況にあったとしても、腹は減るのだ。


 冰熬を見つけるまでの間だって、一日一食だったことはあっても、零はなかった。


 「あーーー!!!!!!くそっ!!腹減ったーーーーー!!!!」


 空腹で活力など沸いてこないはずだが、あまりに辛くて叫ぶことは出来た。


 額に手を当ててぐしゃっと髪をかきあげ、その場にしゃがみこんだ。


 こんなことをしていても、何も変わらないことは分かっているが、叫べば祥哉の中のもやもやが少しでも吹き飛ぶのではないかと思っていた。


 「ほれ」


 「は?」


 顔を下に向けていたからか、いや、それだけではないだろう。


 すぐそばに来ても、人の気配に気づけないほど空腹を感じていたのかと、祥哉は顔をあげた。


 そこにあったのは、白くて温かそうなものだった。


 「嫌いか、あんまん?」


 「嫌いじゃないけど・・・」


 「じゃあ喰えよ!腹減ったー!って叫んでたろ?」


 差し出されたものを奪う様に手に取ると、祥哉はあんまんを貪るように食べた。


 食べ終えるともう1個、またもう1個と差し出されたため、祥哉は次々にそれを受け取って口の中へと放り込んで行く。


 気付けばお腹は満腹になって、祥哉はお腹を押さえて壁に寄りかかった。


 「あ、ありがとう・・・」


 御礼を言おうと、正直まともに見ていなかったその人物へと顔を向ける。


 男はにかっと笑みを見せる。


 オレンジの髪は後ろで1つに縛っているが、髪が短いのか小さくはねている。


 それよりも目につくのが、右目が青、左目が緑というオッドアイの持ち主のようだ。


 動物なら見た事があるが、人間がこのような目なのか珍しいとじーっと見ていると、その男がぶら下げている袋の中に、あんまんがぎっしり入っているのが見えた。


 「俺は丗都。見ての通り、あんまんが大好きな通りすがりだ」


 「俺は、祥哉。ちょっと人探しをしてて。御馳走様でした」


 「良いってことよ。何処から来たんだ?」


 祥哉は国の名前を出すと、丗都は驚いた表情をみせた。


 「そんなとこから来たのか!?そりゃあ腹も減るわな。で、宿は見つけたのか?そろそろ暗くなるぞ?」


 丗都の言うとおり、空は徐々に暗くなっていた。


 女性ならまだしも、祥哉は今日まで野宿も何回もしてきたため、宿を見つけようなどとは思っていなかった。


 適当にその辺で寝ようと思うと伝えると、丗都に止められる。


 「この国で野宿は勧めねえよ?なんでって、この国は治安が良くないからな。悪くもないが、その辺で寝てるとボコボコにされるかもしれないし、いきなり謎の液体をかけられるかもしれないし、殺される事はないとは言い切れない。それから、不審者だっつって、警察に捕まることもないとは言えないからな」


