異世界への使者episode2 フルーツの女王

@wakumo

 異世界への使者episode2 フルーツの女王

   フルーツガーデン

 甘い香りが立ち込めるフルーツの山。

 そこには、小高い丘と羊が戯れる小さな牧場…自分ではお人好しと、誰からも愛されていると信じて止まないアニンおばさんの経営する農家民宿。このお話の主人公、コールじいさんの農作業場、そして屋敷の後ろの山二つ分の敷地に、豊かに果樹園が広がっていた。

 コールじいさんが丹精込めて育て上げたその果樹園には、果樹の種類ごとに精霊が住み着いているという。でも、それを知っているのはコールじいさんともう一人の主人公、小さなラビィ坊や唯一人。周りのことなど気にしない独りよがりな気難しの精霊達も、人前に気安く姿を現すことはなかった。

 一方の山を埋め尽くす果樹畑には、柑橘類がたわわに実り、この季節、山を緑と黄色にモザイクのように染め分けた。山のふもと、冬の間裸の枝をむなしく広げるのは、サクランボやジューンベリー。早春に白い花を咲かすサクランボにはたくさんの花芽が枝先をピンクに色づけた。

 コールじいさんは世間の事にとんと関心が無い。木の手入れと果樹の収穫以外のことには心を動かしたがらない性分で、アニンおばさんと顔を合わせてもろくに挨拶もしなかった。

 それでも農園は毎日何事もなく静かに一日が始まり、日の暮れとともに幕を閉じるのだった。


 春も近いある日、寒気がなだれ込んで冬が戻り、油断していた村中を震え上がらせた日の次の朝、コールじいさんの作業場の軒下には、やわらかな綿の花を敷き詰めた籠の中に小さな赤ん坊が置き去りにされていた。赤ん坊は昨日とはうって変わったうららかな日差しの中、時々あくびをしながら微かに目を開きまたうつらうつらと閉じて寝息を立てた。

 それが、コールじいさんとラビィ坊やとの最初の出会いの朝だった。

「ほほう、これは珍しいお客さんだな。この山のどこかで誰かがいたずらをして、わしに子供を使わしたか、それとも…なんだか懐かしい気のするこの子は、時の精霊の運んだ私へのまやかしの術かの…」

 じいさんは、その幼子の顔に見覚えがあった。誰の仕業でこの家にやってきたのか、見当がつきながらも黙って抱き上げ、もう一方の手で無造作に綿の籠を下げて家の中に戻った。

「わしは一人でもけして寂しいことはないぞ。見ての通り忙しくしている」

 かすかに微笑んでそう言うと、その子にラビィと名前をつけた。

「生まれて一月といったところかの」

 とつぶやきながら、ひとつ前のカレンダーをながめ、その辺りの謂れの良い日を探して赤い丸をつけた。ラビィの誕生日はじいさんが勝手に、相談する相手もないまま、節分節の二月三日と決められた。

「お前がどこの誰かということよりも、いくつまでわしの側にいられるかということのほうがわしには興味深いな」

 そうつぶやきながら、そろそろ忙しくなるレモンの収穫を控えて、丘の姿を整えるため鋏の手入れに余念のないじいさんだった。


 時は三年流れた…




   カーニバルの季節

 季節風に乗って、アニンおばさんのところへ、このところの春のカーニバルに顔を出していなかった軽業師のコマが来ていた。久しぶりにこの村にやってきたコマは、相変わらずこの季節だけ賑わうこの村のカーニバルにあきれ顔をしながら、ゆったり和やかに進む準備を眺め、村人にあれこれ見当外れの注文をつけていた。

 村を一瞬華やかに彩る早春のカーニバルは、楽しみの少ない片田舎の、そこに暮らす人々のささやかな春の喜びだった。

 小柄なコマは、ちゃんとした挨拶の一つも出来ない人見知りで、もの静かに見える深い緑色をたたえた眼差しとは裏腹に、食い意地が張ったお天気屋。人と関わるのがあまり好きではないくせに軽々と余計なことを口にする、やっかいな男だった。黙ったままなら案外良い奴に見えて人気もあっただろうに…

 丸々と太った羊を横目で眺めると、香ばしく焼ける匂いまで想像して、なんとかひとつご相伴にあずかりたいものだと独りよがりしながら、ひどく小刻みな足取りでじいさんの牧場を横切った。