 「・・・・・・けど、この辺に宿なんて」


 「ないな。この国は旅人にゃあ不向きなんだよ」


 そう言いながら、まだ持っているそのあんまんを口に頬張る丗都。


 それに、剣や銃を持ってると、それこそ変な輩に絡まれたりするぞ、と忠告を受けたため、祥哉はどうしようかと悩んでいた。


 祥哉のそんな様子を見ていた丗都は、口の中のあんまんが無くなると、こう言った。


 「じゃあ、俺んとこ泊まるか?」


 「は?」


 「いやだから、俺んとこ。宿もないし」


 「・・・俺、そういう趣味は無くて」


 「一応、念のために、誤解が無いように言っておくが、俺もそういう趣味じゃないからな。女の子が好きだから」


 それを聞いて安心したのか、祥哉はその丗都という男のもとに泊まらせてもらうことにした。


 「俺んとこって言っても、俺も居候の身なんだけどな」


 ケロッとした口調でそう言った丗都に、大丈夫なのかと祥哉が聞くと、丗都はまたあんまんを口に入れながら答えた。


 「へーきへーき」


 「・・・・・・」


 ちょっとだけ心配だったが、祥哉は丗都に着いて行くことしか出来なかった。


 国の中心街のはずなのに、ひっそりとした場所に佇んでいる本屋があった。


 店を開いているのか、それとも時間だから閉まっているだけなのか、判断しかねるほどボロっとした本屋だ。


 裏手に回ると小さめの扉があり、鍵穴に鍵をさして回せば、店内とはまた別の、人が住まう空間としての灯りがあった。


 「遅かったな」


 「ごめんごめん。ちょっと寄り道しててさ。今日こいつ泊まらせてもいいだろ?」


 中には1人の男がいて、新聞を読んでいたようだが、丗都の言葉に顔をあげてこちらを見てきた。


 男は黒の髪で、前髪ごと後ろに持って行ったリーゼントで、目も黒だった。


 どちらかと言うとタレ目だろうが、きりっとした印象をもつ。


 顔の印象からすると、冰熬と同じくらいかちょっと年上くらいだろうか。


 祥哉のことを軽く見たあと、「ああ」とだけ答えると、丗都は持っていたあんまんをその男にも渡した。


 夜食なのか夕食なのかは分からないが、偏食であることだけは分かった。


 「祥哉って言うんだってさ。なんか人探ししてるみたいだけど、腹減って死にそうになってたから拾ってきた」


 猫を拾って来たんじゃないんだから、と思った祥哉だが、泊めてもらう手前、大人しくしておこうと思っていた。


 「ほいお茶」


 「あ、どうも」


 丗都からお茶を受け取ると、まだ熱いそれに息を吹きかけて冷ます。


 「はい、琴桐もお茶」


 「おう」


 男は琴桐というようで、丗都からお茶を受け取ると、熱いはずのそのお茶をずずっと啜っていた。


 祥哉はお茶を飲んでホッと一息ついたとき、数回瞬きをする。


 「・・・・・・ん?」


 「どうした、祥哉?」


 「・・・さっき、なんて言った?」


 「さっき?・・・腹減って死にそうになってたから拾ってきた?」


 「そうじゃなくて、名前・・・」


 「名前?」


 祥哉は人差し指を男に向けると、再び新聞を読み始めていた男ではなく、祥哉の人差し指の先を追っていた丗都が答えた。


 「ああ、琴桐?」


 「・・・琴桐。琴桐?琴桐・・・。琴桐おおおおおおおおおおおおお!?」


 「吃驚したー。あんまり驚かすなよ、祥哉」


 熱いお茶を持ったまま、祥哉は立ちあがって琴桐という男のことを指さし続ける。


 失礼だとは分かっていても、どうしようもなかった。


 徐々に掌にお茶の熱さが伝わると、祥哉は一旦冷静になってお茶をちゃぶ台の上にゆっくりと置くと、再び男を見て後ずさる。


 「あれ?知り合い?」


 「知らん」


 丗都の問いかけに対し、琴桐はきっぱりと否定する。


 祥哉は身体から力が抜けているのを感じ、その場に思わず正座をしてしまう。


 「あ、あんたが・・・」


 「もしかして、探してたのって、琴桐のこと?なんでまた琴桐を?」


 「あ、あの!!冰熬に、何かあったら琴桐って男を頼れって言われて・・・!!」


 「・・・・・・冰熬だと?」


 冰熬という名前を出すと、琴桐はピクッと眉を潜ませた。


 丗都も、琴桐と冰熬が知り合いだということを初めて聞いたのか、興味津津に祥哉と琴桐の間に胡坐をかいて座っていた。


 琴桐は読んでいた新聞を折り畳むと、ちゃぶ台の上に乗っていた煙草に手をつける。


 1本口に咥えて火をつけると、顔をあげて煙を天井に向かって吹きかけた。


 話すタイミングが分からなくなってしまった祥哉だが、冰熬の状況を説明しなければと、国で起こったこと、冰熬に起こったことを出来る限り事細かに話した。


 その間、琴桐はただ黙って煙草を吸っていた。


 話終えても、琴桐はしばらくは何も語らず、新しい煙草に火をつけると、部屋の匂いが気になったのか、丗都が立ち上がって換気扇をつけて小窓も開けた。


 そして、ようやく口を開いたかと思えば、琴桐が祥哉に言ったのは、こうだ。


 「甘ったれるなよ、小僧」


 「へ?」


 「今日はもう寝ろ」


 それだけ言うと、琴桐は奥の部屋へと行ってしまった。


 残された祥哉は、琴桐に会えばなんとかなると思っていたため、呆然としてしまった。


 いつの間にか丗都が寝床の用意もしてくれて、祥哉は軽く湯を浴びてから甚平を借り、布団に入って身体を横にする。


 見慣れない天井を見つめていると、そっと襖が開き、丗都が話しかけてきた。


 「寝られないか?」


 「ん」


 真っ暗な部屋の中、祥哉が寝ている布団の横で胡坐をかくと、丗都は欠伸をしながら笑った。


 「琴桐はああいう言い方しか出来ない人だから。あんまり気にするなよ」


 冰熬とはまた違ったタイプの人だということは分かった。


 いや、もしかしたら冰熬の方が優しいというか、ふにゃふにゃしているというか、軽い感じがする。


 琴桐という男、信頼出来そうではあるが、とっつきにくいというのか、難しそうだ。


 「お前があの冰熬と知り合いだとは思わなかったよ。琴桐も自分のことはあんまり話さないからさ」


 「・・・俺は、どうしたらいいんだろう」


 「まあ、今日はゆっくり寝てよ、身体も心も休めな」


 そう言うと、丗都は部屋から出て行った。


 祥哉は目を瞑り、ただ疲れた身体に身を任せて眠るのだ。


 その頃、自分も寝ようとしていた丗都は、琴桐の部屋に足を向けていた。


 「琴桐、いきなりあれは無しでしょ」


 可哀そうだよ、と丗都が言うと、煙草を吸っていたこ琴桐は何も答えなかった。


 丗都はやれやれとため息を吐くと、おやすみとだけ伝えて寝床に着いた。


 丗都が部屋から出て行くと、琴桐はまだ吸ったばかりの煙草を口から放して、灰皿に強く押しつけた。


 「・・・・・・」


 

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