「こんにちは、小耳にはさんだ所によると家族が増えたらしいね」

 そう無遠慮に話すコマをにらみあげ、久しぶりに嫌な奴の顔を見たと言いたげに眉間にしわを寄せた。

「お前が来たところを見ると、この前の霜で今年の寒さは終わりだな」

 じいさんは『なんでもわかってる』と言いたげに一言釘をさすように言って、手元に目を戻し催促する羊にわらを与えた。

「うまそうな羊だ。ここの牧場の羊はゆったりとしていていかにもうまそうだ」

 そう言いながら一頭の羊に目が釘付けになっているコマだった。

「コマよ、お前の仕事は一体何だ。祭りだ。祭りだと言い騒いでいるが、それが本当の仕事ではなかろう、げんに毎年顔を出すわけでもなく最近はご無沙汰だったじゃないか」

 コマを見もしないで話すじいさんの気迫が少し気味悪くてコマの自尊心をくすぐる。

「何を言うんです。私の仕事は道化ですよ。ごらんの通り軽業師ですからね」

と宙返りをしておどけた。

「そうかそれが本業か?」

 じいさんは何を知っていると言うのか?コマはちょっとおでこにしわを寄せて考えてみたものの、そこに思考を留まらせたくもなく、

「疑われるなんて嫌ですね。だったら誰があんなに熱心に軽業をするんです。毎日鍛錬しているからこその曲芸ですよ」

 そう言いながらも瞳の奥のほうで何かを考えている。じいさんの手元を見ているはずなのに、頭の中はぐるぐると何かを探して目が据わる。

 しかし、じいさんのいぶかしげな眼差しをどうにか避けるように、ひとまず困惑したような顔をして肩をすぼめ、羊の無駄話をやめて牧場を後にした。




   八人のお客様

 感謝祭が近づくとそれぞれの家に分宿してやってくる各家八人の客が決められる。どうやって割り振るのかわからないが、毎年新しい顔ぶれの人々が馴染みの客の中に混じって上手い具合に割り当てられる。

 村の人々は、この日のために部屋を用意するほどの余裕はないけれど、どこの家にも二階に大きな干し草部屋があり、早春の頃にはここに蓄えられたワラが、冬の間に少しずつ使って空になっていく、そこにうまくしつらえたベットが並び、清潔に整えられて、この時だけ居心地の良い客室に姿を変える。

 例年変わらず続いているこの習慣は、家の再生とでも言うか、村を挙げての大掃除とでも言うか、長年続けられたこの村の知恵と言うべき工夫で、村全体が活気づき、それと同時に春がやってくる。

 農家民宿を営むアニンは、この時期だけは春祭りのために無償で部屋を差し出す。儲けは度外視してのもてなし、その後のお客獲得も当て込んで、この大感謝祭を盛大に開催した。

 祭りに花を添えるミス牧場コンテストも人気が高く、まるで花畑に潜んでいると噂される妖精たちがその姿を現したような幻想的な景色に彩られる。年頃を迎えた娘達がレディに代わる一大セレモニーなのかもしれない。

 今年はアニンおばさんの長男の娘がコンテストに出場する事になっている。器量良しだと噂され早くからミス牧場候補にあがって騒がれていたが…たいして交流のない甥っ子の娘の器量の話題など、じいさんには迷惑なだけだった。その甥っ子夫婦がじいさんの二階にやってくることになっているのが、いよいよ面倒な話だと思った。

 コールじいさんの農園で働く者たちはこの村から少し離れた山村の次男坊が多く、その中の一人がこの娘の弟だったから、なにかと話題に上ることが多かった。

自分の姉が噂になっていることを素直に快く思えない堅物のこの青年は、みんなからからかわれると口を突き出してふくれっ面をした。

「年頃の若者がそんなことで喜ぶはずがないよ」

と、気の毒がるアニンおばさんを仲間の女たちがまた話しの種にして笑った。

 アニンの孫とその両親。大きな町タニヤールの町長夫妻とその孫娘。春には毎年訪れる果物商のヨハンセン、そして、じいさんの古くからの友人ビルドが、この家の今回の八人の客だった。

 町長夫妻をもてなすのは骨が折れると何度も苦い顔をして突き返すじいさんだったが、町長に似合わず気さくな人だという世話役の仲人口に強引に押され、アニンおばさんがじいさんを無視して勝手に引き受けた。

「いいじゃないの料理は私の担当なんだし、じいさんは掃除だけちゃんとやってくれればそれでいいんだから」

 日頃から挨拶もしない間柄だけあってアニンおばさんはじいさんに冷たかった。

 こうして全ての準備が整うと、後は日が経つのを待つだけでやることが無くなった。そして、焦りばかりが走り回って、静かな村が日に日に色を帯び、じいさんにとっては喧しいシーズンに突入した。




   ユンコラの丘

 祭りの前日、メイン会場の賑わいは、想像以上に膨れ上がっていた。

 村のはずれの朽ちた道しるべの横に、いったい誰が書きなぐったのかと顔をしかめたくなるほど下手くそな字でウエルカムボードが作られ、そのボードに花輪やキラキラモールが絡んで、いかにも田舎くさいしつらえに正直なところ顔もしかめる者もいたが、訪れる訪問客にとってはそれも嬉しいもてなしと見えて、嬉々として看板を指差し、そっちの方向にハンドルを切って乗り込んで来る。

 2頭立ての馬車がギリギリ通れるほどの路地には、すでに幾筋もの深い轍が刻まれ、まだ昼前だというのに集まっている人の多さを想像して、胸がわくわくすると同時に、馬車の揺れに歓声が上がった。

 青々と延々と茂る麦畑を横切り、背の高いメタセコイアの並木が旅人を誘うように続く、この景色に溶け込むと、ようやくこの村に帰ってきた喜びに包まれ、ほっと小さなため息をつく都会の人々だった。

「やあやあ!今年はまた一段と工夫がされた飾りだな。この野暮ったさはどうだ。そう簡単に出せるもんじゃない」

「ほんと、あの缶でできたかかし笑えるわ!ここまで来るのに苦労するせいか到着の喜びはひとしおね」

「わたしゃ、お尻が痛くて、あ~ゆっくり美味しい空気でも吸わなけりゃ」

「はは、どうぞどうぞ、空気はふんだんにあります。美味しいと言われてもよく分からないんですが。町とは何かが違うんでしょうな~

うおっほん!ま、なにしろ田舎ですからな」

 例年同じ話題だと思いながらも、これを求めてやってくるお客様なんだから粗相の無いように、いかに普通の空気を美味しくいただいていただけるものかと、それのみ苦心している村長だった。

 空気の美味しさと、食事の新鮮さと、それを慕って集まってくる人々のざわめき以外はこれといって何もないこの場所が、年ごとに来客数を伸ばしているのだから、どこにそれほどの魅力を秘めているのか、春の、田舎の魔術とは計り知れないものなのだと、首をかしげながら無理に納得して村長は思うのだった。

『自然の聖地ユンコラへ!!』

 と、この小さな牧畜の村が、都会の新聞に大々的に取り上げられるようになっているとは、実のところ村人は誰も知る由もなかった。

 村のチーズも、生ハムも都会まで届くものはごくわずかで、とても他の地域に比べて競争力のあるものではない。と誰もが思っていた。




   三歳のラビィ

 アニンの家に届いた荷物は、それぞれの部屋に運びこまれて主の到着を待っていた。

「おばさん!」

「まあ、早いとこ着いたね」

「それは?」

「キルトだよ。これをベッドに掛けたら、したくも終わりだ。もう一度太陽に当ててやりたくてね。牧場の柵から取り外してきたところさ」

「私も手伝うわ」

 アニンの腕から両手いっぱいのキルトを受け取ると、どこに持っていくのかと確かめた。

「あっちの大きな建物だよ。私はこっちを運ぶからね」

 そう言うアニンは、一輪車を器用に操ってキルトを運んだ。

「こんにちは」

 大荷物を抱えた娘の前に立ちはだかったのはコールじいさんだった。

「お前は?」

「コルプ村から来たサニヤです」

 と、深々と頭を下げた。

「サニヤ?さて、ああ…アニンの長男の娘…」

「はい、そのサニヤです。お世話になります」

 サニヤの勢いに押されコールじいさんは黙ったままその姿を眺めた。

「お姉ちゃんこれ」

「まあ、可愛い坊や、なんてお名前?」

「ラビィだよ。僕はコール・ラビィ」

 差し出した小さな指に咲いたばかりのスターブルーの花が握られていた。

「僕お手伝いしても良い?」

「ええ、どうぞ、どうぞ」

 ラビィは嬉しそうにサニヤの後ろをついて回った。

「あの子も大きくなったもんだ~もう手伝いが出来るかい」

 目を細めるアニンを横目でコールじいさんが眺めた。

「あんたはラビィのことを疑ってるらしいが、あの子は正真正銘人間だよ。どこにあんな可愛い子がいるもんか。名前だってちゃっかり付けておいて、ほったらかしなんてまったくあんたって人が分からないよ」

 コールじいさんはラビィを可愛がっているつもりでいたが、アニンにはそんな風には見えなかったらしい。

 どうやらこの二人の仲の悪さにはラビィにはわからない根の深いものがあるらしいラビィがこの生活に満足しているのは目に見えて明らかだったのに、アニンは不平不満を口にする。じいさんがラビィをこき使うとか、大したものを食べさせないとか気に食わないことが山ほどあるらしい。

 気の利いた事を話し、余る程の愛情でラビィを撫で回すじいさんではなかったが、清潔な寝床と新鮮な食べ物を与えてきた自負はあった。子供といえども少し無理なくらいの仕事を成長に応じて任せてきた。一日中じいさんの周りを走り回り何にでも興味を持って楽しそうに、働くことを厭わないラビィを暖かく見守って来た。ただ一つ本当の親なのかどうかはわからなかったけれど…

 明日は祭りの日という夜、風が吹いた。雷も西に東に轟き、ラビィは生まれて始めて夜が怖いと思った。じいさんはどうやらこれは何かの仕業だと、じっと耳をすまして音の中から事態を拾おうとした。

「こんにちは、子供はどんな風に育ったのかしら。一度見に来ないとと思い始めたころ、この風、今夜は尋ねるに値する良き夜」

 ついに来たか…

「私の声はこの子には聞こえない。お前にしか聞こえない。ごきげんよう」

 やっぱりお前か…

 じいさんは手を休めず。壁にうつる小さな揺らぎを睨みつけるように見た。

「賢いな。お前の声はこの子に聞こえる。それを察知して返事をせぬ気だな。恐ろしい風もへっちゃらと?」

 じいさんの心の声は届いている。じいさんの思ったとおり、声の主は山のどこかでラビィの成長を待っていたに違いない。不思議な会話を交わしながらふと、揺らぎの存在に思い当たる。じいさんは目を凝らして少しづつラビィのそばに移動した。

「どうしたのおじいさん。僕、平気だよ」

「そうか、えらいな。この風もラビィを震え上がらせるのにはまだ足りないかな」

「始めはびっくりしたけど、どうってことないや。夜中に吹く風は大きな音を立てるってアニンおばさんが言ってた」

「アニンが…そうかあいつは腹が据わっているからな。少しくらいの音や地響きでくよくよしたりはしまい」

 じいさんがラビィの元に到着する。

「ふん、アニンの事は昔から嫌いだよ」

 アニンの事…横入りして壁が話を始めた。

「ああ見えてアニンは意地が悪い。なんでも横取りして、私に何もやらせなかったし周りに良い顔ばかりして私に辛く当った」

 じいさんは眉間にしわを寄せて困った顔をした。

「確かに私は体が弱かったし、アニン程の仕事をこなせるわけじゃなかった。でも、花のことはよく知っているからね。どの花がどの時期に咲くか…どんな害虫がどの季節にわくか、私に出来ることも山ほどあった…なのに」

 何をしでかしに来たのかとじいさんは考えた。どんな理由でこの子を遣わしたのかも測りながら静かに壁の声に耳を傾けた。

「おや、ちゃんと聞いているんだね。そうやって私の話を聞いてくれたことなんて無かったよね。あの頃いくら忙しくたって、話くらい出来ただろうに」

 心を読ませるままにじいさんは反応する。ラビィを怖がらせまいと抱えながら、壁の話しは聞いてやろうとまんじりともせず黙って見つめた。

 そのうちラビィが寝息を立て始めた。大した度胸だ。この雰囲気の中で、寝てしまうとは…じいさんはラビィがやってきた日の事を思い出していた。

 あの時もすやすや寝息を立てていた。やはりラビィは人ではないのだろう…

「その子に対する愛情は信じるものがあると見てればわかる。確かに大事にしている。そうやって何の不安もなく眠っているんだから…」

「さあ、ベッドに運んでやろう。明日は忙しい一日になるからな」

「けなるがるのは違うと自分に言い聞かせているところさ。私は大人でその子は子供なんだからね」

 返事をしないじいさんに業を煮やし壁から離れた声はラビィの周りをゆらゆらと動き始める。でも、触れることはできないのだなとじいさんは悟った。

 動じないじいさんの態度にガッカリしたのか、取り付く島がなかったのか、小さなため息を残して声はひとまず姿を消した。

 じいさんも大きな息を一つ…緊張が消え、雨もシトシトと音を変えた。


 農家民宿では、アニンがしゃかりきになって夕食を用意し、今年のゲストたちが各々着飾って暖炉の火を囲み談笑していた。サニヤは大きな皿に盛られたメインデッシュを台所とダイニングを行ったり来たりしながら運んでいる。町長夫妻の孫娘も慣れない様子でサニヤの後をウロウロしていた。

「さあ、後は熱々のスープをこの器に注いでみんなで食卓を囲むことにしよう」

「風が強くて怖いくらい…」

「じきに静かになるよ。春が近づくといつもこんな日が来る。恐ろしい程の風だけど、明日は晴天になるよ。そのしるしさ」

 テーブルの上には、アニンご自慢のコンソメ仕立てのロールキャベツ、ローズマリーが香り高いハーブたっぷりのチキンのグリル、ふわふわの卵の乗ったガーリックオムライス、レモンミントの香りがさわやかな季節の野菜サラダ、かぼちゃとポテトのダブルポタージュ、どれも湯気を上げて田舎の春待ち夜を楽しむメニューだった。

「皆さんダイニングにお集まりください。さあこちらへ…

今回の初めてのゲストは、タニャールの町長夫妻。お孫さんにも来ていただけました。遠路はるばるお越しいただいて、何もない田舎の村ですけど、楽しんで下さい。野菜は鮮度抜群。兄の作ったフルーツ酒も味わって下さいね。

 こちらは兄の古い友人のビルドさん、そして果物商のヨハンセン、私の長男夫婦と孫のサニヤ、息子はコルプ村で家具職人をしています。

 今回はこの八人が我が家のゲストです。

明日のお祭りを楽しみにゆっくり食事を楽しんでください」

 アニンのスピーチは完璧だった。誰もが心豊かに祭りの庭を楽しむユンコラの広場で盛大な篝火やビアガーデンも開かれていたが、アニンのゲストは家族連れが多く、お酒より静かな夜を楽しんだ。花輪をあしらったダイニングルームで食事をゆっくり済ませ、その後の花火を見るために時間を決め出かけることにした。

「さあ、食前酒の果実酒です。この日の為に半年前から漬けた兄の自慢のサクランボ酒です。どうぞ召し上がれ」

 料理はどれも美味しかった。都会の人々はひと時の田舎の夜をことのほか楽しんだ。となり村のサニヤの家族も上げ膳据え飯の久々の休日にリラックスして話が弾んだ。

 食事が終わりホットワインで一息入れている時、外で大袈裟なファンファーレが鳴り、道化の音楽と踊りが始まった。

 チンドン屋風の行列が弧を描いて歩きながら演奏する。その後を子供が続き、その周りをカーニバルの参加者が囲んで幾重にも輪が出来た。

 音楽がひと止みすると満を持してコマが躍り出、体中に花の咲く蔦を巻きつけて華やかな舞を披露した。火を前に影を後ろに背負った幻想的で軽やかな踊りは人々を魅了する。訓練の行き届いた曲芸を訝しむ者はコールじいさんだけだっただろう。

「腕を上げたな、あの仮面を付けると人変わりするらしい」

 人見知りの激しいコマが道化の仮面を付けると動きが変わる。骨を失くしてしまった蛇のように、クネクネと柔らかい体を丸めたり伸ばしたり、両足の間から顔をのぞかせて見物人を驚かす。日頃の鍛錬を余すところなく披露して祭りの輪の中心から光を放った。

 ラビィは嬉しそうに手をたたいて、初めて見る炎の宴にじいさんの回りをとび跳ねた。

「そうさな、去年はまだ小さくて祭りを楽しむ歳じゃなかったな」

 三歳になったラビィはテーブルいっぱいの料理も残さず食べる事が出来たし、音楽に合わせて体を動かし、全身で驚きに浸っていた。

 今年の祭りが例年と様子が違うのは、町のものが村人を楽しませようと持ち込んだ何軒かの屋台だった。町なら定番の綿あめの店や風船を細工する風船師。ラビィが一番気に行ったのはストリートオルガンだった。

 星座が配置された黒い幕の前に、着慣れない民族衣装に身を包んだにわか仕立ての楽師が不器用に回す箱からトツトツと金属音が飛び出す。その音はひとつひとつ繋がって美しいメロディとなりラビィの心を流れて行った。

 ラビィの笑顔を目で追うコールじいさんはその向こうの黒い幕にうごめく影を見つめた。ラビィの肩を抱き寄せて距離をとる。届きそうな所にラビィを置いたら闇の中に取り込まれてしまうかもしれない。じいさんはにこやかに笑いながらも警戒を緩めなかった。

 手作りの小さなステージではミス牧場コンテストの催しが始まった。ステージのあちこちに灯された明かりに映し出されて村々の少女たちがそれぞれの民族衣装に身を包んで現れた。アニンおばさんの孫のサニヤもレモンの花冠を付けて黄色のリボンのついた衣装を付け軽い足取りで躍り出た。明るく品の良いサニヤは、顔が恥ずかしさで桃色に上気して舞台の真中でお辞儀するのが精いっぱいだった。

 同世代の背年からからかわれて嫌な思いをしてばかりだった弟のジニーも今日ばかりは美しい姉に鼻高々で笑顔を見せていた。

「サニヤ奇麗だよ~」

 アニンおばさんが声を掛けると腹を立てた幕が大きく膨らんで、サニヤを取り込もうとした。サニヤは意に介さずクルクルと回って舞台中央に躍り出大事なくステージを終えた。会場からはこの動きにまた歓声がわきサニヤはこの夜の主役のようにオーディエンスから絶賛を浴びた。

『なんてこと私とした事が…』

 影は悔しがったしかし、後の祭りでこの日のミス牧場はサニヤに決まった。

「なんて素晴らしい。私の姪っ子がミスをとるなんて…こんな嬉しい事は無いよ」

 参加した娘はどの子も美しく着飾って、まるで花の精のようにステージに見事に咲き誇った。


「ラビィそろそろ家に入らないと眠る時間だよ」

 間が悪くアニンが声を掛けた。それを不愉快に感じたか風が吹き上げ幕が大きく揺れた。

「やれやれ、ラビィ、さあこっちへおいで」

 じいさんは眠たくなったラビィを抱えあげると家に向かって歩き始めた。

「いやあ、何もかもが美味しかった。あのサクランボ酒も最高でしたよ」

 果物商のヨハンセンがラビィを抱えたじいさんに声を掛けた。



  

   紛れ込んだ町の議員

「いやぁ村長、実に素晴らしいディナーでしたよ。この村の美味しさがギュウギュウに詰まっていました」

 引き上げる人波の中から村長を見つけあざとく近づいて来たのは隣の屋根裏に宿泊する町の町会議員だった。

「この村の生産品の美味しさは町では評判でしてね。口コミですよ。村のお祭りに来ている人は沢山いますからね。美味しいバターも羊毛もそれは素晴らしいと世間が気付き始めていますよ。この天からの恵みをぜひ量産して大々的に売り込んでみてはいかがでしょうか」

「それはいけません。大々的になんてとんでもない。この村の生産品は春のお祭りでお客に振る舞うのがやっとの量で、あとは一年その蓄えを細々と分け合うのが習わしです。出荷しようなんて余裕は有りませんのです」

「そう言わず。考えみて下さいよ。悪い話じゃないと思いますよ」

「いやいや、それには応じられません。この村の豊かさは慎ましさと同義ですからね。儲けようなんて思う村人はいないし、ましてや量産なんて考え一分か三〇秒になるくらいの衝撃ですよ」

 え、ちょっと何言ってんだかわからない。

「ベルトコンベアーに乗せて、一気に作れば作る方も楽できる。町は美味しい物であふれる。どちらも万々歳ですよ」

「とんでもない話です。ベルトコンベアーでこの美味しさは出来ません。それはしないとみんなで決めているんです。村のキャパを超えない事がとても重要なんです」

「今のままのクオリティーで量産できれば問題ないじゃありませんか」

「村として豊かになりたいのは山々ですがね。儲けに走らないと約束しているんです。力のある村人が多いのでね。私の一存で何とかなるもんじゃない。無理をすれば次の当選は有りませんからね…」

村長は愚痴っぽく独り言した。

 町議の渋い顔を見つけてコマが近づいた。

「だんなこの先の屋台で果物商のヨハンセンが御待ちでっせ」

「ん、ヨハンセン?この前突然私のところへ押しかけてきて新しい果物工場を作りたいと言っていたあいつか…」

「さあ、そこのところは私も見当がつきかねますがね」

 ヨハンセンと言えば、アニンのところに宿泊している果物商、町議、コマその三人が何かを企んでいるらしい事は村長には考えもつかなかった。

「ぜひ、大々的に町に紹介してみたらいかかでしょうか。それはこの村の利益になる。紹介した私も鼻高々、手数料が欲しいとか袖の下をもらおうとかそんな考えはないんです。この村の未来を、良かればと思う提案です。

 とかなんとか、あの町議は言っていましたね」

 と、村長に訪ねたのは書記のモダムでした。

「この村の秘密を外に漏らすにはリスクが大きすぎる」

 ……もしや…村長はこの村の精霊たちの事を知っているのか…

「とにかくとにかくです。どんなに美味しいバターもジャムもこじんまりと作っているわけで、余計な物は何も入ってないし美味しいのは当たり前なんですよ。

 これ秘密です。ジャムに入れる砂糖だってこの村で作るんですから…」

 …う~んそう言う秘密なのか…

「村長それは決して…」

 書記のモダムが口に人差し指を立てた。

 ヨハンセンは穏やかな顔で村人のなかに紛れ込んでいる。アニンの料理を口いっぱいに頬張って、舌づつみを打ち、たしかにこの味はかけがえのないどこにも無い物だと目を閉じる。美味しくなくなったら困るからこのままの方が良い。しかし、儲け話はそうそう転がっていないものだから、この機会を逃すのはおしいと両天秤にかけて顔を赤くしていた。




   祭りの夜のはかりごと

 コマからヨハンセンが待っていると伝えられた町議は天幕の屋台に隠れるようにして滑り込んだ。

「やあ、これは前にどこかの祭りで会いましたね」

「サンダールの卵祭りの時ですよ。私はあそこのまん丸な大きなビワを狙ってます。瓶詰めにしたくて何度も通っているんですがね。なかなかやらせてくれる者が現れない。どこの果物も気難しい。作っている人たちがね。瓶詰めって凄いんだ。時空を超えるんです。今だけじゃない旬以外の季節に食べることができるんですよ」

 ヨハンセンの話をニタニタと笑いながらコマが聞いている。ヨハンセンの企てはこれまで何度も聞かされたが軌道に乗ったのを見たことがなかった。

 町議の情報役を任されているコマも、これといった収穫がないまま、そろそろ本業の軽業師一本に絞ったほうが皆に喜んでもらえて楽しいかもと思うようになっていた。

「いろんな村に出入りしている片手間に、美味しいものを紹介してますけどね。そこから先は知らぬ存ぜぬでお願いしますよ」

 と、二人に念を押した。

「どの村人も簡単に儲け話に乗ったりしない。あのウエルカムボードを見てわかるでしょう。素朴以外の何者でもない」

 コールじいさんの額に深くシワの刻まれた顔が浮かんだ。

「ああ、頂いたサクランボのお酒良い出来でしたよ。ビン入りですからね。そのまま売れます」

「あれはダメだ一番難しいじいさんだ。量産なんてありえない」

「飲んだみたいですね。ヨハンセンが言うなら本当に美味しいんだろうな」

 のんきな町議が興味津々で手に入れたがる。

「少し分けて欲しいと言ってみましょう。自分が飲む分なら怪しまれたりしないでしょう」

 その欲深なヨダレの出そうな顔を封印できたらね。

 三人がヒソヒソと話すテントに影が偲んできていた。黙って話を聞いて考えている。何かを利用して困らせてやろうかと試してやろうかと思っていた…

「まあ残念ですけど、町のお酒で乾杯しましょう。ひとまずね…」

「ここに来て街のお酒とは、誰が持ち込んだんですこの屋台。村の恵みを満喫するお祭りでしょ」

 ヨハンセンが愚痴り出す。

「早く家に帰ってあっちで飲み直しますよ」

 屋台を早々に後にした。

 宿に戻ったヨハンセンは、ビルドを相手にもう一度サクランボ酒を頂いた。

 ヨハンセンは案外本気でこの村の恵みを町に広めたいと思っている。美味しいものを扱う業者だから美味しいものには目がない。作り手の気難しい性格にも一目置いていた。

「こんな美味しいものを作るんだ。並大抵の努力じゃないですよ」

「このサクランボ酒はね。奇跡の賜物なんですよ。大風で枝から落ちてしまった最高のサクランボ…枝から落ちて散乱したサクランボに心を痛めたコールが惜しんでね、お酒にしたんです。

 一斉に実をつける果物は適期を逃すと廃棄しないといけない。一年の努力が一瞬で水の泡、もう涙涙ですよ。それを一つ一つ丁寧に拾い集めて、こんな美味しいお酒に化けました」

 じいさんの古い友達のビルドは話をする。

「実に美味しい」

 ヨハンセンは顔をほころばせてしみじみと名残惜しそうに杯を空ける。美味しい果物を追い求めるヨハンセンの缶詰や瓶詰めの計画も美味しさへの追求の結果らしい。

「ビルドさん。このお酒少し分けてもらえませんかねえ。私の話を聞いてそんなに美味しいお酒なら是非試してみたいとおっしゃる方がいましてね。その…」

「ははは、じいさんに言っても出てきませんよ。それは秘蔵のお酒ですからね。このお祭りでゆっくり味わってください」

「こんなに美味いもんをここだけで…実に残念だ」

 ヨハンセンは貴重なサクランボ酒を傾けながらこれがいつでも味わえたらと思うのだった。


 その夜。別の宿に泥棒が入って、たくさんのジャムやバターが盗まれた…




   祭りの朝

 コールじいさんが目を覚ましてラビィと外に出ると、すでに噂話に花が咲いていた。村中が浮き足立ち、ど・ろ・ぼ・うの四文字がヒソヒソ声で飛び交っていた。

「どろぼうって穏やかじゃありませんね」

「なんで、このめでたい祭りの日にどろぼうなんて…」

「何が盗まれたって?」

「何を盗もうと言うんだ。代々受け継がれた装飾のついたケーキ型か何かなのか?あれなら少しは高価かも知れない」

「ジャム?バター?それがそんなに欲しいのか?」

「盗まれたって台所からまさか…」

 村人には台所に置いてあるだけのジャムやバターが盗まれることが大したこととは思えなかった。思わず何が楽しいのかと鼻で笑う者もあった。

「盗みといえばおどろおどろしいもんだがこれ程ダメージがないとは」

「この村の大切な生産物が盗まれたというのに、それ程深刻ではなさそうですね」

「確かに盗みはいけないことだが…ジャムか…」

「なんで、なんでなんです。欲しい人いますよ。僕だってあのお酒がテーブルに置いてあったら、周りに誰もいないならカバンに入れたい」

「シっ!声が大きいよ。価値観の問題だね。村人はある物をある様に使っている。なくなったらまた作ればいいだけで、騒ぐ、困るってことじゃない」

 泥棒という響きに警戒するだけで、中身については至って冷静的な反応だった。

「しかし、村人はともかく、たくさんの町の方が集まって下さっている中でこのような不祥事起きるとは、やはり捨てておくわけにはいかないでしょうね」

 村長の深刻な顔にモダムが胸を痛めた。物が盗まれたことはいかんともしがたい。しかし、どうやって犯人という者を捕まえることが出来るのか。


「おじいさん、どろぼうってなに?」

 ラビィに聞かれてじいさんは苦い顔をした。

「やあじいさん、祭りの間は西の広場に羊が放たれていて誰もこの村から出ることはできないよ。歓迎の意味で放ってる羊が泥棒の足止めになるなんて考えてもみなかったよ」

 村から林道へ抜けるただ一つの道はただ今柵を下ろして通行止めになっている。と言う事は、泥棒はまだこの村の中にいる。それを知って、村中また蜂の巣を突いたような騒ぎになった。

「やあじいさん、大変なことになったね」

 コマがじいさんに近づいた。

「お前ではあるまいな」

「あっしが、冗談じゃねえ。そんな事しませんよ」

 慌てて両手を挙げ後づさりしながら弁解した。

「さあてな、誰も喜ばないことを面白がりそうだ」

 じいさんがじろりと睨むと、

「出番も終わってさっさと帰りたいところなのに…このまますんなり帰らせてもらえるんですかね」

「…」

 返事もしないじいさんが相変わらず苦手なコマだった。

 このまま事が収まらないとどうなるのか…

 じいさんは考えをまとめようと水汲みに井戸にやってきた。身を乗り出すと水面の微かな揺らぎにハッとした。

 まさか…

『そんな暇人ではありません。泥棒とやらが逃亡しないように山の精霊たちに声はかけましたよ。脅かしてやりなって。今のところ誰も引っかかってはいないみたい…』

『そうか…この事件を解決できる力はあるか…』

 じいさんはできるだけ冷静に、そして簡単な方法を見つけようと影に声をかけた。

『なかったことにしますか、事件前まで時をさかのぼって、この事を無かったことにする』

『う~ん実に良い考えだ。そうすればこの騒ぎも無かったことになる』

 影は少し嬉しそうに声が弾んだ。

『ではこのまま、前夜祭のあの時間あの場所へ』

 じいさんが目をつぶると辺りは暗くなっていた。暗いキッチンにオーブンの燃えかすが微かに燃えていた。




   泥棒の正体

 祭りの前の晩…となりの宿舎に泊った太っちょの二人連れは、あまりのジャムの美味しさに我を忘れて台所に忍び込んだ。

 そして、そこにあった五つほどの瓶詰めジャムとバターを三ポンド鞄に忍ばせて町に持って帰ろうと企んだ。

 ほんの出来心だが、ダイニングから消えたバターとジャム。物が無くなるという日頃起きない出来事に主人は飛び上がった。やがて、村中のニュースとなって林の端から牧場の堺まで駆け巡った。

 そのバターが祝いのケーキ作りに使うための物だった事も災いした。

 欲しいものはもっとあったろう。春の恵に満ちたこの村で美味しくないものなんて何もなかったんだから…その中から選んだささやかな品々。じいさんは許してやりたかったがどうすればそうなるかわからなかった。

 影が囁く…もう少し時間を戻そう。盗む前の深夜零時に…

 物に宿る気配を知らせよう。存在する以上どんなものにも気配がある。作り手の思いがある。二人が手を伸ばすと気が囁いた。

『このバターは大切なバターです。明日の朝早くご婦人たちが取りに来るバターです。あなたたちに持って行かれたら困ってしまいます』

 バターとジャムは懇願した。

 二人には聞こえない、聞こえないが強い意志で拒絶されて手が出ない。そのうち恐ろしい程の風が吹いて、二人は腰を抜かしながら逃げ惑った。

 こうして、太っちょ二人組の暗躍はないものになった。


 朝早く予定通りこの家に押し寄せたご婦人たちは、よも山に日頃の愚痴などこぼしながら、大笑いしながら何事もなくジャムとバターを受け取って調理場へ向かった。



   時を戻す魔法

 見事な影の裁きにじいさんは心が軽くなった。そして、影の気持ちも聞いてやろうと優しい気持ちになった。

『見事だな。そうやって姿を現すでもなく出てくる事を思えばなにかやり残したことでもあるんだろう。その魔法を自分に使ったら良いじゃないか』

 じいさんは優しく影に尋ねた。

『それがね、ダメなんですよ。利己的に使っちゃあ。しかも、阻止することはできても罰することはできない。便利なようで使い勝手の悪い魔法なんですよ』

 影はじいさんの頭の中へ流れ込むように言葉を送る。手を止めるのを惜しんで仕事をするじいさんが心にもなく返事を怠ると機嫌を悪くして黙り込んだ。

『ああ、それは…いい話だ。人を傷つけると案外自分がやられるものさ。見えない力が自分を守ってくれている』

 じいさんはそう思った。優しかった自分の妻を思い出した。

 何事もなく過ぎている祭りの日もすでにお昼を過ぎ終わりに向かっていた。

 今年も村人のはしゃぎように街の者は入る隙もなく商談はまとまりそうになかった。酒の入った陽気な村人に真面目な話なんか出来ない。

 そう言えば去年もそうだったと、誰もが思い出していた。

「今年も駄目だったね。どの祭りも同じ、祭りでもなけりゃゆっくり話す機会もないのに、当日はハメを外しすぎて話もできない。これは難問だね」

「あっしはそろそろ唯の曲芸師に戻ろうと思ってますよ。なんの役にも立てなくて申し訳ないです」

「時期尚早というところでしょう。でもね、私は諦めませんよ。出来るところから少しづつ、ふところに飛び込んで行きますよ」

「やあ、じいさん西の羊を動かしてくるよ。そろそろ祭りもお開きだ」

「ああ、ご苦労さん。今年も何事もなくて良かったな」

「何が起きるなんて有ることか、この平和な毎日退屈してしまうよ」

「ははは」

 そう、何事もなく今年も終わった。

「おじいさん、楽しいお祭りをありがとう」

 サニヤが明るく挨拶をした。

「帰るのか、ラビィが寂しくなってしまうな」

「楽しいお祭りをありがとう」

「美味しくて楽しかった。また、来年」

 村にはまた、いつもの農作業が始まった。

 果樹園の精たちは明るく歌を歌った。

 祭りが終わってもしばらく影は村にとどまっていた。何をするわけじゃない。黙ってじいさんとラビィの日常を眺めて…


 やがて微笑んで山に帰っていった。

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